2011年1月25日火曜日

北の十字軍


山内進著 講談社学術文庫2033
2011年1月 本体1150円

キリスト教を受容したゲルマン人によるフランク王国の成立で、今あるヨーロッパができあがったような気がしてしまいます。しかしその東方には広く異教を信じる人たちが住んでいて、それら東方の地をも併せて現在のヨーロッパが出来上がったわけですね。バルト海沿岸のプロイセンからクールラント、リヴォニア、エストニアまで、ローマ・カトリックを奉じるラテン・ヨーロッパの東と北への拡張を担ったのは、もうひとつの十字軍とも言える活動だったことを教えてくれる本です。
デンマークがバルト海で力を持っていたこと。異教徒を改宗させてキリスト教を広めるという名目で教皇から教勅を授けられ、この地域に統治する領域(国家)までも獲得し、その国家を守るためにキリスト教ヨーロッパに十字軍を募ったドイツ騎士修道会。騎士修道会国家の圧迫(非道)に抗するためにポーランドとリトアニアが同君連合を形成したこと。その連合との決戦に敗れてドイツ騎士修道会国家が危機に陥ったことなど。これまで個々のエピソードは耳にしたことがあっても、その脈絡がはっきりしなかったのですが、本書を読んでよく理解できました。
また、本書の対象となる年代は日本で言えば鎌倉時代にあたりますが、ドイツ修道会は異教徒が相手ということで殺戮・奴隷化・略奪などなど、かなり惨いことを平気でたくさんしていたことを知り驚かされました。たとえば、軍旅と言う異教徒の土地への略奪行が定期的に実施されたそうですが、
軍旅は、聖戦としての宗教的性格を大幅に喪失しつつあった。それは、中世後期の騎士たちの楽しむ一種の「サファリ」であり、軍事的スポーツであった。アンリ・ピレンヌによれば、それは、もはや単なる「人間狩り」にすぎなかった。
などというのを読むと本当にびっくりします。「異教徒」と呼ばれた側もお返しに同じようなことをしたのは確かですが、「正しい聖なる戦争」の実態は読んでいてとても同感できるものではありませんでした。この地域には住民が安住できない期間が長く続いたわけで、より安定した生活と資本の蓄積が可能だった地域と比較すると経済的に差がついてしまったのかなと感じます。長期の16世紀以降にこの地域、東ヨーロッパ(中央ヨーロッパと呼ぶべき?)が、西ヨーロッパを中心とする世界経済によって周辺化された遠因の一つがこのあたりにあったりはしないものかとまで感じてしまいます。
また、十字軍を募り聖戦を続けるためには、異教徒にキリスト教へ改宗されるとかえって困る事情がドイツ騎士修道会側にはあったのだとか。さらにタンネンベルクの敗戦後にコンスタンツ公会議で騎士修道会は、ポーランドの教会法学者からそういった矛盾点を、異教徒も神の被造物で殺害や盗みの対象にしたりは非合法で、キリスト教信仰の強要もいけないことだと鋭く衝かれたのだそうです。著者は、この公会議でのポーランド人教会法学者の主張が異教徒の権利を擁護するものであり、国際人権思想の先駆者として高く評価しています。コンスタンツ公会議は1414年のことで、日本なら南北朝時代にそんな主張をした人がいた訳ですから、著者の評価にもなるほどとうなずかされます。
本書の冒頭ではアレクサンドル・ネフスキーが触れられています。彼はプスコフを襲ったドイツ騎士修道会を氷上の戦いで打ち破ったことで有名で、エイゼンシュテインが映画化もしました。しかし、史実としてみると
チュード湖「氷上の戦い」は、スケールの点からみると、それほど大きなものではなかったと思われる。しかし、その歴史的意義は少なくない。なによりも、この戦いによって、ドイツ騎士修道会が東への展開を完全に断念したことは重要である。その結果、東北部における「(カトリック)ヨーロッパ」とギリシア正教会世界との境界線がほぼ確定した。
とのことで、勝利の伝説とは別に、ロシアがヨーロッパとは異なる独自の途を歩むことを決定づけたという点で、遠い東アジアの私たちにとっても重要な戦いだったわけですね。




また本書のエピローグでは、異教徒の土地に出かけてキリスト教を布教するという名目で行われた北の十字軍の精神が、新大陸の征服やその他のヨーロッパの植民地での所行のもととなっているのではないかということ。そして、それを抑制するような異教徒の人権を擁護する議論があったことともあわせて、著者は指摘してくれています。奥が深い、非常に勉強になる本でした。

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