2009年9月17日木曜日

1968


小熊英二著 新曜社
2009年7月発行
本体 上巻6800円 下巻6800円

1968というタイトルですが、60年安保前後のセクトの分立から1972年のあさま山荘事件ころまでが描かれています。上下巻ともに1000ページ以上もある分厚い本で、本屋さんで初めて見かけた時には買うのをためらってしまったくらいです。でも実際に読み始めてみると、厚さのわりには読みやすく感じました。本書は雑誌や新聞、日記、回想、記録集などからの引用文を柱に構成されていて、それが読みやすさの一因かと感じました。発言や会話体の引用は感情移入を誘う作用もあり、例えば佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争で機動隊に暴行されて負傷し、放水でぬれねずみにされながらもデモを続ける三派全学連の学生に対して、共感した一般市民が食事やカンパを提供するくだりは、涙なしでは読めませんでした。また、ふつうの専門書に比較して表面が粗で少し薄めの用紙がつかってあるので、この厚さの本でも寝転がって読むことがそれほど苦でない重さなのも本書の特色。そして、面白かったので、おすすめです。

上巻では、1950年代の日本共産党の状況から60年安保での全学連の分裂から始まり、東大闘争までをざっと以下のような流れで描かれています。
60年安保以降、学生運動の沈滞と新左翼がより小さなセクトに分裂してゆく傾向がみられました。しかし、1967年の羽田事件での学生一名の死亡は多くの学生に衝撃を与え、1968年1月の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争などは市民からの共感をも得ました。また1960年代後半には、学費値上げ反対や学園民主化など各大学固有の問題が闘われ、一般の学生の広範に参加をみるとともに、慶大・中大での闘争は勝利をおさめました。
各大学の自治会は民青やセクトが握っていて、支配下の学生自治会の自治会費などがセクトの資金源だったそうです。しかし当初は、各セクトが学園闘争を軽視していたこと、複数のセクトが割拠して各学部の自治会を握っている大学があったこと、また民青は実力をもっての闘争には反対の方針を持っていたたこと、さらに日大のように学生の公認組織自体が御用団体だった大学もあり、自治会ではなくノンセクトの学生による全学共闘会議が闘争の中心となるケースが出現しました。
全共闘中心タイプの中で、大学の民主化を求めて闘われた日大闘争は、対大学当局的には成功を勝ち取りましたが、佐藤首相の政治介入でご破算にされてしまい、その後は迷走することとなります。また、医学部のインターン制度問題から発した東大闘争も、全共闘を中心として多数の院生も参加した全学的なものに広がり、大学側に全共闘側当初の要求項目のほとんどを受け入れさせるまでに至りました。しかし、全共闘側は処分撤回や制度問題では満足せず、自己否定・大学解体を掲げて政治的には拙劣な戦術で闘争を続けましたが、やがては多くの学生の支持を失い、各セクトの思惑もあって占拠の続けられた安田講堂も落城することとなりました。
日大・東大闘争が勝利とはいえない終焉を迎えたにもかかわらず、1969年には全共闘を名乗ってバリケード封鎖を行うタイプの大学紛争が、生きている実感を持てない日本各地の多くの大学の学生の間で大流行しました。しかしこれらの多くも目立った成果を上げることはなく、また大学外での闘争も政府・警察に押さえ込まれてノンセクトの学生は運動から離れてゆき、セクト間の内ゲバが激化して死者が出るまでになりました。

下巻は、高校の闘争、べ平連(ことえりもATOK2007もは”べへいれん”を一発では変換してくれませんでした)、そして連合赤軍、ウーマン・リブを取り上げ、最後に結論が述べられています。べ平連までは気持ちよく読めたのですが、連合赤軍の章に目を通すのはやはり気が重い。本書の対象としている時期、私は幼稚園から小学生でした(本書の著者もほとんど私と同年輩ですね)。安田講堂の攻防はTVで観た記憶があるような気もしますがはっきりしません。しかし、3年後のあさま山荘事件の強行突入については学校を休んで(かぜで休んだのか、TVを観たいから仮病で病欠したのか記憶が定かではありませんが)、TVで観ました。大きな鉄球が浅間山荘を破壊してゆく様子にはびっくりしました。でも、それ以上に驚いたのは、彼らの元の仲間が「総括」されてたくさん殺されていたことが明らかにされてからです。総括という言葉は流行語にもなりましたし、このリンチ殺人から当時の大学生や大人たちが、小学生以上にショックを受けたことは間違いないでしょう。本書ではリンチ殺人に至った事情が詳しく触れられていて、読むのがとてもつらい感じでした。

下巻の最終章では「『あの時代』の叛乱とは何だったのか」が論じられています。
一言でいうなら、あの叛乱は、高度経済成長にたいする集団摩擦反応であったといえる
好況期ではあったけれど、一種の閉塞感が非常にあったからだと思いますね。つまりこれから俺たちどうなんの? 何になれるのか? 社会はどうなるんだ? といった閉塞感がかなり強くあった
貧しい時代の日本で民主教育を受けて成長したベビーブーマーたちが大学生になった頃、高度成長による日本社会は激変していて、アイデンティティ・クライシスから自分探しのために叛乱を起こした。この彼らの心の問題を表現する言葉が当時は一般的に存在しなかったので、疎外論などマルクス主義のことばをつかって表現することになり、その結果この叛乱が政治的な運動であるかのように誤解されてしまった。また、彼らのもつ現代的な不幸は、戦争・飢餓・貧困といった古典的不幸とは違っていたので、親の世代にはなぜ学生たちが不満を持ち叛乱に走るのかが理解できなかった。ただ、学生たちは、日本社会はしっかりしているので自分たちの叛乱で動揺することはないことを自覚していて、学生の4年間が終わると卒業・就職していった。また、1968年にはアメリカ・フランス・西ドイツ・など他の西側先進国でも学生の叛乱がみられました。背景には大学生数の急増と地位の低下、ベトナム反戦運動が共通してありましたが、日本の叛乱とその他の国とでは違っているというのが著者の主張です。

また1968の成果として、
近代化し管理社会化した経済大国日本と、そこで豊かな経済的果実を享受する「日本人」(マジョリティ)が貧しいアジアとマイノリティを差別し搾取し、管理社会からはみ出した人びと(不登校児や障害者など)を抑圧している
という「1970年パラダイム」ができあがったことも著者の主張のひとつです。1968という本を21世紀の今書いたのは、1990年代以降の日本の経済停滞が「1970年パラダイム」を無効にしてしまったという問題意識があるからなのでしょう。

1968 の感想の続き

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