2009年5月3日日曜日

日中和平工作


今井武夫著 みすず書房
2009年3月発行 本体16000円

回想と証言1937-1947というサブタイトルがついている本書には、盧溝橋事件直後の現地軍の停戦交渉、汪兆銘擁立工作、桐工作などの代表的な日華和平交渉や、太平洋戦争緒戦期のフィリピンでの戦闘、敗戦後の中国での後始末などに実際に従事した著者の体験談が収められています。もともとこの本は、1964年に「支那事変の回想」というタイトルでみすず書房から出版されていたもので、出版後に著者が書き加えていたメモ、読売新聞社が「昭和史の天皇」の取材で著者にインタビューしたテープの内容、その他資料なども加えて、著者の息子さんの監修で新たに出版されました。非常に読みやすい文章で内容も面白い本です。唯一の欠点は16000円という値段ですが、現在の出版状況ではまあ仕方ないのかも。学んだ点、興味深く感じた点をいくつか紹介します。

盧溝橋事件が発生する前、七夕の日になにか事件が起こりそうという噂があって日本にまで伝わっていたそうです。陸軍中央は現地軍が満州事変のような謀略を起こすかと心配したくらいですが、著者によるとそういう動きは全くなかったとのこと。また現地の中国軍も種々の事情からこの土地での駐屯に満足していて、事件を好んで起こす動機がなかったと著者は述べています。確証はありませんが、著者は中国共産党関係者がきっかけとなる銃撃を行ったと考えているようです。ただし、その銃撃が文字通り引き金となって日中戦争にまで広がってしまったのは、日本側の中国に対する優越感と蔑視、五四運動以来の反日感情の高まりとが存在していたからで、著者もそのことをきちんと指摘しています。

現地軍での停戦交渉にしても、その後のいろいろなルートでの交渉にしても、停戦が実現しなかった最大の原因は日本側の条件が厳し過ぎたからというのが著者の評価です。例えば、南京を占領しても武漢三鎮を攻略しても中国が降伏してくれず困り果てた後の桐工作では、満州国承認や中国本土への防共駐兵などが難問でした。満州国については協定では触れないが現状を黙認する、駐兵についても必要なら撤兵を遅らせ和平後の交渉で決着しようとするなど、中国側が実質的には受け容れていたのに、明文化させようとして失敗しています。当時の中国には共産党との関係があるのと、民衆の反日感情が強いこともあって、蒋介石も大きな譲歩で和平を結ぶことができませんでした。そのへんを汲んで実をとる外交的センスがないのには困ったものです。まあ、爾後國民政府ヲ對手トセズなんていう声明を出しちゃう政府だから、期待するだけ無駄なのかもですが。

汪兆銘さんは当初、日本軍占領地でないところに同志をつのって新政権を樹立したかったのですが、同調者が少なく、しかも軍隊に全く同調者が出なかったので、やむなく南京で政府をつくることになりました。最初から単なる傀儡として擁立されたわけではなかったのですね。

敗戦直後の交渉での中国軍の対応は温情こもったものでした。怨に報くゆるに徳をもってせよという蒋介石の言葉や、日本の支那派遣軍がかなりの実力を保持していたことも影響していました。また敗戦後の南京での生活のエピソードを読むと、第一次大戦のドイツ人捕虜収容所に対する日本人の感じ方に似た要素も、中国人の間に少しはあったのかもしれません。

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