J・R・マクニール著
名古屋大学出版会
2011年9月 初版第一刷発行
20世紀の歴史において「人類による環境変化は、世界大戦、共産主義、識字率向上、民主主義の拡大、女性解放より重要であった」という評価で、主に20世紀の環境の変化とそれに伴う歴史的状況が概説された本でした。第I部「地球圏のミュージック」では、岩石圏・土壌圏、大気圏、水圏、生物圏のそれぞれにどんな変化が生じたのか20世紀以前も含めて記載され、第II部「変化のエンジン」では、人口増加・都市の拡大、エネルギー利用技術の変化、政治など環境の変化をもたらした要因が挙げられています。そしてエピローグ「ではどうするか」では、 歴史学と生態学の統合により過去のより良い理解が得られるようになり、それが現在の状況と可能な未来についてのより良い考察をもたらすだろうという著者の考えが述べられていました。マクニールという名前には聞き覚えがありますが、本書の著者はあのH. McNeilさんの息子さんでした。
第I部では、19世紀以来のヨーロッパ、アメリカ、日本といった先進国での環境悪化の事例に加えて、規制の緩い発展途上国への環境破壊の輸出、20世紀末の中国など新興国での環境汚染など、満遍なく取り上げられています。足尾銅山の鉱害、水俣病、イタイイタイ病など日本の有名な事例も扱われています。同時代的に悲惨な状況の報道を見聞きしたものもあって日本の公害は特別にひどいものなのかと感じていましたが、世界中の多くの同様な事例の中に含めて記載されているのを読むと、日本の環境破壊・公害には日本なりの特殊な要因(「科学目的」の名の下に捕獲することによって商業捕鯨モラトリアムから免除された数千頭のクジラは、結局寿司屋で消費されたのである、なんていう辛口の記述もあり)もあったのでしょうが、世界史にみて突出してはいないレベルの出来事だったのだと思えるようになりました。
「1990年代の初期にこの書物に関する研究を始めたとき、20世紀のグローバル環境史を形成している最も重要な力は人口増加であったと、私は信じていた。しかし、研究を終えたとき、私の考えは、化石燃料によるエネルギー・システムが現代の環境史の背後に潜む最も重要な単一の変数であるというように変化した」と書かれていますが、化石燃料の大量使用、化石燃料の中での石炭から石油への転換が環境史に大きな影響をもたらしました。エネルギー源として石炭が中心だった時代には先進国の都市とその周辺の汚染が主でしたが、石油がエネルギー源となると工業都市だけではなく、自動車、農業、森林伐採、鉱業でも広範囲に利用され、タンカーによる海洋汚染、ひいては二酸化炭素濃度の上昇による温暖化がもたらされました。すでに周知のことがらだからなのでしょう、温暖化現象そのものに関する記述は多くはありませんでした。
日本語版への序文には、21世紀になってからのことも少し触れられていて、20世紀の後半にエネルギーの効率的な利用が進められた結果、先進国ではバイオマスを含まない商業的なエネルギーの使用が2000年代には減少し始めたこと、世界全体の総エネルギー使用量も、この数十年間で初めて、2009年に実際に減少したことが書かれています。これで、めでたしめでたし、となるかというとそうではないようです。「この10年で最も重要な経済的・地政学的な変化は、中国の台頭、あるいはおそらく中国とインドの台頭である」「酸性化の主な地域は東アジアに移り、二酸化炭素排出の最大の原因は、今や中国である。世界のコンクリートの半分は中国に注がれている」「急速な環境変化に関連したほとんどすべてのことは中国と関連しているようだ」と述べた後で、「21世紀の環境史のための最も重要な意思決定は、おそらく北京でなされるであろう」と著者は中国の重要性を強調しています。人口や経済規模の大きさの点のみならず、中国が世界システム的な覇権国になりそうなことからも、地球環境の行方を決めるのが中国になるというのはもっともな話だと感じました。著者は「日本と中国のように、お互いに不信感をもつ隣国どうしの協調は困難であることが判明した」としていますが、アメリカと中国の間にある日本は他の国以上に21世紀の舵取りが難しい。
