2011年11月18日金曜日

平家物語、史と説話

五味文彦著
平凡社ライブラリー746
2011年10月7日 初版第一刷
本書のまえがきには、平家物語を文学作品として評価するのではなく、「いかなる質の歴史史料であるかを問う」ことをテーマとしている旨が書かれています。平家物語の中に描かれているエピソードを日記など他の史料に描かれているそのエピソードの記録との対比、平家物語に取りあげられたエピソードはどの時期のどの組織・人に関係するものが多いのか、多く登場する人物は誰でその人物に対する評価は好意的かどうか、登場人物同士の交流、などの視点から分析され、そこから原平家物語作成の元となった資料や作者の推定がなされます。徒然草に平家物語の作者として名前の挙げられている信濃前司行長ですが、著者はこういった手法を使って、彼が八条院・九条良輔に仕え九条良輔の死後に出家して平家物語を書いたのだろうことや、また平家物語の資料としては行長の父藤原行隆の日記も使われただろうことを推定しています。
20年ほど前に同じ著者の書いた「吾妻鏡の方法」を読んだことがあります。吾妻鏡の中に記されたエピソードや人物から、吾妻鏡の書かれた目的や作者像を探る手法にとても感心したものですが、本書もその手法がつかわれていて、実は本書の方が先に書かれたものだそうです。作成の意図・政治性や作者のはっきりしていない編纂物を歴史史料として使う場合には、こういった手法による分析が求められるということなのでしょうね。ただ、「吾妻鏡の方法」にしても本書にしても、いろいろな文献からひろく材料を採って著者独自の手法を使って料理するという感じに書かれているので、無味乾燥なんかではなく、とてもおいしく読める本でした。また第三章では、古今著聞集について同様の手法で分析がなされ、史上有名ではなかった著者橘成季について、どんな人かどんな環境で書いたのかが推定されています。史料が少なくとも、鋭い分析と想像力で、かなり豊かに復元されています。
源頼朝が以仁王の令旨を旗印に挙兵したことはよく知られていますが、以仁王がどんな人だったのかはよく知りませんでした。本書の中で「平氏の擁立する後白河から高倉・安徳へという皇統」とは別に、「八条院をバックにした二条から以仁王へつながる皇統」を擁護する勢力があったこと、高倉天皇の皇子の立太子で即位が望みが立たれた以仁王が後白河の平家による幽閉を契機に、源頼政の勧めで蹶起したと説明されていて、納得しやすい構図だと感じます。 さらに「以仁王の元服に関係して解官された行隆は行長の父であった」とここにも行長の関係者が出てきました。



本書には、保元の乱後に実権を掌握した信西についての考察も収められています。官方・蔵人方・検非違使方といった実務機構に息子・腹心を配し、権力を掌握した信西政権は、荘園整理と内裏造営によって「荘園・公領の秩序を画定し新たな『国家』体制を創」ろうとしたと説明されています。特に、京の秩序を保つうえでも平氏の軍事力は不可欠で、中世的な政権の萌芽はここにあるとのこと。その後、息子が蔵人と検非違使をやめた後の補充ができず信西は情報に疎くなり、源義朝の挙兵で最期を迎えます。平清盛の留守を狙っての挙兵でしたが、いったんは南都に逃れた信西が清盛との合流をめざさなかったこと、平治の乱後に清盛がおいしいところをさらったことなどから、清盛の熊野詣は挙兵を誘ったもので、信西も清盛がすでに頼りにならなくなったことを悟っていたのではないかと著者は推測しています。とても魅力的な仮説ですね。
日本には古い史料が豊富にあるので、たくさんの史料に目を通している人には900年前の出来事とそれを取り巻く人びとの関係でさえ、まるで推理小説のプロットをこさえるかのように、追うことができるんですね。脱帽。

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