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2009年12月31日木曜日

2009年に読んだ本のベスト3

今年もいろいろと読みましたが、ベスト3は以下の三冊になるでしょうか。順不同です。

満州の成立 満州の経済・政治の特徴を自然環境をもとに説明してくれる、気宇壮大

日本における在来的経済発展と織物業 10年前の本ですが、分析が鮮やか、お手本的な本

ヨムキプール戦争全史 小説より面白い戦史



今日は大晦日です。新型インフルエンザの流行も峠を越えたと報道されていますが、たしかに先日の休日診療所の当番でも、予想外に少ない受診数でした。日本中どこも、このまま平和な新年を迎えられるといいですね。

春の祭典


モードリス・エクスタインズ著 みすず書房
2009年12月発行 本体8800円

スペインの没落以降、パクス・ブリタニカを脅かす可能性のある国はフランスでしたが、20世紀に入ってからはドイツ帝国がフランスにとってかわります。また20世紀には、アバンギャルド、モダニズムという文化・社会的な叛逆・解放・革新の風潮が出現したわけですが、本書では新興のドイツを社会・経済・軍事的なアバンギャルド、モダニズムの旗手と見立て、20世紀前半に二度もの大戦を経験することに至ったヨーロッパの社会を雰囲気まで表現しようとした作品なのかなと感じました。第一次大戦とモダン・エイジの誕生というサブタイトルがついていますが、そういうことですよね。ふつうの政治史・経済史とは全く違ったアプローチで、興味深く読めました。

いまでは第一次世界大戦 World War I と呼ばれますが、本書を読むと基本的にヨーロッパの内戦だったということがはっきりする感じです。日本と言う単語は日露戦争に言及したところにしかなかったし、アジア・アフリカ諸国についても参戦したセネガル兵のこと触れられていません。まあ、アメリカについては、リンドバーグやロスト・ジェネレーションの現象なども含めて、それなりに触れられていますが。

開戦前の日々、ベルリンなどドイツの各都市で開戦を望むデモに多数の市民が参加していて、ドイツが総動員・開戦を決断するにあたっては、この世論が大きな影響を与えたというのが著者の見解です。また、ドイツ社会民主党が反戦をつらぬくことができなかったのも、戦争への態度を決定するための社会民主党代表者会議に出席する人たちが、ドイツ全国からベルリンへ向かう列車の旅の途中で、戦争を望むデモに多くの群衆が参加している姿を目にしたからなのだとか。
本書はモダニズムの画期的なランドアークとなったバレエ作品からタイトルを借用しているが、それは本書の中心モチーフである<動き>を暗示してもいる。自由を求めて懸命に努力した結果、われわれが手にしたのは究極の破壊力であったという遠心的で逆説に満ちた二十世紀を見事に象徴するのは、荒々しく、ニヒリスティックなアイロニーに彩られた死の踊りだ。
「はじめに」にはこんな風に書かれていますが、このタイトルはほんとに本書の内容にふさわしい。

で、私はストラビスキーの音楽の方の春の祭典も好きなのですが、LPの頃からあったブーレーズとクリーブランド管弦楽団の旧盤が一番です。

2009年12月25日金曜日

傲慢な援助

ウィリアム・イースターリー著 東洋経済新報社
2009年9月発行 本体3400円

「傲慢な援助」とはおおげさな印象ですが、原著のタイトルはThe White Man’s Burden(白人の責務)で、キップリングの詩の題名からとられたものだそうで、そういう意味では傲慢という言葉が入っているのは日本語のタイトルとしてふさわしいかもです。本書の著者は世界銀行で実務に携わった経験のある開発経済の専門家です。もちろん著者も、貧困をなくすためには経済成長が必要だという立場です。しかし、過去50年間に先進国が2.3兆ドルもの経済援助をしてきたのに、なぜ発展途上国の経済成長が実現しなかったのか、つまり援助が失敗してきたのはなぜかという問題意識で本書は書かれています。

援助する側が「我々白人が貧困など途上国が抱える問題を解決してやるぞ」という意識で、経済成長を達成するというような大きな目標をめざしたユートピア的なプランを建てて資金援助を行う(それを行う人をプランナーと本書では呼ぶ)というビッグプッシュはうまく行かないのだというのが著者の主張です。外部から押しつけられた市場・民主主義などは満足に機能せず、かえって経済成長を阻害してしまいます。また、ビッグプッシュに必要な多額の資金を集めるためには、目標が着実に実行可能で成果が見込めるのかどうかよりも、資金の出し手にアピールするような壮大な目標を掲げることが求められます。特に、計画の成果を身を以て検証することのできる位置にいる発展途上国の一般の人たちの声が援助する側に届きにくいこともあり、これまでは援助の成果が正しく評価されてこなかったので、何が達成されたかよりもどれだけ多くの資金が投入されたかだけが重視される傾向にありました。ただ、著者によると、経済成長の達成という観点からだけしても、経済援助が有益だったのかどうかには疑問があるそうで、今後は援助の成果を正しく評価することが必要だとされています。

