2009年10月30日金曜日

清代中国の物価と経済変動


岸本美緒著 研文出版
1997年1月発行 本体9500円

清には皇帝に各地の米価を報告する制度があったそうです。一般的には前近代の物価の経時的なデータを収集することは困難ですから、この制度の存在は物価史の研究にとても役立ちそうに思えます。しかし著者によると、データの信頼性に問題があるのだそうです。激しく物価が上下する時にはそのまま報告すると上司から叱責されるおそれがあるので、加工していたのだとか。おそらく不作による米価高騰が騒動を引き起こしそうな時でしょうか。また、各地で通用していた貨幣の違いから換算が難しく、比較しにくい点もあるそうです。

ただ、そういったデータも各地からのものが集まると、物価に長期的な変動があったことが明らかです。物価の記録に加えて、その時代の経済が活気を帯びていたのか沈滞していたのかは同時代の人の記録を読めば分かりますから、中国にも長期的な波動が存在したことは明らかです。ここから、銀の動きを媒介に、ヨーロッパや日本との関連を想像するのはお楽しみですが、本書でも第五章清代前期の国際貿易と経済変動で説得的な議論がなされています。

著者は中国経済の全体規模に対する貿易額の割合を1.5%前後と大雑把に見積もっています。1700年のイギリスの総商品貿易額が国民純収入に対する比率は26%にも及ぶそうで、それに比較すると清朝経済の貿易に対する依存度は低かったのですが、清初の海禁が国内経済に不況をもたらすという影響を与えたことを考慮すると、清代経済にとっての貿易の意味はかなり重いとせざるを得ないとしています。こういった事実は、ヨーロッパ経済に対する新大陸貿易を考える際にも、参考になると思うのです。新大陸貿易の比率が低かったことを理由に、ヨーロッパの経済発展に新大陸の存在が必須ではなかったかのような議論は、この清の事例を考えると成り立たないですよね。

前近代の中国の人が古典や先人の文章・意見を引用している際には、必ずしも文字通りに理解すべきではなく、レトリックとして自分の主張の補強に使っていることがあるのだそうです。例えば、土地の所有に関して、ある論者の文章の中には「土地王有論」と「民田は民自有の田」という一見相反するような主張がともに使われています。前者は土地所有者の恣意を抑える論として使われ、後者は国家の不当な干渉を排除するために使われています。文字通りに読んでしまうべきではないとのこと、そういった事情を知らなかったので勉強になりました。

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