当時、一般の人たちは大粛正(大テロル)をどんな風に感じていたのか。その点に関する私の印象に強い影響を与えたのは、このタルコフスキーの鏡という映画です。この映画はタルコフスキーの自伝的な要素を持っているそうですが、スペイン内戦の記録映像やスペインからの亡命者が描かれたり、レニングラードを経験した傷痍軍人が軍事教練の教官として登場したりなど、スターリン時代のソ連を連想させるイメージに満ちています。
映画の中で、タルコフスキーのお母さんにあたる女性は印刷所で編集者として働いています。ある夜、彼女は自分が編集し終えた「例のあの本」に誤植があったという夢を見ます。夢の中だけではなく、現実にも誤植があったのではと心配になり、緊張した表情の彼女は早朝の雨の中を印刷所に向かって走ります。編集室にはその原稿は見つからず、「例のあの本」に誤植があったかもと知らされた同僚が泣き出します。次に植字室、印刷室と順に探して、ようやく手にしたゲラを一心不乱に確認する彼女のバックにはスターリンのポスターが貼られていました。 確認を終えて長い廊下を歩いて戻る彼女は、安心したとは思えない固い表情のまま。そして、編集室に戻って彼女がうれし泣きをするのを観て、私たち観客も行き詰まるような緊張感からやっと開放されます。
「例のあの本」というのはきっとスターリンの著作か何かで、誤植したかもしれない言葉はスターリンの名前だったのではないかと、映画を見ながら感じました。そしてこのエピソードから、この時代のソ連の人たちが絶え間ない緊張・不安・恐怖にさいなまれていたはずだと私には印象づけられたのでした。ところが、一昨日のエントリーのスターリン 赤い皇帝と廷臣たちには
新指導部は収監されていた人々の釈放を開始した。釈放された人々の反応は判で押したように同じだった。キーラ・アリルーエワは自分自身も釈放されたばかりだったが、ルビャンカ監獄から釈放される母親のジェーニャを出迎えに行った。自由になったジェーニャ*の第一声は人々の反応の典型的な例だった。「ああ、とうとうスターリンが私たち全員を救い出してくれたのね!」というエピソードが紹介されていました。大テロルはスターリンの知らないところで取り巻きの悪い連中が行ったことで、スターリン自身は手を汚していないと考えていた人もいたのだそうです。この本を読んで、一番びっくりさせられた点でした。
*ジェーニャはスターリンの妻ナージャの姉
0 件のコメント:
コメントを投稿