ブライアン・カプラン著 日経BP社
2009年6月発行 税込み2520円
民主主義がうまく機能していないことの理由として、投票者の望むことを反映していないからではないかとされてきました。その原因として従来は、自分の一票が選挙の結果を変える確率がゼロに近いことから有権者が充分な検討を省いて「合理的無知」の状態で投票しているとする考え方がありました。しかし、本書で著者は、この合理的無知の考え方の代わりに、自分の信念を満たすように非合理的な投票行動を有権者がとることが民主主義の失敗の原因であると主張しています。つまり、「民主主義は投票者が望むことを反映する、という理由で失敗する」のです。
現代の政策論争の中心が経済に関するものなので、この有権者の非合理性をもたらす思いこみの例として、反市場バイアス(市場メカニズムがもたらす経済的便益を過小評価する傾向、規制を望む)、反外国バイアス(比較優位の法則を理解できていないので自由貿易に反対する傾向)、雇用創出バイアス(労働節約的な方向に反対する)、悲観的バイアス(未来は現在より悪くなる)を著者は挙げています。経済学者はこれらの思いこみを誤ったものと考えますが、それにも関わらず人々がこういったバイアスを持ち続けるのは
定石通りに、「他の人たちが自分に賛成しないのは、おそらく彼らが自分よりも多くのことを知っているからだろう」と真剣に考える人はほとんどいない。批判者にとって、経済学者の特徴的な考え方に対する最もまっとうな説明は、これらのいわゆる専門家が偏った意見を持っているということである。
こういったバイアスをもった多数の有権者がになう民主主義による政治が、時代とともに世の中をどんどんと悪化させずに済んでいるのは、有権者よりは経済のことを分かっている政治家が有権者の怒りを買わないような方法で有権者の望んだものとは違う政策をとったりなどしているからだとのことです。世間では市場原理主義の評判が良くないけれど、経済学者はちっとも市場原理主義者なんかではないし、それよりも実際にはデモクラシー原理主義がはびこっていることの方が問題だと著者は主張するのです。
アメリカで行われた調査の結果では、ふつうの人が上記のバイアスを強く持っているのに対して、教育程度の高い人ほど、これらの点について経済学者の態度により近い考え方を持つ傾向がありました。なので、デモクラシーをよりよく機能させるための方法として著者は、参政権をある種の試験に合格した人のみに与える、経済リテラシーの高い人には複数の投票を可能にする、(もともと経済リテラシーの高い人の投票率の方が高いので)投票率を上げるような取り組みを減らす、または教育カリキュラムを経済リテラシーを重視したものに変更するといった提案をしています。
ざっとこんな感じの本なのですが、読んでいてとても不快でした。本書の文章は日本語としてこなれているとは言えず、もとの英文を参照してみたいと感じる箇所が少なくなかったり、また脱字が散見されたりなどがその一端です。ただ、それよりも私にとっては本書の主張自体が不快に感じられました。私もバイアスに侵されたふつうの人間だからでしょう。また、参政権を改革しようとする反普通選挙の主張についても、どうどうと著書に記した勇気に対して敬意を表しますが、デモクラシー原理主義に侵されているせいか読んでいてやはり気分のよいものではありませんでした。
著者はふつうの人が経済に関する偏った思いこみを持っていると主張しています。例えば、比較優位の法則から自由貿易が望ましいのに、ふつうの人は反外国バイアスをもっていてけしからんというわけです。でも、これはこれで意味のあることなのではないでしょうか。ふつうの人は何もアダムスミス以来の比較優位の法則を否定しようというのではないはずです。関税の引き下げなど貿易障壁が撤廃されるに際して職を失う人が出ることは必定で、しかも失職後直ちに以前と同様の条件で新たな職に就けるわけでもないことなど、ふつうの人はこういった点を懸念しているのではないでしょうか。多くの人がバイアスを持ち続けているというのであれば、それがなぜかを考えてそのバイアスを減らす対策(経済学を教え込むという対策ではないですよ)をとることの方が必要に思えます。
でも、バイアスの考え方について、全く同意できないわけではありません。本書にはtoxicologyも例としてあげられていましたが、日本でのBSEや遺伝子組換え作物などなどに対するふつうの人やマスコミや政府の過剰反応を思い起こすと、経済学者である著者がふつうの人の経済問題に関するバイアスをあげつらいたくなる気持ちも理解できなくはない気がします。
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