本書にはさまざまな小さな援助の成功例が載せられていますが、著者が重視しているのは、人はインセンティブに反応するということです。資金の提供者の側で目標を建てるのではなく、実際に発展途上国で実践されている活動(その活動を行う人を本書ではサーチャーと呼ぶ)を援助することが求められています。そうでないと、「援助は人びとのインセンティブを歪め、自分自身の問題を解決するのに、ついつい、どうすればいいか他人のほうを見てしまう」ということになりかねません。

同じ著者の「エコノミスト 南の貧困と闘う」という本が2003年にやはり東洋経済新報社から発行されています。前著では経済援助の不成功の理由として、発展途上国側の悪い政府・腐敗した官僚制などの問題を指摘していることが印象的でしたが、それに加えて本書では援助する側のプランナーの問題点も指摘して、発展途上国のサーチャーのインセンティブを重視することを主張しているのだと感じました。

本書の第10章では「自分の国の経済成長は自前の発想で」として東アジアの国とインド・トルコ・ボツワナなどの例を紹介しています。この中で特に日本の戦後の経済発展について、「アメリカが占領下の日本でトップダウン式に改革を命令したから日本が高度成長を実現したのではなく、日本国内に、あるいは日本人の中に、高度成長を可能とする様々な要因があったということなのだ」と著者は評価しています。この点についてはとても同感です。そして、経済史を学ぶにつれ感じることですが、著者の指摘する戦後の高度成長だけではなく、日本が開国後に後発ながら資本主義国として植民地を持ち、アメリカと3年半も戦争を継続できるまでに成長したのは、もともと江戸時代の日本にその条件が備わっていたからとしか私には思えません。つまり、経済成長が実現するかどうかはその国に条件が備わっているかどうかが重要で、経済援助は条件が備わっている場合にしか効果を発揮できないということだと思うのです。だから直接に経済成長を目的とする援助は無駄だから止めにして、生活の改善に役立つようなサーチャーの活動を援助しようという著者の意見には賛成です。ただ、本書の第8章で指摘されているように、ヨーロッパによって植民地されなかった日本や東アジアの国と、ヨーロッパによって植民地化された地域とを対比すると、植民地統治期の分割統治などなどのゆがんだ制度が独立後の経済成長を疎外している面があることは確かで、だからより一層、白人の責務を感じてしまう人がヨーロッパには多いのでしょうが。

前作と本書を並べてみると、同じ著者の同じようなテーマの2冊の本が同じ出版社から出版されたのに、前著は四六判で本書はA5判と大きさが不揃いにしてあるのはなぜなんでしょう??

2009年12月13日日曜日

文革


董国強編著 築地書館
2009年12月発行 本体2800円

南京大学14人の証言というサブタイトルがついているように、文化大革命の時期に南京大学の教官や学生だったりした人たちで、その後に大学教授や研究者となった14名へのインタビューをまとめた本です。14名の中には文革期にすでに教官や教室の管理者として活動していた人たちもいて、その人たちは主に迫害の対象となったつらい経験を中心に語っています。また、それよりも若い大学生や中学生だった人たちの多くは批判する側で、紅衛兵(ATOK2007には紅衛兵が登録されてなかった)として北京で毛沢東と会う経験をした人も含まれています。編著者は日本人ではなく南京大学歴史学科の副教授で、オーラルヒストリーを実践したものです。文革に関する企画は今でも中国国内ではすんなりと許可されるわけではないそうで、中国より先に、日本で出版されることになったそうです。文化大革命自体が特異なできごとですから、それを体験したそれぞれの人の体験談もとても非日常的なもので、とても面白く読めました。まあ、歴史学者なら面白がるだけでなく、こういったことがらを素材として扱うのでしょうが。

世代が上の方の人たちは、百花斉放百家争鳴とそれに続く反右派闘争などを経験していたので、慎重だったようです。文革が始まった時にソ連の大粛清と同じではないかと感じたと述べている人もいました。

文革自体は毛沢東が劉少奇からの政権奪還を目指して発動したものと言われていますが、中国のいろいろなところで一般市民が「反革命」を打倒すると称してふだんの不満をはらす活動をしたためにあんな風に暴走してしまった面があります。この頃の中国では、職場や所属組織といった「単位」が、戸籍・住宅・医療・就職・進学・結婚などまで生活全般をまとめて面倒を見る体制でした(ちょうど、一昔前の日本の大会社が社宅や病院や保養所など持っていたのに似ている)。「単位」の共産党組織の覚えが良くないと生活に差し支える面が多く、コネをもている人はいいけれど、そうでない人や不利な扱いを受けたと感じてもそれを解消する手段がありませんでした。こんな不満・恨みが小さな地域・ローカルな組織での「文革」の原動力だったとか。

