2008年6月16日月曜日

イザベラ・バードの日本紀行(上)


時岡敬子訳 講談社学術文庫1871
2008年4月発行 税込み1575円

以前から平凡社東洋文庫に納められていたイザベラ・バードの日本紀行ですが、東洋文庫は何となく敷居が高く、手に取ったことがありませんでした。先日、本屋さんでこの講談社学術文庫版が平積みされていたのを見て、買ってしまいました。東洋文庫版の訳文がどんなものかは知りませんが、この新訳は読みやすいのでお勧めです。

彼女は明治10年に来日しました。彼女の東京滞在中には、ちょうど大久保利通の暗殺がありました。5月からの夏の時期を旅行した訳ですが、この上巻では、東京から青森までが紹介されています。経由地は春日部→日光→会津→新潟→山形→秋田→青森→函館という感じです。行き先の選定は、新潟と函館が開港場だったことによるもののようです。

この本の原稿は、バードが妹に宛てて出した手紙がもとなのだそうです。本として出版された時も、英語の本ですから、英語が母国語の人を読者として想定していた筈です。まさか130年後に日本人がこうして読むとは想ってもみなかったでしょう。そう考えてみると、本書の内容には日本人に対する気遣いなどないはずで、それでいて、彼女の旅先での日本の印象の多くはかなり好意的なものです。西洋人の女性が一人で安全に旅行できたこと、子供を大切にすること、東照宮などの建築に対する評価、人々が親切なことなどなど。

ただし、日本人の容姿に対する評価は、細い眼で貧相な黄色い肌、皮膚病・眼病を患っている人の多さ、お歯黒など、かなりきびしい。食べ物についても、肉が手に入らない、卵も入手しにくくてかび臭い、果物は酸っぱくておいしくない、沢庵はスカンク並みの臭さなどの感想が述べられています。

また、宿屋に対しても、都市部で中流以上の人のお宅に滞在したり、大名の利用した部屋(本陣?)に泊まった際にはとても清潔と賛辞を述べていますが、山間の宿などは汚さや蚊・蚤の多さに辟易しています。おそらく、当時の食事は現代の日本人である私が食べても貧弱に感じるでしょうし、また当時の安宿に泊まったら私でも汚いという感想を抱くでしょうから、これは不当な評価ではないでしょう。
道路に関しては山形県内の道路が褒められています。これは、県令三島通庸がつくらせたものだったんでしょうか。街中では人力車に、山間部では彼女がポニーと呼ぶ荷馬の背に揺られて、大変な旅をしたようです。

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