2011年11月26日土曜日

日本書紀成立の真実

森博達著
中央公論新社
2011年11月10日 初版発行
12年前に出版された同じ著者の日本書紀の謎を解く(中公新書1502)を読んだことがあります。日本書紀は中国語で書かれていますが、その中に見られる倭習と呼ばれる単語や語法の誤用や、歌謡の中国語字音による表記の特徴などから、著者は日本書紀をα群とβ群に分け、前者は渡来中国人が二人で分担して、後者は日本人がその後を書き継いだもの、しかもそれぞれを担当した人の名前まで推定されていました。読みながら、筋道の通った謎解きの過程にひどく感心したおぼえがあります。なので、森博達さんの著者が近所の書店の平台に積まれているのを見て、早速購入しました。
本書も前著の延長線上に、江戸時代に懐徳堂の五井蘭洲が日本書紀の漢文の誤用・奇用に気づいていたこと、倭習の源の一つが古代韓国の漢文表記の特徴にあること、誤用・奇用の目立つ部分が中国人の書いた巻にもところどころ集中して存在し日本人による後になっての修飾が想定されることなどがあきらかにされています。そして、乙巳の変の前後に日本人による修飾の多いことから日本書紀編纂の主導者を藤原不比等とし、また彼の急な発病と死により未完成なままの撰上にいたったことが推定されていました。前著と同じく、証拠をきちんと示して論が進められているのでとても説得的だと感じます。説明されてみれば当たり前に感じますが、古代の文語中国語に堪能な著者ならではの議論だと感じました。江戸時代の日本人にも漢文が良くできる人がたくさんいたからおかしな表現は指摘できたのでしょうが、史料批判の考え方の点で今一歩だったんでしょう。
国語学会では著者の説はすでに定説となっているそうです。史学の分野でも日本書紀を材料に論じるためには、著者の説にそのまま従うか、または漢文の知識で著者の説の当否を明らかにしてから議論をする必要があるのは確かですね。読んでいて、一つだけ気になったのは十七条憲法に関してです。著者は
『憲法十七条』は偽作だと私は考えている。拙著『日本書紀の謎を解く』では、憲法から十七項の倭習を掲出した。さらに前稿では、五井蘭洲が憲法の文章に加えた十六項の添削を紹介した。私は、憲法について『文体的にも文法的にも立派な文章』『正挌漢文』と見なす通説を批判したのである。 
憲法には正挌漢文から外れた誤用や奇用が満ちている(A)。憲法の誤用や奇用は、β群に共通する倭習である(B)。私はこれらの事実を総合して、憲法を偽作だと判断したのである。
と、本書の中で述べています。これだけだと、偽作とする論拠が弱いように感じて、前著を読みなおしてみると
以上、憲法から十七例の倭習を摘出した。憲法を『文体的にも文法的にも立派な文章』と見なす通説は誤りである。果たして、憲法は太子の真作なのか。幕末の考証学者、刈谷棭斎の『文教温故批考』は、書記には作者の全文を載せた文章がないことを理由に、憲法を「日本紀作者の潤色」と見なした。私も偽作説に立つ。ただし、棭斎の根拠だけでは薄弱である。憲法の倭習は、その大半が憲法以外の巻二二の本文にも現れていた。巻二二だけではない。β群に一般的な倭習なのである。金石文などに残された推古期遺文や白鳳期遺文にも、倭習の勝った文章がある。しかしそれらは概して、憲法やβ群の文章に比べて古色を帯びているように感じられる。憲法とβ群との倭習の共通性は無視しがたい。憲法の制作年代は、β群の述作年代に近かったのだろう。かなり新しい時代のものと推測される。少なくとも、書記の編纂が開始された天武期以後であると私は考える。
と書かれていました。私も著者の言うとおりに、十七条憲法が聖徳太子の作だとは思いませんし、日本史の研究者の多くも偽作と見なしていると思います。著者は日本書紀の記述の特徴、語法から論じている人なので、十七条憲法偽作説もその観点から実例で論証してほしいなと感じます。特に、著者は誤用・奇用といった特徴から日本書紀αβ両群のそれぞれ複数の筆者を識別したり、風土記の述作者の能力を推し量ろうとしています。十七条憲法の倭習が、推古期にはありえないもので、単に十七条憲法の起草者(聖徳太子??)の書き癖ではないことを示して欲しいのです。例えば、現存する推古朝期の文字史料に見られる倭習は朝鮮半島からの影響が色濃い百済習的な倭習なのに、日本書紀の中の十七条憲法の文章に目立つ倭習は天智・天武期の日本人の書いたものによくみられる倭習なので後になってつくられたものだとかいった具合に。そうでないと、十七条憲法は日本人のつくったものだから、倭習紛々たる文章なのは当然だと主張する人が出てこないとも限らない気がします。

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