2011年11月20日日曜日

工場の哲学

中岡哲郎著
平凡社選書2
昭和46年12月25日 第3刷発行
機械化、オートメーション化、コンピュータの利用、流れ作業などで大量生産が可能となった高度成長の時期に書かれた著作です。技術の進歩と大量生産の実現で労働時間の短縮が可能となり、やがては労働の止揚につながると楽観的に考えた人もいた時代だったようで、それに対する異論、新しくなったように見える生産現場にも古くからの問題が残っていることを指摘しているのかなと感じました。日本国内でモノの生産に従事する労働者の数はこの著作の時代に比較すると減ったでしょうが、モノをより安くつくれるとされている中国などに問題ごと生産現場は移動していったわけですから、著者の問題意識は現在にも通じるところがあるのだと思われます。工場での話が主にとりあげられているのですが、市役所の書類発行窓口業務や、コンピュータのソフトウエア製作、病院での外科手術などのサービス業にも目が配られていて、こちらの方は現在の日本にももちろんたくさんあるわけですし、事情が変化しても現在の日本が労働する者の楽園になってないのは確かです。というより、職にありつくことの難しい人が少なくない現在の日本では、本書のテーマよりももっと原初的な、失業、格差・差別の方が問題としては深刻になってしまっている感もありますが。
控えめですが、マルクスの著作からの引用があり、文化大革命期の中国に対する期待が表明されたり、社会主義に優位性が期待されたりなど、この時代の雰囲気を伝えてくれる史料としての意味は充分に感じ取れました。しかし、この頃もまた現在でもこの分野に関する著作に接したこと・接しようとしたことも・考えようとしたこともほぼ皆無の読者なので、内容を咀嚼しての評価が私の能力を超えているのが残念です。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

懐かしの、ポスト真実以前の民主主義の時代の議論でありました。人がたくさんいたころの工場みたいなものが民主主義のモデルだったのかもしれません。しかし今は無人みたいなところだからね工場は。民主主義のモデルをまだ追及するべきなのか、懐古趣味にしかならないのか、いま現在ではわからないとしか言えない気がします。