もちろん学生たちのように、純粋にフルシチョフのソ連のような修正主義を許すなと活動した人たちもいました。ただ、自分たちの活動が革命的なのか、反動なのかを上部が決定するような状況に、操られている感覚をもつようになった人も多く、特に林彪が失脚してからはみんなが冷めた見方をするようになったそうです。

毛沢東による経験交流の奨励によりお金がなくとも中国国内を旅行して見聞をひろめることができ、学生たちには良い思い出として残っているそうです。しかし農村への下放はつらい体験で、社会主義の新農村が花開いているはずなのに、実際の生活水準の低さを実感して驚いている人もいました。当初は勇んで下放に出かけた人でも、何とかつてを頼って学生として南京にもどることができたからこそ、学者としてこのインタビューを受けることができるようになったようです。

文革の誤りがあっても、それでもマルクス主義を信じて疑っていませんと述べてる人が14人中ひとりだけいますした。その他のひとはどうなのかな。今では中国共産党の共産主義というのは、多数党・政権交代を前提とする政治体制を拒否するためだけに使われてるような感じですからやむを得ないかもですが。

文革が中国の人たちにとって大きな災難だったのは、本書を読んでみても間違いないことです。毛沢東や四人組や、また毛沢東をトップに据え続けざるを得なかった中国共産党に原因があるのもたしかです。でも、20世紀前半にあんな形で日本が中国に干渉しなければ、中国共産党が政権を握ることがなかったかもしれず、ひいては文革なんて起きなかったかも知れないと思うと、日本人にも無縁なできごとではないですよね。

2009年12月10日木曜日

漢奸裁判史


益井康一著 みすず書房
2009年10月発行 本体4500円

本書は、もともと1972年に発行されたものに劉傑さんの解説を新たに付して新版として発売されたものです。本書の巻末にも今井武夫さんの「支那事変の回想」に関する記載がありますが、今年3月に日中和平工作というタイトルで再刊されたその本を読んだことがあったので、汪兆銘政権の舞台裏がみえる感じで本書を読むことができました。

劉傑さんの解説によると対日協力者としての漢奸については中国でも1980年代までタブー視され、あまり研究がなかったそうです。その点で、本書は漢奸裁判に関するかなり早い時期でのまとめです。また、著者は本書の中で裁判の一次史料は国共内戦の影響で残されていないのではと述べていて、毎日新聞の記者だった著者は敗戦後に日本に帰国してから、漢奸裁判関係の外電や中国の新聞などを収集して本書を書いたのだそうです。

汪兆銘が日本の敗戦前に日本で病死したことは知っていたのですが、多発性骨髄腫だったことは本書で知りました。対麻痺と膀胱直腸障害があったそうですから、脊椎の痛みもかなりひどかったことでしょう。症状から死が避けられないことも自覚していたはずで、遺書を残す気になっても不思議はありません。実際、汪兆銘は死後20年たったら公開するようにとした遺書を残していて、文字からもおそらくホンモノと思われるものなのだそうで、それが載せられています。すでに日本の敗戦が見透せる時期に書かれたものですから、それを織り込んで、自分の行動の正当性、汪兆銘政権が決して傀儡政権ではないことを訴えています。日米開戦前には日中戦争が中国に有利に展開すると決まっていたわけではないのですから、蒋介石と袂を分かった彼の行動も理解できる気がします。私も日本人なので、日本側の王兆銘観になびいてしまっているのは否定できませんが。

汪兆銘亡き後の主席陳公博、駐日大使や外交部長だった褚民誼、そして汪兆銘夫人の陳璧君などの大物は、裁判でも過ちはみとめ、それでいて自分の行動の正当性も正々堂々と主張していて、感心させられます。法廷での傍聴人や当時の中国の新聞の論調もこれらの人に対しては同情的な点があったそうです。まあ上海など、もとは汪兆銘政権支配下にあった地域で発行された新聞だからかも知れませんが。陳公博・褚民誼など大物の多くは死刑(絞首刑ではなく、銃殺)になりましたが、陳璧君は終身禁固刑になりました。国共内戦下、共産党の支配下に入った蘇州の刑務所で服役していた他の漢奸たちが釈放されても、陳璧君は釈放されず、共産党側からの転向の誘いも断って1959年に獄死したそうです。

