中西聡著 名古屋大学出版会
2009年11月発行 本体7600円
タイトルの海の富豪というのは北前船主のことです(北前船はキタマエブネですが、北前船主はキタマエセンシュと読むのかな?)。北前船主は西廻り航路でニシン粕や昆布・鮭などの北海道産品、米・塩・砂糖や漁業に必要な品物などの本州・四国の産物とを輸送していました。特に江戸時代には北海道産品の価格が北海道現地と本州とでは大きく異なっていたので、北前船主は買い積み輸送を行うことにより大きな利益を上げることができました。明治に入ってからも縮小はしながらニシン魚肥などには価格差が存在したので、西洋式帆船の導入などで対応しながら北前船の運行が続けられました。しかし松方デフレの影響や、また電信や汽船による定期航路が拡充されることなどにより、やがて買い積み輸送は割の合わないものとなりました。本書の序章から第一章・第二章にかけては北前船と北海道産品との関係についてのとても分かりやすいまとめになっていて、勉強になりました。
本書の第一章から第六章では複数の北前船主の経営の実際を紹介して、各類型に分けて分析しています。例えば、ひとつは江戸時代中期から松前藩の場所請負商人だったり、場所と関連した荷所船という輸送を行っていた船主たちです。北前船の運航を家業としてとらえていたようで、明治に入って産地と本州の価格差が縮小していくことに対して、北海道で自ら漁業を経営したり北海道に支店を設けたりなど、単なる買い積みから垂直的な統合により北前船の運行継続を指向する例がみられました。
また、江戸時代に年貢米輸送などの御用も請け負っていた北前船主が一つの類型です。特に大藩の城下の湊や年貢米の流通拠点に本拠を置いていた船主がこれにあたります。この種の北前船主は御用を手がける特権を利用して利益を上げられる時期がありましたが、幕末に多額の御用金を負担させられることによって疲弊しました。また明治に入ってからも旧御用商人として期待されて地域での企業設立に参加している例が多かったのですが、それらの企業が1880年代の松方デフレで破綻したことによってさらに経済力を失ってしまい、来るべき企業勃興期には充分に投資する余力を持ち得ませんでした。
北陸地方では資産家の上位に多くの北前船主が含まれていました。「日本の産業化と北前船主」と銘打った終章では、近代日本の地域格差の一因として北前船主の企業勃興期の投資姿勢を挙げて、
北前船主は近代初頭に多額の商業的蓄積を進め、日本海沿岸地域の企業勃興の担い手となるべき存在であった。しかし彼らは商権の維持に商業的蓄積を専ら投入したり、会社設立に関わっても銀行・運輸など流通局面に集中したため、日本海沿岸地域の工業部門での会社設立は、南関東・東海・近畿臨海地域に比してかなり遅れた。というのが著者の評価です。ただ、これについては少し疑問も残ります。
例えば、昨年読んだ日本における在来的経済発展と織物業では、江戸時代に白木綿の産地として有名だった富山県の新川木綿の衰退について、この地域では綿を購入して綿糸から綿布への生産が行われていたために、原料を国産綿花から輸入綿糸へと転換させるインセンティブが綿商になかったことがあげられていました。本書ではそれに加えて、横浜に輸入された綿糸を本州の反対側の富山県にまで運んで販売するメリットを感じなかった越中国の北前船主・綿商が、綿取引から輸入綿糸取引へ転換することなく、より利益の見込める北海道交易に転換したことを、新川木綿の産地が輸入綿糸導入に遅れた大きな要因としてあげています。それならば、北陸地方が外国貿易港から遠かったことも日本海沿岸地域の工業部門での会社設立が遅れた要因でしょうし、ほかにも地理的な要因はありそうです。ただ、著者はそういった立地条件は当然のこととして、北前船主の役割を強調しているのかもですが。
近世の日本では外国貿易が制限されていて、ブローデルのいう資本主義の三階が欠如していたわけですが、北前船の買い積み輸送は規模が小さく期間が短いながら三階の役割を果たしたのかなと、そんなことまで妄想させてくれる面白い本でした。
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