2010年1月17日日曜日

インボリューションの感想 続き

刺激的な本だけに読みながら、ギアーツさんの言いたかった本筋とは関係ないところで、いろいろと気になってしまう点があります。

本書の中では、ジャワの特徴を示すために日本との対比がなされています。ジャワでも日本でも同じ時期に人口増加がみられました。日本の場合は地租という農業部門の負担で民族資本の非農業部門の産業が設立され、その非農業部門が増加した人口を吸収したので、農業従事者数は人口の増加にもかかわらずほぼ一定で推移しました。このため、非農業部門での労働生産性の上昇とともに、近代に大きく土地生産性が上昇した農業部門でも労働生産性が上昇しました。ジャワでは、農業部門が増加した人口を引き受けたために、労働生産性が低下はしなかったかも知れませんが上昇することもできなかったのです。日本経済を考える際に東アジアやヨーロッパや南アメリカの国との比較は念頭にありますが、ジャワとの比較という視点はなかったので新鮮に感じました。

この時期の日本の人口の増加は、もともと人口が増加しつつあった西南日本に加えて、それまで人口が減少・停滞していた東北日本でも開国のインパクトで生糸の生産などが刺激されて経済的に潤ったことから人口が増えたことが原因かと思います。ジャワでも約100年で3000万人も増加したということは、なんらか人口を増やす要因があったはずですが、何なんでしょう。土地生産性が上昇しても労働生産性が本当に一定な完全なインボリューションで、生活レベルの向上がなかったとしたら、人口増加の理由が不思議です。いくら強権的な植民地政府でも、住民の意思に反して人口を増やすことはできないでしょうから。

ジャワのサトウキビ栽培といえば、台湾産の原糖がジャワ糖などと比較して価格競争力をもたなかったことが思い出されてしまいます。台湾糖よりもジャワ糖の方が安かった理由として思いつくのは、
  • ジャワという本当の熱帯と亜熱帯の台湾の気候的な違いが効いている
  • ジャワの農民の生活レベルが台湾の農民より低く、安く生産できたから
たしか、台湾総督府からジャワ糖業の視察に行っていたと思うので、調べると分かりそう。

また、台湾では米糖相克問題というのがあって、米価が高くなると農民がサトウキビではなく稲を栽培してしまうことがあるので、製糖工場ではサトウキビの確保に苦心していました。ジャワのサワでの栽培でそういうことは問題にならなかったのかが気になります。ジャワでは強制栽培が行われたように書かれていますが、台湾総督府よりオランダ領東インド当局の方が、農民に対して強権的にサトウキビ栽培を押しつける力を持っていたということなのでしょうか。または、台湾では日本に植民地化される以前からサトウキビ、米を生産・移出していたので、植民地化後も輸移出を手がける民族系の流通業者が残っていたからか。また、台湾米は日本という大市場をもっていたが、ジャワ米は輸出市場に恵まれなかったということなのか。


インボリューションの感想

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