2009年6月27日土曜日

貨幣考古学序説


櫻木晋一著 慶応義塾大学出版会
2009年6月発行 本体5800円

本書の巻頭には16ページからなる序論がおかれています。本書は教科書として書かれたものだそうですが、序論はそれにふさわしい日本の貨幣史のコンパクトで分かりやすい要約になっています。注が、巻末にまとめられることなく各ページに載せられているのも、読みやすさを重視した教科書らしくて、いい感じ。

貨幣考古学総論では、貨幣考古学の用語の説明や、江戸初期の渡来銭から寛永通宝への移行が速やかだったことを出土した六道銭のセリエーション分析により鮮やかに示す研究が紹介されています。また、銭貨の技術史の項では、打刻で作られることの多かったヨーロッパの硬貨とは違い、銭貨は主に鋳造されています。日本では、銅は輸出品であり錫は輸入品であることから、中世末・近世の日本銭は銅を多く含んでいたこと。またこの銅が多く錫の少ないという組成は、錫の多く含まれる青銅に比較して「溶融時の流動性が低いため鋳造が難しく、純銅に近いと文字が浮かび上がりにくいため無文銭になる」とのこと。日本での私鋳銭を考える上で重要な指摘ですね。

貨幣考古学各論は、古代から中世・近世、そしてベトナム・イギリスなどさまざまな話題が紹介されています。その中で、精銭が集められていることの多い一括出土銭と流通時の流通量を反映する可能性のある個別出土銭との性格の違いに関する指摘が勉強になりました。また
新安沖沈没船の銭貨が日本史研究にとってどのような重要性をもつのかについて述べる。中国政府が発行した公鋳銭とそれをコピーした私鋳銭や日本でコピーした模鋳銭の判別が、日本史の中では重要課題の一つとなっている。中世末である16世紀に向かって、模鋳銭が増加していくことは確認できているが、私鋳銭と模鋳銭の区別は難しい。この問題を解決するためのひとつの方法として、中国から搬入途中のこの銭貨を調査することは重要な意味を持つ。つまり、このなかには日本で鋳造した模鋳銭は含まれていないと考えられるので、この内容を調べることによって、中国からもたらされる私鋳銭の一部を知ることができるのである。
というのも面白い。

研究のまとめと方向性を論じた最終章では 、
  • 中世後期になると流通銭貨の地域性が生じる「東の永楽、西のビタ」と東北と九州は洪武通寳・無文銭という図式で、日本を4つの地域に大別する形で貨幣がすみわけしている
  • 緡銭の枚数が日本中世97枚、日本近世96枚、ベトナム67枚、中国77枚などと地域によって取引慣行が異なることに関して「短陌・丁陌の本質と地域による偏差の理由について考察していかねばならない」
  • 「撰銭令に見える悪銭の名称を実際の貨幣に同定する作業は、出土銭貨研究に課せられた課題である」
などの記載が目を引きます。

省陌法については 以前のエントリー でも不思議に感じていることを書きましたが、「その本質とちいきによる偏差の理由」については、まだみんなが納得できる説明がまだ無いということのようです。また、中国での私鋳銭と日本でも模鋳銭の鑑別、各地域時代における悪銭とは具体的にどんなものだったのかなどについては、自分としても不思議に思っていたので、これらが課題として挙げられているのをみて、やはり難しい問題なのだなと感じました。

あと、第3章「銭貨の技術史的研究」には京都・鎌倉・堺で出土した銭笵に関する記述がありました。その多くは中国銭を模した銭笵だったそうです。ここで疑問なのですが、元になる中国銭が精銭として認識されているものだとして、それの模鋳銭は精銭として受け容れられていたのか、それとも悪銭と認識されてしまうものだったのかです。鋳造したての銭貨はぴかぴか輝いていて、一見して模鋳銭と分かってしまいそうな気がします。また、既存の中国銭を母銭として鋳返すと元のものより小さな寸法のものができるそうですし、また錫の少ない青銅だとはっきりとは文字が浮き上がらないのだそうですから、精銭とは違うものと認定されそうな気がします。でも、手間をかけてわざわざ悪銭を私鋳するのもおかしな気もします。で、堺で出土したものの中には無文銭の銭笵があったそうです。無文銭は悪銭なのだろうと思うのですが、わざわざこれを製造したということは、精銭に似せる手間をかけても悪銭と認識されるものしかできないのならば、はじめから手間の少ない無文銭を作ろうということなのかなとも思いましたが、どうなんでしょう。

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