2009年6月28日日曜日

モノとココロの資料学


小野正敏・五味文彦・荻原三雄編 高志書院
2005年4月発行 本体2500円

ジュンク堂新宿店で何となく手に取ったところ、第1部「モノの資料論 ー銭ー 」に省陌法と撰銭に関する論考が載せられていて、つい購入してしまいました。ただ、それ意外にも面白い論考が載せられています。例えば、第2部の「絵画資料再論」。浮世絵の東海道五拾三次を、安藤広重は現地を訪れることなく過去の資料をもとに書いたのではという話題から始まって、絵巻物の傑作の一つである一遍聖絵について論じています。絵師が絵詞を読まず(絵詞を無視して)に描いている様子や、一般的なイメージに基づいて画面を構成した点などが明らかにされています。

「出土銭貨の語るもの」には18の遺跡から出土した一括出土銭に含まれていた銭緡のうち一緡の枚数が確認できたものの数が、枚数ごとにまとめて表にされています。全部で数百例。97枚と100枚にピークがあるので、省陌法と丁百法の両方が使われていたことが分かります。しかも、出土した遺跡の分布から、本州中央部である東国から中国地方までが省陌法、その北と西が丁百法だったとのことです。で、気になるのは丁度97枚、丁度100枚でない鎈の割合が決して少なくないことです。92枚というのもありますが、こういったものが一緡としてちゃんと流通できたのかどうかとても不思議です。またこんな風に枚数が標準より多いもの少ないものが存在しているということは、銭緡をつくる方法として、銭の枚数を数えて紐を通してまとめるというやり方以外に、重さ0.1貫目になるよう測りとった銭を紐に通すか、または銭を紐に通して長さが一定になったら一緡とするようなやり方があったのではと想像します。

「撰銭再考」では、撰銭・撰銭令を食糧の需給動向の変動との関連でとらえ直そうという21世紀になってからの新説に対する批判的検証がなされています。戦国期甲斐国の年代記として著明な常在寺年代記を材料に、撰銭の発生時期が不作・飢饉と必ずしも関連していないこと、かえって豊作の年にも撰銭が行われていることが示されています。なので、その批判は説得的だと感じられました。ただ、撰銭の「本質的な要因」は十二世紀以来の中世貨幣システム自体が行き詰まり、解体に向かっていることを意味するものと言えるとしていますが、これだけでは抽象的すぎて、撰銭って何?という問いに筆者なりの解答を示していることにはならない気がします。短い論考ですので、そこまで要求するのは無理なのかもですが、見通しくらいは示して欲しかった。

常在寺年代記には、撰銭・銭飢渇・銭ニツマルなどの表現や、また代ツカイヨシといった表現があり、それぞれ銭貨の混乱、順調な流通を表しているのだそうです。そこで気になるのは、こういった表現の無い年はどうだったのかということ。そういった年は、その地域での一般的に受け容れられている基準に従って銭貨が銭種ごとに悪銭・精銭に区別され、異なったレートで安定して流通している状況だったのかなと思うのですが、これも撰銭という行為はなされている状況ですが、混乱はしていないので特に年代記には記載されなかった。それに対して、悪銭・精銭を区別する地域での基準や、悪銭・精銭の交換レートに変化があった年は、その変化を地域のみんなが受容するまで銭貨の流通が混乱するので撰銭・銭飢渇・銭ニツマルなどと記述されたと考えてよいのでしょうか。

また、撰銭について素人なりにまとめてみると、
  • 良質な銭貨が十分に供給される状況にはなかった
  • 銭貨の不足から品質の低い銭(私鋳銭など)も使用されるようになった
  • 精銭と質の劣る銭貨が異なったレートで流通することになった
  • 地域によって精銭として選好される銭種が異なる現象が生じた
  • 商品売買や年貢など域外との送金に際して、地域ごとの精銭・悪銭およびその交換レートが異なっていることが混乱を招いた
という感じでいいのかしらん。

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