2010年7月15日木曜日

キリスト教の歴史


アラン・コルバン編 藤原書店
2010年5月発行 本体4800円
ふつうの日本人の私からすると、キリスト教の世界の中でもローマにいる教皇は特別なんだろうと感じてしまいそうな存在です。しかし、古代のローマ帝国にはローマだけでなく、コンスタンティノポリス、エルサレム、アレキサンドリアなどにも総大司教座があって、ローマの大司教も同輩中の第一人者に過ぎなかったことや、また異境の地であった西・北ヨーロッパに布教を行ったことによって、西方教会におけるローマ教皇が確立したことなどが書かれていて、東方教会が帰一教会主義を肯んじないこと理由がよく分かります。
異端審問、なにやらおぞましい感じを受ける言葉です。しかし、異端審問の始まった13世紀の人々にとっては、異端審問は信仰の自由への抑圧などではなく、異端こそが信仰への冒瀆だったとか。実際、異端者が自白すれば禁固刑や巡礼に赴かせるなどして罰し、悔い改めなければ火刑に処するといった行為が、統一性と調和への回帰を示す改悛と清めの儀式として好意的に熱狂的に受け入れられていたのだそうです。たしかに、多くの庶民の支持がなければ、こういった制度が永く続きはしないでしょう。それにしても、この指摘には驚きました。
中世に多くの修道院が作られました。制度化されると修道院の多くが貴族階級出身者で占められ、土地を含めた財産を持ち、またその知己たちのために死後のミサをあげたりなどしていました。14世紀にフランシスコ会・ドミニコ会といった托鉢修道会ができました。托鉢修道会は旧来の貴族階級出身者の組織とは違って、都市の成長で力を付けてきた都市エリートをも取り込める組織として発展していったのだそうです。アッシジのフランチェスコも織物商人の息子だったわけですしね。フランチェスコについては、Brother Sun Sister Moonしか知らなかったのですが、組織の長として投げ出したくなるほど苦労したこと、など書かれていました。
こんな感じで面白く読めるエピソードをつむぎながら学べる本です。教会が西方と東方、西方の中でもカトリックとプロテスタント、プロテスタントの中でもいくつもに分かれてゆく課程、また聖遺物がありがたがられ偽造されたりもすることなども、日本の宗教を思い出しながら読むと興味深い。500ページほどでキリスト教2000年の歴史のハイライトを教えてくれるし、翻訳もこなれていて、分かりやすく読めるのでおすすめです。

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