宮崎市定著 平凡社東洋文庫470
本体2600円 1987年6月
中国の科挙の歴史について述べ、特に清の時代の科挙の仕組みについてはとても具体的に説明してある本です。
科挙は一回の試験ではありません。まず、県試・府試・院試を受けて生員(県の学生の資格)を獲得することが次に進む条件です。郷試・会試・殿試と複数の試験に合格してようやく進士となることができます。生員は科試を受けて成績がよいと、3年に一度行われる郷試を受験することが出来ます。
郷試は各省の生員を省の首府に集めて、郷試用の特別の会場である貢院で行われる試験ですが、かなり大がかりなものです。貢院は厩舎のような構造で、受験生一人一人が入る号舎の集合です。最大規模の貢院である江南(江蘇・安徽)の貢院は南京にありましたが、20600人余りを収容できるものでした。
3年に一度しか行われない科挙のために2万人以上収容の会場を特別に用意していたことにまず驚かされます。まあ、現代の社会なら各種の学校など多人数を収容できて試験に使える会場があるから専用の施設を用意しなくても済みますが、当時はそうもいかなかったのでしょうね。
また、前近代の試験なのに一地域の受験者数が万単位ということがさらに驚異だと感じられました。清朝の時代の中国の人口は3-4億人で同時代の日本の人口の10倍くらいはあったようですが、それでも多いですよね、この数は。
また、8月という暑い時期に、この貢院に2泊3日しての試験を合計3回受けさせられるわけですが、トイレや食事のことを考えるにつけ、かなり厳しかっただろうと察せられます。
試験の答案は、公平を期するために採点者に分からないようにされていました。名前の代わりに記号で個人が特定されるようになっていることに加え、筆跡で分からないようにするために、係の人が答案を用紙を丸写しして、その丸写しされた方を採点に用いていたそうです。
他にもいろいろと面白い内容が書かれてありましたが、とにかく中国のものごとの規模と仕掛けには圧倒されます。
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