2009年9月26日土曜日

近代日本の国家構想


坂野潤治著 岩波現代文庫 学術228
2009年8月発行 本体1200円

1871ー1936というサブタイトルがありますが、通史ではありません。第一章では、明治維新の革命目的でもあったナショナリズム・工業化・民主化という三つの立国の原理をキーに明治十四年の政変までが分析されています。これら三つを同時に追及することは明治初年代の日本の能力を超えていたので、どれを重視するかで、政治勢力が三つのグループに分類されます。このうちナショナリズムを重視する「新攘夷派」は、征韓論を唱え、台湾出兵を実現しますが、西南戦争に敗れて姿を消します。「上からの工業化派」も、西南戦争後のインフレーションと貿易収支の悪化から、官営企業の払い下げを余儀なくされるなどして挫折します。そして、「上からの民主化派」も国会開設運動の高まりを背景にしながら、明治十四年の政変で国会開設が十年後に先延ばしされて、挫折することになりました。全然うまく要約できてませんが、読んでみるとなかなか鮮やかな分析と感じました。

第二章では、イギリス流の議会政治を目指して論陣を張った福沢諭吉や徳富蘇峰(この頃はウルトラナショナリストではなかった)を軸に、保守・革新との三極構造で明治十四年の政変以降の政治史を描いています。

第三章では、穂積八束、美濃部達吉、吉野作造、北一輝などの明治憲法の解釈が論じられています。内閣制については、明治憲法の制定に携わった人の中でも、例えば伊藤博文、井上毅のように、内閣が連帯して輔弼の任に当たるのか、各国務大臣がそれぞれの職掌について単独で天皇を輔弼するのか、見解が一致していなかったそうです。美濃部達吉は、明治憲法を内閣中心的に解釈することを主張しました。彼が兵力量の決定に内閣が関与すべきとしたのも、政党内閣を擁護したのも、内閣が国政の中心にあるべきとの考えからだったそうで、政党内閣の基礎となる議会については必ずしも重視してはおらず、普通選挙にも必ずしも賛成ではなかった(一人一人の能力が異なるのに、参政の権利だけ平等に与えられるのはおかしいという考え方)とのことです。たしかに、敗戦後の日本国憲法審議の際のことを考えると納得。

井上毅や穂積など、内閣中心的な考えを拒否する天皇大権論者の存在は不思議に思えます。国務の各省や陸海軍や枢密院といった分立する機関をコントロールすることができるのが天皇だけという制度には無理があると思うのです。天皇も生身の人間ですから、幼少だったり、病気になったり、認知症になったりした時どうするつもりだったのでしょう。摂政をたてることができるから問題ないと思っていたのでしょうか。それに、もし超専制的な天皇が即位したりしたら、危ないとは思わなかったのでしょうか。押し込めちゃえばいいと思っていたんでしょうかね。

第四章では、政友会を保守的に、民政党をイギリスの自由党のごとくに、それと労働組合・無産政党の右派をからめて、護憲三派内閣の成立から二・二六事件までが扱われています。著者自身、政友会=悪玉、民政党=善玉として誇張して書いたとしていますが、この解釈自体は私も好きです。なので、田中内閣の辞職後の民政党内閣が金解禁政策を看板としてしまったことを、著者同様、残念に感じます。また、五・一五事件でただちに政党内閣復活の目が無くなったわけではなく、民政党・社会大衆党の支持があった岡田内閣期は政党内閣期と延長としても考えることができるという考え方にも頷かされました。

この本は、元々1996年に出版されたそうです。2009年8月に文庫として出版されるに際して、政権交代を伴う二大政党制という福沢諭吉の夢が叶うだろうとと著者はあとがきで書いています。私も、戦前の政治史の本を読む際には現在のことを気にして読んでいます。自由民主党が政友会で、民主党は民政党にあたるのかなぁとか。

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