2009年9月19日土曜日

日宋貿易と「硫黄の道」


山内晋次著 
山川出版社日本史リブレット75
2009年8月発行 本体800円

新安沖の沈没船からは28トンもの銅銭が発見されたのだとか。中世の日本が大量の銅銭を輸入するかわりに何を輸出していたのか、とても興味あるところです。教科書的には、金、水銀、扇、刀剣、硫黄などが挙げられ、ていますが、本書では特に硫黄を重要視しています。火薬の発明とともに硫黄の需要が増えましたが、宋の領域内では硫黄の産出がなかったので、十世紀末以降に日本からの輸出量が増えたのだそうです。特に、1084年には日本から300トンもの硫黄を輸入する計画が建てられて、実際に買い付けのための商船が宋から博多に派遣されたことが日本側に遺された史料からも確認できるのだそうです。本書によると、船のバラストとしても使われるほど多量に輸出されていた硫黄の主産地は俊寛の流された鬼界島(薩摩硫黄島)でした。

以上、とても勉強になりました。でも、いくつか疑問も残ります。例えば、金が主たる輸出品ではないという本書の主張。これまでは、日宋貿易の輸出品として金が重要視されていたのだそうです。しかし、著者によるとこの頃の日本の産金量はせいぜい年間数百キログラムと推定されるそうです。新安沖沈没船クラスの商船でも安定航行のためには数十トンのバラストが必要で、日本の年間産金量の数百キログラム分の金を一隻に積み込んだとしても、とてもバラストとしては足りない、なので金は主な輸出品ではなかったろうと著者は主張しています。でも、この議論はかなり変ですよね。支払いのために数百キログラムの金の積載で充分なら、金を積むほかにバラストとしては石ころでも積めば済むだはずです。金が主たる輸出品でない理由として、輸出できる金の量がバラストとして使用するには重さが不足しているからというのでは説得力がありません。

本書を読んでいて知りたくなったこと
  • 日本の中国からの銅銭輸入量はどれくらいだったのか。年ごと、時期ごと、中世を通しての総輸入量はどのくらいと推定されているんでしょう。また、金や硫黄の輸出量はどれくらいだったのか。
  • 中世各時期の金銅比価は日本と中国で各々どれくらいだったのか。江戸時代初期は金一両(慶長小判で金4.76匁 =17.85g)と銭四貫文(一文3.75gx4x960=14.4kg)からすると800:1くらいかな。これとはかなりずれていたのでしょうか。
  • 硫黄島で輸出商人は硫黄の生産者から何を代価(米が主?)としてどのくらいのレートで硫黄を買い付けたのか。硫黄の生産値価格。
  • 大量の硫黄を売ることにより、硫黄島は経済的に潤っていたのか。ゴムで繁栄したアマゾンのマナウスみたいな感じが少しでもあったのかどうか。
  • 中国では主に銅銭と交換したのでしょうが、銅銭と硫黄の交換レートはどれくらいだったのか。硫黄の中国での価格。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も質問者と全く同意見です。一般に学者は経済に疎くというか興味が薄い方が多いので困ります。また、貴兄は金=銅交換レートを計算されていますが、少し違うかも知れませんが江戸時代は金=銀の交換レートは世界標準ではなく、ここを列強に衝かれて幕府崩壊の主原因となりました。このことは文春文庫「大君の通貨」に詳しく記述していますので参考になさって下さい。

somali さんのコメント...

コメントありがとうございます。
中国の金銀比価は明朝の一条鞭法の採用を契機に大きく変化し外部との差が大きくなり銀輸入が増大した、16世紀の日本は金銀の輸出入の統制をしていなかったので江戸時代初期頃の日本の金銀比価は中国以外の世界のそれと接近していたので中国に銀を輸出した、ものと理解しています。その後、日本以外の世界の産金・産銀量の差とイギリスなどの金本位制採用などによって、世界と日本の金銀比価に大きな差がついて、江戸時代末の日本からの金貨の流出につながったのでしょう。
しかし、それよりずっと古い宋朝の頃の日中の金銀比価の違いや、また各地の銅の値段やその変化については読んだことがなかったので、こういう疑問をもちました。