2010年1月11日月曜日

ウォール・ストリートと極東


三谷太一郎著 東京大学出版会
2009年12月発行 本体5600円

日露戦争後、戦時に募集した外債の負担と国際収支の赤字に悩まされていた日本にとって第一次世界大戦は天佑であり、大戦景気を謳歌して多額の対外債権を得ました。しかし、輸入代替工業化政策をとっていた国の例に漏れず戦後は再び貿易赤字が続きます。また1920年代の日本は不況続きで、1923年には関東大震災という天災にも見舞われました。大戦中に金輸出禁止措置が執られていたので、国際収支の赤字を反映して為替レートは円安傾向で推移しました。しかし完全な変動相場制だったわけではなく、外債の利払いなどを考慮するとあまりに円安に振れることは望ましくなかったので、在外正貨を使って為替レートを実勢より高めにコントロールする政策がとられていました。この措置によって減少する在外正貨を補充するため、新たな外貨国債こそ発行されませんでしたが、1920年代には地方自治体の外貨建て債券や電力外債などの社債が大量に発行されました。戦間期の日本の施政者は、外債の発行や借り換えがスムーズに行えるような関係がアメリカ・イギリスとの間に続けられることを念頭において政治にあたったわけで、例えばロンドン海軍軍縮条約に対する浜口民政党内閣の姿勢がそれを示してくれています。戦間期のヨーロッパの政治外交の基軸となったベルサイユ体制に対応するアジア太平洋地域での枠組みはワシントン海軍軍縮条約・九カ国条約と四国借款団からなるワシントン体制ですが、持続的な工業化政策を可能とするための前提条件として戦間期の日本はこのワシントン体制を遵守する必要があったわけです。本書には、戦間期の日本の対英米協調路線・政党政治、そして満州事変でワシントン体制を崩壊してゆく様子などが、アメリカの銀行家など国際経済人の史料などをもとにえがかれていました。

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