社会経済史学会編
有斐閣
2012年6月30日 初版第1刷発行
社会経済史学会80周年ということで、31の分野がレビューされています。担当している執筆者の多くは、当該時期の文献の中から代表的なものをいくつか選んで、この10年あまりの研究の動向を紹介し、最後は「本格的な検討はまさに今後の課題である」「広い視野からの研究の進展が期待されるのである」「今後の課題として残されている」ってなかたちで、ありきたりな感じでまとめていました。こういったレビューが多い中で出色だったのは5番目の章の「中近世における土地市場と金融市場の制度的変化」でした。
この第5章は、中近世1000年ほどの農地に関わる制度の変化が農業技術と農業生産性の変化に応じて起きてきたことを、制度経済学的な言葉を使ってすっきりまとめています。例えば、田畑の支配権を持つ地主がその農地を雇用労働力を用いて直接経営するか請負経営にするか賃租にするかは、その時期の農業技術を用いて耕作する直接生産者がどれだけのリスクを負うことができたかに規定されていたとか。 また、田畑永代売買禁止令というのは売買を実際に禁止するためのものではなく、村境を越えた土地売買取引を統治する司法業務を提供しないというものだった。村境を越えた土地取引に司法業務が提供されたその前後の時代には村境を越えた農業金融が実現していて、予期せざる事情により不作から債務の累積が起こると、室町時代なら徳政を要求する一揆がおこり、明治時代には松方デフレに対する困民党事件のような事態が生じたわけで、江戸幕府の政策はそれを避けたものとして一定の合理性を持っていたとか。こういった具合に、墾田地系荘園、公廨稲制、国免荘、荘園公領制、職の体系の成立、地主の農地経営方法、本百姓制度の確立といった現象が、日本史の論文でふつうに使われるのとは違った用語を用いてすっきり説明されていることにとても感心させられました。この章は主に西谷正裕さんの「日本中世の所有構造」という著書をもとにまとめたとあるので、この説明のすっきり感は西谷さんの著書がとても優秀だからなのか、それともまとめた筆者の能力が高いためなのか、どちらなのでしょう。確認のために西谷さんの著書の方も読んでみたくなりました。
同じく農業史をあつかった27章も、世界的には例の少ない減免付定額小作が日本でひろくみられ、小作人の土地改良の誘因となって自作地と小作地の土地生産性が同等であったこと、チャヤノフ理論の日本での実証、東アジアでもほかに例のない単独相続制が日本の農村に信頼をもとにした関係構築を可能としていたことの指摘など面白く読めました。ほかにも勉強になった章がいくつかあります。
でも、分かりにくく表現する書き手もいて、例えば14章「イギリス帝国の森林史」(この章が最悪というのではなく、もっと悪文の章がありました)。
本章では、グハの研究の前提となっている植民地を支配する側とされる側(支配と抵抗/西洋と非西洋/近代と伝統)にわける単純化されたフレームワークが、植民地期の林学・森林政策の理解を画一化、固定化してきたという問題意識から、この二項対立からの脱却によって新たな地平を切り開こうとする研究を取り上げる。という文章があります。この中には「から」という助詞が2回も使われています。さらに「~~は」と文の主題を提示した後に続く部分が長く複雑になので、提示されたテーマと、その後の文がどう関係するのか見通しにくくなっています。この例に挙げた文章は
グハの研究の前提となっている植民地を支配する側とされる側(支配と抵抗/西洋と非西洋/近代と伝統)にわける単純化されたフレームワークが、植民地期の林学・森林政策の理解を画一化、固定化してきたという問題意識から、本章では、この二項対立からの脱却によって新たな地平を切り開こうとする研究を取り上げる。というように「は」という助詞を文の中ほどに下げるだけでも多少見通しがよくなるでしょう。でもこれもいい文章ではないので、もっと達意の文章を書いてほしいものです。
第3編には地域と題して[1]中国、[2]インド、[3]ヨーロッパと三つの章があります。中国の章では、機械製糸業、機械性綿紡績業などの機械性近代工業の展開、通貨金融制度の統一、中央集権的な財政制度の確立などをメルクマールに近代的国民経済の形成が述べられています。それに対してヨーロッパの章では、冷戦、経済成長の黄金時代、福祉国家志向、戦時統制経済の経験を背景に「経済史学において一国史的研究、あるいは国民国家を分析単位とする研究の優勢は第二次大戦後、1950~1970年代初頭に一つのピークがあった」が、ヨーロッパ経済統合、ベルリンの壁崩壊を背景に1980年代以降「地域の経済史」が流行してきたことが述べられていました。清朝の時期の中国には、ヨーロッパの一国をしのぐ規模の地域経済圏がいくつも存在していましたが、それらがどのように統合されたのか、真に統合されたといえるのかといったことの方を扱ってほしかったところです。政治的には統合されてはいて経済的にはどうなんでしょう?現在の中国の抱える問題に経済の地域間格差がありますが、これは近代以前の構造に由来するものではないんでしょうか?経済史で研究されるテーマにも流行があるはずですから、もしこのあたりが注目を集めてないのだとしたら不思議な気がします。
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