2010年2月発行 本体6000円
「在日企業」というのは在日朝鮮人が創業したり所有している企業で、本書は在日企業の業種に偏りがあることや民金(民族系金融機関)との関わりなどについて論じています。
建設業、資源回収卸売業、繊維・ゴム・皮革製造業などに在日企業の多いことは知られています。これらの業種に在日企業が多い理由としては、敗戦前にこれらの業種に従事する朝鮮半島出身者が多かったことが想定されます。本書ではまず京都の繊維工業についてとりあげて論じています。京都では繊維工業の中でも、蒸・水洗業に在日企業が集中し、しかも在日企業の比率がとても高くなっているそうです。3Kにあたる業種で敗戦前から朝鮮半島出身者が多く重々していたため、この業種に関するノウハウが在日朝鮮人コミュニティの中に蓄積し、それがこの業種への参入を促したことが書かれていました。
またもう一つの業種の例としてパチンコホールの経営が取りあげられています。パチンコ産業は敗戦後にスタートしたという点で、他の在日企業が集中する業種とは異なります。1950年代に人気機種の開発で急拡大し、先駆的にはこの頃から在日企業の参入がみとめられました。しかし、換金に暴力団の関与があったため、1955年に社交性の高い機種が規制されてブームが頓挫した事情があり、パチンコ産業にはマイナスイメージがつきまとうこととなりました。3Kではないもののこのマイナスイメージにより在日以外の日本企業が参入をためらう事情を背景に、パチンコホール経営が儲かること、パチンコホールの経営のノウハウなどの情報が在日朝鮮人のコミュニティに共有されたことで、在日企業がこの分野に集まりました。特に高度成長期以降、先行きに不安のある製造業から成長の著しいパチンコへの業種転換も見られました。
在日朝鮮人と金融機関の関わりについて、預金は容易だが、事業資金を借りる点で日本人よりも不利であったことが想定されます。これを解決するために民金がつくられました。南北対立の影響が在日朝鮮人コミュニティに少ない時期に創立された最初期の民金は総連・民団系が協同で起業しました。しかし朝鮮戦争後の対立激化で協同は不可能となり、総連系の朝銀と民団系の商銀が相対することとなります。民金は起業時の資金の提供には大いに役立ったそうです。しかし、大阪・東京などを除くと在日朝鮮人コミュニティはそれほど大きなものではなく、都道府県ごとの信用組合という形態では必然的に小さな金融機関となってしまうこと、しかも南北の対立で二つづつつくられるわけですから余計に零細になってしまったわけです。1960年代に商銀に対しては韓国政府から融資がされていて、創業期にある商銀にとっては預金の中の少なくない比率を占めていたことが本書で紹介されていて、驚きました。多くの地域の民金の零細性から、成長してゆく在日起業に必要なだけの資金を低利で融資することが必ずしも可能ではなく、在日企業も大きくなるほどふつうの金融機関とも取引する比率が増えていきます。
ざっとこんな感じで、在日コミュニティのなかに蓄積された情報が在日企業の起業・展開に役立ったという主張が本書の特色でしょう。エスニックエコノミー論に一石を投じているようなのですが、私にはその点の知識がないのであまりぴんと来ませんでした。しかし、在日企業それぞれについてのエピソードや著者の解釈は、学ぶ点が多かったと思います。ただ、本書に書いてない点で気になる点はいくつか。
- 敗戦後ながらく新規の移民がほとんどなかったので、規模的には在日朝鮮人のコミュニティは大きくなることがなかったものと思われます。本書の分析の対象としている1980年代頃までは、例えば在日企業も在日朝鮮人も民金との取引を続けるロイヤリティを持ち続けていたように、在日コミュニティへの帰属感は高く維持されていたのだと思われます。でもそれ以降はどうなっているのでしょうか。在日コミュニティのメンバーは、時間とともに日本で生まれ育った人、二世だけでなく三世・四世が増えているでしょうから。
- 1980年代以降のニューカマーは従来の在日朝鮮人のコミュニティにそのまま入ってきているのでしょうか。
- 本書の民金の分析は、資料の入手の点からその多くが民団系の商銀に関するものでした。本書の対象とする時期に関する朝銀の分析がほしいのはもちろん、いつの時期(南北対立の当初からか)から20世紀末の朝銀・商銀破綻の種がまかれたのかを知りたいものです。
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