2011年8月16日火曜日

液晶の歴史







デイヴィッド・ダンマー、ティム・スラッキン著
朝日選書882
著者二人は説明の手段として、あまりに個人に立ち入ったやり方の有用性へのはっきりした疑問や、まじめな題材への紳士気取りのこだわりをもっているにせよ、ほんとうのところ、われわれも皆と同じゴシップ好きだということだ。読者はこの物語で個人についての詳細を語っていることに気づくだろう。ある人がどうやって発明にいたったかとか、なにが彼らを動かしたかとか、有名になってどういう態度を取ったかだとかだ。
と終章で著者は述べていますが、その通り。本書には液晶についての簡単な科学的な解説も各所に述べられていますが、主な内容は、19世紀末のボヘミアでの発見から、ドイツ、フランス、イギリス、ロシア、アメリカでの研究の歴史と、アメリカや日本での液晶を応用した製品の開発までを描いた物語です。しかも、ゴシップ好きな著者の手になる物語ですから、読んで面白い作品でした。また、49ページもある索引、注、文献リストに加えて、用語集、年表も載せられ、選書としては分厚い600ページ近い、読みがいのあるしっかしりた本に仕上がっています。また、訳者の鳥山和久さんも1960年代からの液晶の研究者だそうですが、本書のラストには訳者の書いた「日本における液晶技術の開発」という文章が載せられています。ほとんど液晶科学の研究者がいなかった日本ですが、RCAの液晶ディスプレイの発表が刺激となって、多くの企業・大学で研究が始まり、電卓のディスプレイからテレビへと進んでいった物語が描かれていて、こちらも興味深く読めました。本文ともあわせてお勧めな本です。
訳文で気になったところ。
211ページから、ルドルフ・フィルヒョーという人が出てきます。これは医学の分野ではウィルヒョーとして有名な人で、医者ならだれでも、この名前を聞いたことがない人はいないだろうというくらい有名な病理学者です。フィルヒョーと訳されると違和感ありです。
229ページに「1933年の王立研究所の第一回ファラデー研究会は、彼が液晶の舞台に現れてからほぼ40年後のことだった」とあります。この彼は1902年生まれのローレンスさんなので、どこかおかしいような。1933年の会のことではなく、1971年の彼の死去後に開催された会のことのようです。
380ページには「レオニード・ブレジネフ大統領」とあります。当時を知るものとしては非常に違和感ある訳です。これを読んだ時、訳者はかなり若い人なのかなと思ったのですがそうではありませんでした。なぜブレジネフ書記長としなかったのか。原文がpresidentだったのかも。
402ページの「東南アジアでの新しい電子装置への熱中ぶり」は、原文でもsouth east asiaなのでしょうか?日本をはじめとした東アジアのことを書いているような章の中にある文なのですが。

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