本文中で原子力に関して「商業的に意味のある原子力発電所などどこにもなかった。つまり、原子力発電所はすべて、巨大な補助金という「正気でない」経済学に依存して生き残っている」と言及されていましたが、チェルノブイリを含めても割かれたページ数は多くはありません。しかし著者の姿勢からは、 もしこの本がFukushima後に書かれたものなら、原子炉の事故だけでなく、ウラニウムの採掘・燃料への加工にともなう環境汚染、原子力発電による放射性廃棄物、廃炉の困難性といったことも含めて一項たてられたのだろうと感じます。
世界中を見渡すとどんなものなのかを把握させてくれるという意味で、よくできた概説書だと感じます。日本のFukushima後の状況をみていると、この期に及んで原子力発電を維持・擁護しようとする勢力が日本国内に根強く存在していることに驚きますが、本書はそういう人たちが20世紀の環境破壊・公害を隠蔽・糊塗しようとした努力が結局は成功しなかったことを学ぶ教材としても優れていると思います。
ただし、この本の日本語はお粗末です。理解しにくい、こなれてない日本語というレベルの文章は多すぎるので無視するにしても、あきらかにおかしいと感じる点が少なくありませんでした。気づいただけでも下表の通り。監訳者として2人の名前が掲載されていますが、出版前の原稿に目を通しているのでしょうか。目を通しているのなら無能と呼ばれても仕方がないし、チェックしないで名義貸しだけしているのなら言語道断。また名古屋大学出版会はしっかりした本屋さんのはずなので、こんな状態のままで印刷・発売しちゃうのはまずいでしょう。担当の編集の人はチェックしないのかな?
ただし、この本の日本語はお粗末です。理解しにくい、こなれてない日本語というレベルの文章は多すぎるので無視するにしても、あきらかにおかしいと感じる点が少なくありませんでした。気づいただけでも下表の通り。監訳者として2人の名前が掲載されていますが、出版前の原稿に目を通しているのでしょうか。目を通しているのなら無能と呼ばれても仕方がないし、チェックしないで名義貸しだけしているのなら言語道断。また名古屋大学出版会はしっかりした本屋さんのはずなので、こんな状態のままで印刷・発売しちゃうのはまずいでしょう。担当の編集の人はチェックしないのかな?
ページ | 本書の表現 | 私の意見 |
7 | 人は化学エネルギーから力学的エネルギーへの変換者としてウマよりも効率的であったので、大型家畜は産業革命以前においては幾分贅沢な者であった | 「人」でなくヒトとすべきでしょう、この例は他にも散見 |
10 | バイオマス燃焼も常に汚染源であったが、化石燃料はさらに応用的であったため | 「応用的」という単語は一般的ではないと感じます。原著ではpracticalでしょうか?用途が広かった、くらいに訳すべきでは |
93 | 水文学者に従えば、水使用は灌漑、産業、行政の三つの主要なカテゴリーに分けることができる | 行政ってどういう意味?水文学特有の用語なのでしょうか |
104 | 古川市兵衛 | このページには5回も古川と印刷されているでので、単純な変換ミスではないようです。こんな有名人の姓を誤るとは! |
104 | 鉱山尾鉱 | はじめてみる単語、意味が分からない |
112 | アドリア海北部およびその他の地域における赤潮の頻度の増加と激しさは、水を濁らせて、特定の海草(Poisidonia oceanica)の生息地となる深海を減少させた | 海草の生息地となる深海って?海草は日の光の射さない深海で生活できる? |
125 | パキスタンは1人当たり1600万ヘクタールの灌漑土地を所有していた | 1人当たり1600万ヘクタール? |
133 | イギリスの首相アンソニー・エデン | 正しい発音はエデンに近いのかも知れませんが、ふつうはイーデンとしてますよね |
175 | 492年以降のユーラシアとアフリカへのアメリカの食用作物(トウモロコシ、ジャガイモ、キャッサバ)の到来 | 1492年の1が抜けている |
198 | 20世紀に発生した救急疾患の多くが生物侵入によるものである | 救急疾患はemergency diseaseを訳したものか?もしそうなら新興疾患・新興感染症と訳すのがふつう |
2 件のコメント:
鉱山尾鉱を知らないのは恥ずかしい。
尾鉱はほとんど死語かマイナー専門用語だし、Web でも鉱山尾鉱なんて言い方出てこないし・・・
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