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高木正朗編 古今書院
2008年3月発行 本体6500円
歴史人口学も興味深い分野です。この本には、主に東北地方の史料に基づいた論考が14本集められています。第Ⅰ部地域編では東北地方各藩の人口の推移、仙台藩の田畑の分布と人口の関係、天明飢饉期の人口変化、疾患別の死因などについて検討されています。
第Ⅱ部村・地域編では仙台藩の支藩である一関藩の狐禅寺村(こぜんじむら、ATOKで一発変換できたのでびっくり)について、人口・家族構成・年貢納入の様子・人口減少に対する藩の施策などが検討されています。狐禅寺村には新生児死亡率・乳児死亡率を算出することが可能なほどの非常に良質な人口・経済データ史料が残存しているのだそうです。なので、平均余命もそれを使用して算出されたものです。
読んでみての感想ですが、個々の論考はデータに基づいて手堅く結果をのべているものが多く、興味深くはありますが必ずしも面白いとまでは言えません。狐禅寺村のデータは詳細なものなので、この村に当時住んでいた人の日記などが残っていて対照できたりすると、すばらしい作品になりそうですが、そういう史料はみつかってないのでしょう。
江戸時代の東北地方の人口というと、飢饉の影響に興味がわきます。第3章「天明飢饉期・陸奧国農村の人口と世帯」では、天明三年(1783)の飢饉の前後での人口を、仙台領北部の胆沢郡下若柳村・南部の柴田郡足立村・中部の磐井郡中村について明らかにしています。それによると、3村の人口減少率は、それぞれ27.4%, 55.0%, 8.8%に、また絶家率はそれぞれ23%, 50%, 18%とされています。減少の著しい下若柳村は田が耕地高の88%を水田単作地帯でした。
また、第11章「年貢納入と村」で狐禅寺村の年貢高の推移を米・大豆・金納ごとに数値が示してあります。これを見ると、天保6年の凶作時には米の年貢は平年の三分の一くらいに減っているのに、大豆の年貢は平年とほとんど差がなかったことが分かります。東北地方の冷害はヤマセによる米の不作が主で、大豆や雑穀は冷害に米ほど影響を受けなかったようです。ヤマセによる不作が起こりうる地域に、商品作物としての米生産をすすめた藩の政策が冷害の一因となったことが理解できます。
飢饉というと、中世では京に流民があふれて行き倒れ死体が多数放置されているという光景が想い出されます。また、一昨年「シリーズ中国にとっての20世紀 飢饉と救済の社会史」という本を読みました。1876年の山東・江北の飢饉の様子が書かれているのですが、「飢民が四方に食を求め、過江する者は絶えまもなく。数万数千を下らない」とのことで、長江を越えて都市に流れてゆく人が多かった様子が分かります。
上記の天明の飢饉の場合では、柴田郡足立村では人口減少率55.0%、絶家率50%となっているので、おそらく逃散というか故郷を捨てた人が多かったのでしょう。逆に考えると、飢饉の時でもその他の村では流民になるほどの被害はなかったと言えるのかな。
毎日ポスティングされるチラシ類の多さに閉口しています。市の広報もふだんはチラシ類に紛れて読まずに捨てちゃうことも多いのですが、昨日は一番上にあったのでエレベータの中でざっと眺めてみました。一面の下の方に、第2次地域福祉計画策定委員を募集という囲み記事が載っていました。
仕事柄、介護を必要とする人たちと接することが多々ありますが、コミュニティの崩壊している現在ではなかなか難しいことも多いものです。例えば、物を持って歩くことが難しい一人暮らしの高齢者にとってはゴミ出しなんかも問題となります。ゴミって分別して別々の曜日の早朝に出さなきゃ行けないものですが、介護保険のヘルパーさんはそんなに頻回にしかも早朝入るプランは立てにくいのが実情です。
ですから、住み慣れた地域で暮らし続けたいという希望を実現するためにも、地域で支え合う仕組みがうまくまわっていくことが望まれます。また、この手の委員会には市から委嘱を受けた学識経験者や実務者の他に、市民が公募されるのが当たり前のようになっていますが、住民の声を活かした計画になるといいなとは思います。
などと思いながらこの囲み記事を読んでいて、とても気になる点がひとつ。委員になるためには小論文を添えて応募するのですが、「メールの場合、添付ファイルで作成するものに限る」っていったい何。添付ファイルで作成するというこの表現の意味が私には全く理解不能です。小論文はメール本文には書かずに、添付ファイルとして送れっていう意味なのでしょうか。
