BMC Publications
2009年発行
本書はAmphibious Operations in the South Pacific in WWIIという三部作の第3巻です。第1巻は上陸用舟艇について、第2巻はソロモンキャンペーンを扱っていますが、この第3巻はロジスティックの重要性について扱っています。
著者は徴兵適齢以前に、溶接工としてリバティ船の建造に従事し、その後、Naval Arms Guardの一員としてガダルカナルへの輸送船に乗り込みました。著者の乗り組んだ船団はガダルカナルで日本海軍の空襲を受け、著者も持ち場の20mm対空機銃で応戦しましたが、僚艦のLSTとAKが沈没しました。また帰路では潜水艦の雷撃でやはり僚艦のAKとDEが沈没するという経験をしていて、本書の中でもこの体験がなまなましく綴られています。また、ガダルカナルは高齢者にはきつい、ガダルカナルとツラギ基地の初代司令官は54歳だったが肺炎で後送され、2代目も50歳で障害を負って帰国したことなど初めて知りました。さて、その著者がこの第3巻で取りあげた主なテーマは
- 開戦前の標準船の計画から、リバティ船・ビクトリー船をはじめとした戦時の急速建造とその実施主体となったMaritime Comission
- 港湾・兵站・支援機能の乏しい南太平洋地域での作戦を可能とした支援艦艇
- Seabeaの沿革、編成、ソロモンキャンペーンでの建設・港湾荷役任務での活躍
- 急速に拡張されたアメリカ商船隊。不足する商船を陸軍・海軍・レンドリース・民間貿易に振り分けたWar Shipping Administration
- 商船の防衛用の砲・機銃を扱うNaval Arms Guardの活躍
- 大戦中に拡張されたアメリカ陸軍の船隊
などです。こういったテーマについては戦争中から戦後60年のあいだに語り尽くされている感もあります。ですので、本書におさめられている文章は著者があらたに書き下ろしたものではなく、アメリカの政府文書やこれまでに書かれた戦史から抜粋してきたものです。重要性の高い史料から選ばれたものだけに、私のような外国の門外漢にとってもとても勉強になりました。
例えば、戦前に策定した標準船を大量建造したかったのですが、タービン、ギアなどの供給が海軍艦艇優先政策で不足し、商船には入手可能なレシプロ機関を載せたので、速度の遅いリバティ船で我慢しなければならなくなりました。設計に時間の余裕がなく、石炭炊きを重油炊きに、船橋を一つになどの変更はされましたが リバティ船はイギリスの設計に準拠したものだったのだそうです。また、現在の眼で見るとアメリカ西海岸は東海岸に劣らないように見えるのですが、当時の工業施設の分布はそうではありませんでした。伝統ある造船会社は北東部に集中し、そこでは海軍艦艇の建造が優先されました。商船は新たに船台を設けて建造することになりましたが、人手や資材の供給を容易にするために、西海岸に多くの新造船所が設けられました。船台の増設は比較的容易だったので開戦後も造船計画は次々と拡張され、最終的には鋼板の供給がネックとなりました。鋼板不足で手空きの造船所が生じたことと、戦争目的と終戦後の利用を考えてもっと速い貨物船が望まれていたこともあり、リバティ船より速度も速くましなビクトリー船が建造されるようになりました。
戦前には、開戦後の輸送船には海軍が乗組員を提供して、陸軍部隊や資材を輸送する予定でした。しかし、開戦前からの海軍艦艇の新造で乗組員が不足し、計画は破綻しました。さらに陸軍が陸軍の計画にそった配船・輸送を希望したことや、新造船の配分などで陸海軍の合意がなかなかできず、 希少な資源である輸送船を有効活用するために、大統領の命令でWar Shipping Administrationがつくられたのだそうです。アメリカ陸軍は、輸送船・上陸用舟艇・タンカー・哨戒艇・タグボート、雑役船など多数の船舶を所有・運用することになりました。もちろん、海軍艦艇に比較すると小さな船ですが、隻数としては海軍の艦艇数を大幅に上回っていたのだそうです。
戦争中に1000総トン以上のアメリカの商船733隻が撃沈され、6700名の船員が死亡、670名が捕虜となったと書かれていました。日本の船員は6万名ほどが亡くなったのだそうで、10倍ちかい差があります。商船隊の規模を考慮すれば、その差はもっと大きいはず。こんな風に、造船でも護衛でも、アメリカが日本に比較してずっと贅沢な状態だったのは確かですが、日本と似た事情があったということも本書から学んだ点です。予算の面から日本海軍が戦闘艦艇優先で建造しなければなりませんでしたが、アメリカ海軍も1925年から1940年までに駆逐艦・巡洋艦・空母の数を倍増させましたが、補助艦艇の数は同じままでした。1940年の両洋艦隊法で新造の決定した125隻の戦闘艦に対し、補助艦艇は12隻だけだったのだそうです。また、機関の調達問題から性能の劣るリバティ船を建造しなければならなかったことは日本の第二次戦時標準船と似ていますよね。さらに「空母」まで所有したと揶揄される日本陸軍ですが、アメリカ陸軍も多数の船舶を所有していたということを知り驚きました。陸海軍と民需とで乏しい船舶をとりあっていた日本ですが、はるかに大きな商船隊をもつアメリカでも決して運用に余裕があると感じてはいなかったことが分かります。全体的にやさしい英語で書かれていますし、この分野の基本的な知識を得るためには悪くない本だと思いました。
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