ジョバンニ・アリギ著 作品社
2009年2月発行 本体5200円
長い20世紀というのは、もちろん単に長く感じられる20世紀という意味ではなく、ブローデルのいう長い16世紀などと同じ意味の使い方で、アメリカ覇権の時期を指しています。このアメリカの覇権の時期の特徴を明らかとするために、まず著者は資本主義の蓄積システム・サイクルという考え方を提示します。 本書は分量的には長い20世紀についての本というよりも、資本主義の蓄積システム・サイクルを過去の3つもふくめて説明している本という感じです。
イタリア都市国家の繁栄をもたらした13世紀から14世紀初期のユーラシアの交易拡大の終了後に出現した第一サイクルでは、領土主義的な組織であるイベリア半島の政府と政治的な交換の関係に入ることにより、保護を受けることに成功したジェノバの金融業者のネットワークが主役となりました。第二サイクルは、権力を指向する政府組織をみずから保持することにより保護コストの内部化・節約を行い、アムステルダムを世界の倉庫とすることに成功したオランダのサイクル。第三サイクルは、生産過程の組織化と合理化をはかる産業主義で生産コストの内部化を実現し、世界の工場と中継地とを両立したイギリスのサイクル。そしてその後に、垂直統合・経営管理により取引コストの内部化に成功した企業資本主義のアメリカの第四サイクルが出現しました。著者は、
私たちの蓄積システム・サイクルという考え方の基盤は、資本主義世界経済のあらゆる主要な発展の成熟には、その前触れとして、商品の交易から金銭の交易へ特有の移行が伴っていたというブローデル説である。と述べています。蓄積システム・サイクルは、生産拡大の局面とそれに続く金融拡大の局面とから構成されているわけです。本書は本文540ページほどなのですが、最初の370ページは第一から第三サイクルの解説に当てられていて、第一から第三サイクルにおいて金融拡大の局面が新たなサイクルの出現の予兆だったことを明らかにしてくれます。なぜこうなるのかというと、
金融拡大の需要と供給の諸条件が、このように繰り返し、大よそ(ママ)一致することには、貿易の拡大に投下される資本への収益が低下し、同時に資本主義的組織と領土主義的組織の両者に競争の圧力が強まる傾向が反映されている。この諸状況の組み合わせによって、ある主体(一般的に資本主義的)は、現金の流れの方向を貿易システムから信用システムに転じて、貸し付け可能な資金の供給を増やそうとする。別の主体(一般に領土主義的)は、いままで以上に競争的な環境で生き延びるために、必要な追加的資金源を借金によって追及し、貸し付け可能な資金の需要を増やそうとする。からなのだそうです。こんなに長い前説が必要だったのは、第四のアメリカ・サイクルでも同様のことが言えると主張したいからですね。第二次大戦後の復興に続く繁栄と拡大の四半世紀のあと、ベトナム戦争での失敗、オフショア金融市場の拡大、金ドル本位制の放棄、変動相場制への移行などは第四サイクルが金融拡大局面にはいったことを示しているのだと著者は述べています。そして「終章 資本主義は行き延びるか」の中でこのアメリカ・サイクルの危機に対する結末として
- 資本主義の歴史の流れで金融拡大期間に管制高地の番人が交替したが、アメリカがそれに抵抗して真に地球的な世界帝国を形成して真本主義の歴史に終止符を打つ
- 東アジア資本が資本蓄積のシステム過程の管制高地を占拠する
- 冷戦世界秩序の消滅に続いて起こった暴力のエスカレーションの恐怖の中で燃え尽きてしまう。混沌の中で資本主義の歴史も終わりを迎える
の三つを提示しているのです。ただし、終章では東アジアに資本蓄積の中心地がシフトしていることが強調されていて、原著執筆時にも2番目のシナリオを著者はあり得べきものとして想定していたのでしょう。原著は1994年に出ているので、その段階では東アジアを日本を中心とする「資本主義群島」と描いています。歴史的にはそれで正しいと思いますが、その後の十数年で様相は大きく変わり、次のサイクルの主役となりうる東アジアの代表は中国に違いありません。本書は日本では2009年に発行されたので、日本語版序文には
現在進行中のグローバル政治経済の変化からみて『長い20世紀』を書いた13年前以上に、東アジアを中心とする世界市場というシナリオの方が、ありえそうだ。と著者の弁明が述べられていました。本書を手にしたのは、著者の新著「北京のアダム・スミス」を書店で目にして、まずこちらからと思ったからでしたが、「北京のアダム・スミス」の方にはその点もっと詳しく述べられているのだそうです。いずれにせよ、著者の主張の当否を判定するためには、いまのサイクルの再構築の結果がどうなるかを見届けるまで長生きしなければならないわけですが、年齢を考えると私には不可能そうです。
日本人からみると、毒入り餃子とか尖閣諸島中国漁船衝突事件での対応など気になる点はありますが、中国の指導者はおおむね自制的な人たちなのは確かでしょう。でも、とても民主主義国とは思えないし、メラミン樹脂粉ミルクとか下水再生食用油とか海賊版などにみられる中国の市民の民度などを思うと、中国がリードする世界に危惧を感じないわけにはいきません。また、少子高齢化・国内での地域間階層間格差・流民現象など中国の抱える問題も少なくなく、移行がスムーズにいくのかどうかもとても心配です。イギリスからアメリカに覇権が移行する過程で、イギリスをはじめヨーロッパの人たちはどう感じていたのでしょう。アメリカ合衆国はヨーロッパ、とりわけアングロサクソンの出店ですから、それほど不安は感じていなかったのか、または二つの世界大戦でそれどころではなかったというのが真相かな。
2 件のコメント:
次の主役をアジア、とりわけ中国に持っていくのは少々強引な気がします。
というのも現状で中国やアジア諸国の資本経済システムに目新しさはなく、20世紀のアメリカ型の企業資本主義経済の中で本書が書かれた1990年代初め、あるいは現時点においてたまたま勢いがあるに過ぎません。
本書の論によればまだ見ぬシステムを構築して企業資本主義に対抗できた国あるいは経済圏が次の主役になるのだろうと思います。
目新しさがないとい点はご指摘の通りだと思いますが、まだまだ「まだ見ぬシステム」の構築が視野に入らない現状では中国が主役の一人になることは当然なような気がします。19世紀から20世紀にかけての歴史をふりかえっても、人口と経済規模の及ぼす影響は大きかったと思うので。
また、できれば「まだ見ぬシステム」がどんなものになるのか一目でいいから見てみたい気がします。でも、私の生きているうちには実現しないんでしょうね。
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