漢奸と認定されるのは、国民党員で裏切ったと見なされた人だけが対象ではないのでした。例えば、科挙の進士合格から経歴をスタートさせた王揖唐という人は、安福派軍閥で段祺瑞の片腕として活躍し、安福派の失脚後は日本に亡命しました。華北の日本の傀儡政権の中には、こういった軍閥に関係した北方の旧政客たちがいました。私の目から見ると、この人たちは元々国民党とは対立していた人たちですから、国民党と対立する華北の傀儡政権に参加しても当然で、漢奸として裁かれるのは筋違いのような気もします。また、あの川島芳子も漢奸として裁かれていますが、清朝の皇族出身で、しかも9歳の時から日本で日本人の養女として育てられた彼女が漢奸とされたことにも、強い違和感を感じます。川島芳子に関しては、当時の中国の中にも同様に感じた人が多くいたそうです。

華北傀儡政権・汪兆銘政権の高官や財界人だけでなく文化人も裁かれています。魯迅の弟として有名なのは周作人は懲役刑の判決を受けました。看板になるような文化人たちは強く対日協力を迫られたのでしょうし、逃げ隠れするには高齢・有名過ぎる人たちですから、やむを得なかったのでしょう。日本人に対する 怨に報くゆるに徳をもってせよという蒋介石の言葉を思うと、文化人たちに対する有罪判決は酷な感じがします。ただ、京劇の女形の名優、梅蘭芳はひげを蓄えて潜み、対日協力をせずに過ごしたそうで、このエピソードには感心しました。

本書を読んで、フランスの対独協力者や、ドイツの占領下にあった地域の同様の人たちのことについても学んでみたい気になりました。また、日本にはこういう問題はこれまでなかったのですが、戦前戦中の捕虜になった人への態度など考えると、もし日本で漢奸が問題にされるような事態が発生した際には、もっときびしい非難が一般のひとたちからあびせかけられるのでしょうね。

2009年12月6日日曜日

オセアニア学


吉岡政徳監修 京都大学学術出版会
2009年10月発行 本体7000円

中身は、人類の移動と居住戦略、環境と開発、体と病い、植民地化と近代化、文化とアイデンティティという5つの分野に関する40ほどの章に分かれています。日本オセアニア学会創立30周年の記念出版ということから多数の方が執筆しているので、一つ一つの章はあるテーマを短くまとめて紹介する感じになっています。オセアニア学というのは、個々の島のflora・faunaや、珊瑚礁・火山島の特徴、海流とか気候とかそういった自然科学的なことは対象ではないようで、主にオセアニアに住んでいる人間を対象にした学問なのですね。買って読んでから気付いたので、個人的には期待はずれ感が否めません。

考古学や言語学的な成果から、順にどの島から人が移住していったのかが紹介されていて、人類の移動と居住戦略というテーマが一番面白く感じました。オセアニアへの第一の人類の移動は、海面の低下した5万年前頃にサフル大陸(オーストラリアとニューギニアが陸続き)へ、そこからソロモン諸島までは一万年前くらいまでに拡散していたのだそうです。海面の低下していた頃に人の住んでいた遺跡の多くはもしかすると現在は海面下にあり発掘不能で、じつはその時期に海から離れたところに住んでいた人たちのことしか考古学では明らかにできない点は、問題にならないのかということが何となく疑問に感じました。

体と病いというテーマではマラリア対策に関する章が興味深く読めました。子供の成長の地域差や、糖尿病の多いことは、やはりそうなのかという程度の印象。また、この地域の人口に関する章もありましたが、現状について触れられているだけなのが残念。島という環境なのでヨーロッパ人との接触以前にも人口の調節が行われていたと思うのですが、どんな具合だったのでしょう。またヨーロッパ人からもたらされた感染症などの健康被害によって人口が激減した時期があったように書かれていますが、その程度やその後の人口増加(回復)の様子や、人口の変化が社会に与えた影響など、読んでいてとても知りたくなりました。でも、こういったことは史料が無くて分からないのかも知れません。

先住民運動というテーマでニュージーランドにおけるマオリ語のテレビ局や幼稚園などの事例が取りあげられていました。ただ、先住民だから一般的に考えて生活が苦しいのかなという程度の認識しかない私にとっては、実際にニュージーランドの都市や非都市に住むマオリの人たちが、それぞれどんな仕事をして何を食べてどんな家に住んで何を着ているかなどなど、実際にどんな暮らしをしているのかも提示してもらえないと、いまひとつ理解が深まらなかった印象です。

あと、この本に関しては造本に大いに問題ありです。570ページもあって、しかも用紙が薄くないのにタイトバックで製本されているので、開きにくくて読みにくくて仕方がない。ざっと我が家の本棚を眺めてみて、この厚さの本でタイトバックなんて、ほかには一冊もありません。絵本なんかなら薄いからタイトバックにするのも分かるのですが、この本をタイトバックにした編集者は何を考えていたのでしょう。よほど無能な編集者なのか、またはホローバックにしない何か特別な意図があったのか、謎です。