2009年3月15日日曜日

前工業化期日本の農家経済の感想の続き

地主制を扱った第5章に引用してあった次の文章
農地改革で土地を取りあげられた百姓は(巨大な不在地主や封建地主は、この場合勿論、論外である)、その時にたまたま家族数が不足していたがために、耕作段別がその所有段別に比して少なかったものであり、逆に土地を入手することのできた百姓は、その時の家族数が所有段別に比して多く、従って余剰の家族労働を、小作に向けていたものであった(松好貞夫著「村の記録」岩波新書1956年)
が印象的でした。

農家のライフサイクルに従って小作地がやりとりされていたという著者の主張を裏付けてくれている文章ですが、戦争で若い男手がたくさん兵隊にとられていた直後の改革ですから不利を被った農家も多かったのでしょうね。また、実質的に小作が禁止されたことも悪影響をもたらしたに違いないですし、農地改革の負の面についてもっと勉強しなければと自覚させられた感じです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

農家@網走ですが、農地改革のとき、引用記事のような状況が多々あったと親からも聞いております。

somali さんのコメント...

やはり、実際にそういう事例があったのですね
ますます、勉強の要ありだな