2010年10月2日土曜日

そんへえ・おおへえ

もともと1949年に青版16で発行された新書が特装版で再発売されたものです。先日読んだ戦後日本人の中国像に触発され、中古品を入手して読んでみました。タイトルのそんへえは上海の現地での発音を写したもの、おおへえは上海郊外の下海の現地語読みなのだそうです。
内山さんは大学目薬の中国での販売のために上海に住んでいました。内職と書かれていますが、最初は自宅で百冊足らずの本を並べて本屋さんを始めたそうです。ご夫婦ともキリスト教徒で、キリスト教関係の本を売るつもりだったそうですが、この当時の上海には日本語の本を売る店が他にはなく、間もなくふつうの日本語の本の方が多くなり、売り物の数が増えて店舗を構えることになりました。内山書店では現金売りだけでなく、掛け売りを日本人だけでなく中国の人に対してもおこなっていたので、しだいに中国人のお客さんの割合が増えて行ったのだそうです。上海の内山書店は有名なので私も名前は知っていましたが、こういうお店だったのですね。それと、中国の本を売る神保町にある内山書店は、内山さんの弟さんにすすめて開店させたものなのだそうです。
上海内山書店創業記のほかに、エッセイ風に中国での経験が語られ、面白く読めました。また、その中には上海・中国の日本人の中国人に対する優越感やそれに由来する行動がえがかれ、彼がそれに対して同調できなかった様子も記されています。これは、敗戦後に書かれたものだからという訳ではなく、著者が以前からそういう態度でいたことは中国の人たちの内山書店に対する評価が証明してくれているものと思われました。
別に反政府活動をした人というわけでもないのに、郭沫若が日本から中国に逃げた事件に関連して、日本帰国中に特高に拘束され留置場で数日過ごすことになった経験が書かれていました。著者自身は特にその件に関与していなかったそうで、事情を聞くという名目で留置場に入れてしまうような無茶苦茶がまかり通る嫌な国だったわけですね。



日中戦争中のあるエピソードの項で、日本側地区とそうでない地域との間で、時間がかかるけれども手紙の行き来はあったし、郵便為替で送金もできたことが書かれていました。日本側が確保できていたのが点と線(都市と鉄道)だけだったからなんでしょうか。

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