2011年8月20日土曜日

日本陸軍「戦訓」の研究




白井明雄著
芙蓉書房出版
2003年2月発行

戦訓報は昭和18年6月から発行が始まった日本陸軍の逐次刊行物で、戦訓速報・特報などと名付けられたものもあわせると、総数300ほどになるのだそうです。著者は元自衛官の方で、ガダルカナル戦以降の対米戦の連戦連敗の原因を探るためにこの戦訓報を研究し、戦訓報の「戦訓」を「陸戦研究」誌に発表し、それをまとめたのが本書なのだそうです。出版社も芙蓉書房出版ですし、もともとは読者として自衛官を想定していたはずで、素人の私には専門的な戦術の理解などは無理ですが、あまりつまづくところなく読めました。興味深く感じた点をいくつか紹介します。
太平洋正面は海軍の担当で、十七年八月に生起したガダルカナル戦とそれに続いたソロモン・ニューギニヤの戦いも海軍への協力と軽く考えていた上陸防御戦は、対ソ戦を念頭に構成一筋に錬成してきた日本陸軍にとって、全く新しい問題であった
こういった研究は平時から自死されていて当然だと思うのですが、日本陸軍が平時に行っていたのは対ソ戦の研究で対米戦は真剣に検討されてはいなかったわけですね。アメリカ相手に守勢に立たされたことではじめて戦訓を全軍に広めることの必要性に思い至ったわけですね。 発行開始が昭和18年6月ですから、気づいて行動に移されたのは開戦後一年半も過ぎてからのことで、戦争の経過を知っている者からすると、反応が鈍すぎると感じてしまいます。しかも著者によると、「絶対国防圏」構想への戦略転換からサイパン戦までは、「我が陸海軍がともに勝利の希望を持って対米戦に取り組んでいた時期」だったのだそうです。ガダルカナルからの撤退以降も希望をもつ人が多数だったということは不思議に感じます。しかし、サイパンの失陥は一大転機で、「海軍航空、特に空母戦力の壊滅によって、南方資源地帯と日本本土との連絡は切断の危機に曝され、戦争の継続は絶望的とな」りました。それまでは戦訓報で水際撃滅のための準備と実行が勧められていましたが、 サイパン玉砕でその欠陥が明らかになって「縦深陣地を絶対に必要とす 複郭陣地は之を準備し置くを要す」と方針が変わったのだそうです。
弾薬資材をほとんど無計画無制限に浪費す 砲爆撃は目標を確認することなく存在を推定する地域に猛烈に実施す
日本軍の白兵戦を狙った斬り込みに対して、アメリカ軍は突撃破砕射撃と呼ばれる対応をとりました。緒戦期に得た資料からこの突撃破砕射撃の存在をつかんでいたのに、その危険を部隊にしらせ、突撃に対しては突撃破砕射撃が実施されることを戦訓報で警告しておくことができませんでした。実際に実施された突撃破砕射撃について、当初は「無計画無制限に浪費」と批判的に書かれていました。無計画無制限に浪費できるほどの弾薬を補給できる能力こそ恐るべきことだし、うらやましいことなのにね。
米軍と支那軍の比較 対支戦闘に於いて戦果を挙げた部隊も米軍の弾丸鉄壁に対しては攻撃意の如く進まざることあり
中国戦線から島嶼の防備に転用された部隊が多かったようですが、はじめて強い軍隊と対峙して自軍の実力を知ることになった様子が分かります。
熾烈なる砲爆撃に対し毅然として守地を護らしむることは精錬なる軍隊にして初めて期待し得るべし 我が軍隊の現状は遺憾ながら離散掌握を脱するものきわめて多し相当兵力の軍隊にても訓練精到ならざるに於ては全く行方不明となりし部隊さえあり 軍隊の精練及幹部の掌握力等は実に予想外なり
これはサイパン戦についての記述ですが、日本陸軍は精神力を強調していましたから、ヒトが正直に反応してしまうほどのひどい状況に直面させられてしまったのでしょう。
海軍航空ハ闘志旺盛、戦技極メテ優秀、電探ノ能力優秀、未ダニ奇襲ヲ受ケタルコトナシ 上陸防御ニ関シ必勝ヲ確信ス
これはトラック空襲についての戦訓報の記述ですが、真相を知る後世の者からすると、弱い海軍に対する皮肉のつもりなのかとも思えるくらいです。戦訓報が士気への影響を配慮して書かれていたことと、戦訓報の材料となる戦闘詳報・戦闘要報自体が弱音を吐いたと思われたくない心理で書かれていたことなどから、こういった記事が出現してしまうのでしょう。著者は「『戦訓特報』は、戦法創始の必要を強調しながら、真実を知らせる点に重大な欠陥があった。真相をボカシあるいは曲げた指摘が多かった。敵砲爆撃の過小評価、我が肉攻・斬込・戦車威力の過大評価等がそれである。士気への配慮もあったであろうが、より根本的には「教育」への配慮を優先したためではないか」と思いやりをもって評価しています。
戦況逼迫せる時期に於て直接戦闘に必要なる築城の完成を見ざるに兵力の大部を以て飛行場作業其の他の土工作業に従事せしむる等のことなきを要す
飛行場の存在する要地・島嶼を防衛するために陸軍部隊が駐屯しているわけですが、戦争が末期に近くなるにつれて、日本側の航空機が無力なこと、すぐに無力化されてしまうことが明らかになり、飛行場の存在自体がお荷物として感じられるようになってしまったようです。
本書は日本陸軍の「戦訓」研究ですが、組織の戦訓研究という点では、現在の組織、例えば私自身の勤務先にも当てはまる点がたくさんあります。ビジネス書として銘打って売られている本に戦争中のことが材料として使われるのも無理無いのかなと感じました。最後に、日本陸軍にも小沼治夫少将という「精神力過大評価の弊」をならした陸大の教官がいたことを知ったのも、本書の収穫のひとつです。

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