2010年8月6日金曜日

韓国近代都市景観の形成



布野修司他共著 京都大学出版会
2010年5月発行 本体7000円
共著者のうちの3名はお名前から韓国の方のようです。このお三方が、日本人の居住用に日本の様式で建築された住宅(日式住宅)が多く残されている、慶州、日本人が移住して韓国に作った漁村、植民地時代に作られた鉄道の官舎をそれぞれ実地調査(本書中では臨地調査という言葉をお二人は使っています。朝鮮語には隣地調査という単語があるのかも)も含めてまとめた論文が収められています。それで、日本人移住漁村と鉄道町というサブタイトルがついているのでしょう。また、それらの背景を理解しやすくさせるために、歴史、植民地下と韓国の都市計画、植民地下での、歴史的建造物の破壊、21世紀のソウルや開城や平壌の様子なども解説されていて、面白く読めました。
実地調査ではそれら元日式住宅の現在の住人にインタビューをしたり、敷地・間取りについて事細かく調査したりして、結果が記載されています。私は建築の専門家ではないので、一軒ごとの間取りや日式住宅の建てられている地域の詳細な地図などについては、面白く読めたとまでは言えません。素人としては、多数例をまとめて得られる結論だけをついつい先に知りたくなってしまうものです。しかし、こういう論じ方を読んでいると、医師の場合であれば自験症例を多数まとめ、そこから疾患の特徴を拾い上げて発表するようなやり方と似ているなと感じました。専門家があることを主張するにはこういった手続きが必須なのはどの分野でも同じなのでしょう。
1940年代には70万人以上の日本人が朝鮮に住んでいたそうで、日式住宅もたくさん建てられ、解放後もその多くがしばらくは使われたのでしょう。襖で間仕切りし襖をはずせば隣接する部屋を一つの広間として使える点、押し入れ、台所、屋内に存在するトイレといった日式住宅の特徴が、解放後の韓国の住宅の様式に影響を与えたことが結論の一つとして述べられていて、勉強になりました。
朝鮮には地方の行政の中心として、城壁で囲まれ中央からの役人が仕事をする役所や国王に対する敬意を表する施設の存在するる邑城というものが百数十あって、邑城のあった場所は植民地時代以降に都市にまで発展した例が多いのだそうです。ただ、城壁で囲まれた地域ということで、この邑城を城壁「都市」と考えたり、また地方政治の焦点ということで江戸時代の城下町を思い浮かべたりしたくなります。しかし、慶州が邑城のあった場所の例として慶州を取りあげている本書の論考を読むと、城壁の中に住む人は決してその地域の裕福な人たちではなく、常設の店舗があるわけではなく、場内には農地もあったということで、都市や城下町・町場とはかなり違う場所のようです。日本と朝鮮の商品経済の浸透の程度の違いがかなり影響しているのでしょう。
本書の論考の元となった実地調査は21世紀になって行われたそうですが、敗戦後60年も経過しているのに、元日式住宅が調査するに値するほど残存していることにとても驚きます。もちろん、韓国の人の暮らしに会うように手が入れられてはいるそうです。日本にも、戦前に建築された住宅が今でもまとまって存在している場所というのがあるのでしょうか。それも知りたくなりました。

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