永原慶二著 吉川弘文館
2004年12月発行 本体3200円
苧麻はイラクサ科の苧と大麻の二種に分けられますが、布にまで加工されると区別されないので、苧麻とあわせて呼ばれています。本書では主に苧について書かれていました。苧は山野に自生しているものを採取したり、また後にはより高く成長して長い繊維が採れるように畠に栽培もしました。収穫後はまっすぐな茎から葉を落とし、道具で茎から皮を剥いで、繊維原料の青苧に加工します。中世にはこの青苧の形で流通しました。青苧は細長い繊維に裂いて、それをつないで糸にしました。苧麻布は丈夫ですが、硬く、染色しにくく、衣服にしても耐寒機能に劣ります。また、青苧にまで加工する工程は苧の収穫後すぐに行わなくてはならず、栽培農家が自ら行わなければならず、多段階の分業化が困難でした。さらに、苧績み(おうみ)と呼ばれる青苧から糸にする工程に熟練と長い時間がかかりました。
苧麻にはこういった欠点が多かったため、木綿の存在が知られると十三世紀頃から軍事目的で輸入されるようになり、十六世紀ごろから日本国内での栽培が急速に普及しました。木綿は柔らかく染色しやすく、また一反の布を生産するのに要する時間も苧よりもずっと短くて済み、 衣服にするには裃などをのぞけば苧麻よりもずっと優れていました。また、苧に比較して実綿→繰綿→綿打→篠巻→綛糸→(染色)→織布→(染色)といった分業が容易で、 時期が進むと実綿・繰綿・糸・綿布(白木綿・縞木綿など)といった多段階の中間産物や製品が流通しました。関西を中心に木綿はひろく商品作物として栽培され、園か工業も江戸時代最大の産業に発展しました。また木綿の生産には多くの金肥を要するんで漁業や肥料の流通を誘発し、また藍や茜の生産も刺戟されました。さらに苧麻から木綿への変化で、自給生産を行っている地域の農家でも衣生活が改善されただけではなく、女性の紡織労働時間の減少が農業へふりむけられたため労働集約型の家族経営が実現しました。これがいわゆる勤勉革命につながったわけです。
絹については、古代から中世にかけては繭から糸を牽き絹織物を生産する工程は熟練した技術と高価な織機が必要で、官衙や有力者の工房でのみ布にまで加工することができのだそうです。しかし繭の使い途は生糸の生産だけではなく、単に切りひらいて真綿にすることもでき、これはふつうの人にもできたので、保温性に劣る苧麻布とあわせて用いるために、作り続けられました。ただ、中世後半から江戸時代初めには中国から大量の生糸が輸入されるようになりました。江戸時代はその輸入代替工業化が目指され、成功したわけですが、それについては本書とはまた別の物語。
本書は、日本で衣服の原料とされた苧麻・絹について古代から近世にかけての歴史を分かりやすく説明してくれている好著だと感じました。著者が永原さんなので、上述した生産・技術的なこと以外に、貢納・納税の対象としての記述ももちろん詳細です。面白くためになる本です。
1 件のコメント:
わかりやすい要約、たいへん勉強になりました。
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