2009年9月23日水曜日
宋銭の世界
伊原弘編 勉誠出版
2009年8月発行 本体4500円
以前「『清明上河図』を読む」という本を読んだことがあります。これは本書の編者がアジア遊学という雑誌の特集を本にしたものでした。本書もやはりアジア遊学の特集を本にしたものだそうで、銀や紙幣や算数教育などなども対象とした13本の論考が載せられています。
「国際通貨としての宋銭」という論考は、宋の社会では銭貨が不足していたという通説に対して疑問を呈しています。なぜなら、宋銭の大量に鋳造された北宋の時代に物価は次第に上昇していて、銭貨が不足しているなら物価が低下するはずなのにとのことです。もちろん、ある地域やある時期には不足していることもあったでしょうが、一般的には銭貨は過剰だったのだろうと。また、北宋銭が大量に東・東南アジアへ輸出されたことについても、銭貨は素材価格よりも高い額面を持っているので、銅銭を輸出して海外からモノを輸入することが有利だったからと説明してあり、納得してしまいます。
論考のうちの2本は古銭の収集家(古泉家という優雅な呼び方があるそうです)が書いています。「北宋銭と周辺諸国の銭」では、銭貨の大まかな分類や、銭の各部分の呼び名や、鋳造法などが説明されています。「江戸時代の古泉家と古泉書」では江戸時代の古銭収集家(その中には大名もいました)の成果とその出版物が紹介されています。趣味で古銭を収集・研究している人たちは、ある点では考古学者や歴史家よりもずっと深い知識を持っているわけで、そういう知識がもっと活かされればと感じます。
というのも、むかし、ある著名人の遺した明治から昭和までの大量の書簡を整理している人と話した時に、封筒の消印を見ても年号がないので、年号が書かれていない手紙では昭和と大正の区別が難しいことがあると聞いたことがあります。この問題は切手を見ればほとんどは問題解決するはずで、同じ図案の赤い三銭切手でも大正と昭和では、すかしの有無や印面の大きさや用紙に色つき繊維が混入されているかどうかなどでほぼ確実に大正と昭和を区別できると思ったからです。
銭貨がテーマなので、やはり省陌法や撰銭に関する論考もありました。「宋代貨幣システムの継ぎ目」という論考では、宋代の短陌慣行がとりあげられています。国家財政に使われる77文省陌は銭貨不足に対応して1.3倍のデノミ政策だったとする説や、都市の市場でつかわれた75・72・68・56文省陌などは77文省陌から各商品の税金をさしひいたものという説などが紹介されています。紹介している筆者自身は必ずしもこれらの説に満足していないようですが、私は説得的だと感じたので原著を読んでみたくなりました。
撰銭については「日本戦国時代の撰銭と撰銭令」という論考があります。撰銭が可能なのは銭文が読めるからだという指摘には全く同感です。ただ、その他の主張はどうも冴えない印象です。この論考で筆者は、「撰銭は超時空的に存在する。問題は、日本では戦国時代に入り撰銭令が頻発する点にある」と書いています。たしかに、戦国時代に荘園領主や寺院や戦国大名から出された撰銭令がいくつも紹介されてはいます。頻発していると筆者は言いたいのでしょうが、単に統一政権がなかったから、狭い範囲でしか通用しない撰銭令がばらばらに各所から出されていただけで、これを頻発と呼ぶべきかというと疑問です。また、撰銭令の目的について筆者は、「食糧需給ー価格抑制策としての位置づけ」があるとしています。戦争や飢饉などの食料価格高騰時には、支払うための銭の量が不足する銭荒となってしまうので、それを緩和するために撰銭令が出されることはあったのかも知れませんが、価格抑制策と呼んで良いのかどうかはやはり疑問です。さらに、筆者は「すべての撰銭令がこのような性格を持つということではない」とか「撰銭令の各事例間の性格の差異に自覚的な分析が必要であり、全ての撰銭令の性格を一元的に説明することには慎重たるべき」などと書いていて、読者としてははぐらかされた感じです。
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