2011年12月2日金曜日

帝国海軍の最後

原為一著
河出書房新社
2011年7月30日 復刻新版初版発行
本書の帯には「アメリカ、フランス、イタリアで翻訳されベストセラーとなった名戦記が待望の復刊!」と書かれています。それは単なる謳い文句というわけではないようで、私が本書の存在を知ったのも、アメリカのとあるウォーシミュレーションゲームのフォーラムで、推薦図書の一冊として挙げられていたからです。それを知った当時、日本では絶版になっていたのですが、この夏、日米双方で復刊されたようです。
著者は天津風の駆逐艦長として開戦を迎え、南方攻略作戦、ミッドウエイ作戦、ソロモンキャンペーンに参加しました。ソロモン戦の途中で第27駆逐隊司令に昇進して引き続き多数の輸送任務に従事し、また海戦でも活躍しました。その後、本土の水上特攻隊の司令として過ごした後、巡洋艦矢矧の艦長として戦艦大和の沖縄特攻の護衛を行い、最後は撃沈されました。この沖縄特攻では出撃前から死を覚悟せざるを得なかったでしょうが、さらに漂流という本当に死を予感させる体験もして生還した方なのですね。アメリカで本書が出版された理由のひとつは、ソロモンキャンペーンの戦闘に何度も参加し、しかも大和特攻も体験したという著者の経歴があるからなのでしょう。


本書を一読してみての私の感想ですが、「名著」とは言い難いところ。 当事者が書いた作品ではあっても一次史料ではない本書は、読者をひきつける魅力・おもしろさという点でも弱点があります。この戦争も70年近く前の出来事になってしまったわけで、興味深く読める作品をということであれば、本書自体を手に取るより、一次史料と本書のような当事者の著作などをもとにして読みやすくまとめた作家・ライターの作品を手に取るべきだと感じます。
本書の初版は1955年で、戦後しばらくしてから書かれたことが本書の記述からも明らかです。また152ページの記述から著者が従軍中ノートをつけていたことも分かり、そのノートを元に本書は書かれたのでしょう。しかし、そのノートがどれだけ詳しいものだったのか、少なくとも本書が臨場感あふれる作品に仕上がっているとは言えません。また戦後しばらくしての著作なのに、事実関係にも問題がないわけではないようです。
例えば、96ページから記載のあるコロンバンガラ輸送作戦。一般にはベラ湾夜戦(Battle of Vella Gulf)と呼ばれているそうです。この海戦で著者座乗の駆逐艦時雨は敵艦に魚雷を一発命中させたと記してあります。海戦後のアメリカの戦果の発表について「比較的正しく発表し」と評価しながら、時雨の与えた魚雷の被害についての発表がないことを「自国の損害一隻を忘れたのは、双方ともにありがちなことであろう」としています。実際には対戦したアメリカの駆逐艦には被害がありませんでしたが、著者は「その後の調査によれば、ムースブラッガー中佐指揮する駆逐艦六隻であった」としているだけで、アメリカ側の被害の有無についてはそれ以上触れていません。本書のアメリカでの評価が高いということですから、もしかすると英訳本ではこういうあたりには注がついていたりするのかもしれませんが。
しかし、当事者ならではの経験談、感想が多数載せられていて、勉強になります。例えば、比叡などが撃沈された第三次ソロモン海戦に天津風も参加し、アメリカの巡洋艦に魚雷を命中する戦果を与えましたが、舵が故障して落伍してしまいました。翌日ようやく追いついたところ「貴艦はいまのいままで沈没となっていた。生還おめでとう」と手旗信号で返されたそうで、乱戦というのはこういう状況になるわけですね。また、第二次ベララベラ海戦のところには「すぐに追いつきたいが、艦底の汚れた時雨、五月雨は30ノット以上の速力はでない」と書かれてあって、駆逐艦を入渠整備させる余裕のなかった日本海軍の実情が判明。さらに、舵や探針儀にも不調が出現した時雨はラバウルから本土へ入渠整備のために向かうことになります。ついでに輸送船2隻を護衛する任務を与えられたのですが、一隻の輸送船は魚雷を命中させられてしまいました。。探深儀が不調ということはあったかもしれませんが敵潜水艦の所在が分からず「消えかかった魚雷の航跡をたどり、発射の起点と思われる付近に、いきなり爆雷六個をたたき込んだ。しかしその効果は不明であった」と書かれているあたりに、日本海軍の対潜戦のレベルがにじみ出ています。

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