もしかするとWinユーザー間では普通の表現なのかもと思って、「添付ファイルで作成するものに限る」でググったら1390件しかヒットせず、"添付ファイルで作成する"という完全に同じ表現は「市民活動センター たちかわ通信」という立川市関係のものともう1件だけでした。ググってこんな数しかヒットしないって事は、普通に使われる日本語でないのは確かでしょう。
立川市の職員の中にこういうおかしな表現を好む人がいるせいで、こう記されているのは分かりました。それにしても、数万部も発行する広報ですから、事前に他の人が読んでおかしな表現をチェックしたりはしないんでしょうか。不思議。
最近見るあじさいの花の中には、ひときわ濃い青紫や赤紫の株が目立ちます。時節柄あざやかに見えているだけではなさそうな気がします。また、あじさいの花の色は土壌のpHやアルミニウムの濃度に影響されるそうですが、それだけでもなさそうなほど、色が濃い。きっと品種改良などされて、お庭に植える人が増えているのかなと思います。でも、私はあじさい、嫌いです。
あじさいの欠点その一は、花が終わった後の姿です。枯れた花がいつまでたっても、落ちずに枝先にくっついたまま。冬になるまで薄茶色の枯れた花の残骸がそのまま残っているのは、いとあさまし。
あじさいの欠点その二は、葉も枯れた後にかなり長い間落ちないことです。枯れた花が落ちないだけでなく、枯れ葉も枝から落ちにくいということは、離層の形成が充分ではないような性質をアジサイが持っているのかとも思われます。
年が明けて強い北風の日が何回かあると、枯れた葉と花の残骸もようやく落ち、枝だけが残ります。あじさいは株元から枝分かれしていて、それぞれの幹自体には枝分かれが少ないのです。しかも、樹皮の色が比較的白っぽいので、なんとなく白骨が何本も挿してあるように私には見えてしまいます。これが、あじさいの欠点その三。
なので、庭木にはふさわしくない樹だろうと感じるのです。でも、花だけを愛でる人はそうは思わないのかも。だから、濃い色の品種が増えてきてるんでしょうね。
時岡敬子訳 講談社学術文庫1871
2008年4月発行 税込み1575円
以前から平凡社東洋文庫に納められていたイザベラ・バードの日本紀行ですが、東洋文庫は何となく敷居が高く、手に取ったことがありませんでした。先日、本屋さんでこの講談社学術文庫版が平積みされていたのを見て、買ってしまいました。東洋文庫版の訳文がどんなものかは知りませんが、この新訳は読みやすいのでお勧めです。
彼女は明治10年に来日しました。彼女の東京滞在中には、ちょうど大久保利通の暗殺がありました。5月からの夏の時期を旅行した訳ですが、この上巻では、東京から青森までが紹介されています。経由地は春日部→日光→会津→新潟→山形→秋田→青森→函館という感じです。行き先の選定は、新潟と函館が開港場だったことによるもののようです。
この本の原稿は、バードが妹に宛てて出した手紙がもとなのだそうです。本として出版された時も、英語の本ですから、英語が母国語の人を読者として想定していた筈です。まさか130年後に日本人がこうして読むとは想ってもみなかったでしょう。そう考えてみると、本書の内容には日本人に対する気遣いなどないはずで、それでいて、彼女の旅先での日本の印象の多くはかなり好意的なものです。西洋人の女性が一人で安全に旅行できたこと、子供を大切にすること、東照宮などの建築に対する評価、人々が親切なことなどなど。
ただし、日本人の容姿に対する評価は、細い眼で貧相な黄色い肌、皮膚病・眼病を患っている人の多さ、お歯黒など、かなりきびしい。食べ物についても、肉が手に入らない、卵も入手しにくくてかび臭い、果物は酸っぱくておいしくない、沢庵はスカンク並みの臭さなどの感想が述べられています。
また、宿屋に対しても、都市部で中流以上の人のお宅に滞在したり、大名の利用した部屋(本陣?)に泊まった際にはとても清潔と賛辞を述べていますが、山間の宿などは汚さや蚊・蚤の多さに辟易しています。おそらく、当時の食事は現代の日本人である私が食べても貧弱に感じるでしょうし、また当時の安宿に泊まったら私でも汚いという感想を抱くでしょうから、これは不当な評価ではないでしょう。
道路に関しては山形県内の道路が褒められています。これは、県令三島通庸がつくらせたものだったんでしょうか。街中では人力車に、山間部では彼女がポニーと呼ぶ荷馬の背に揺られて、大変な旅をしたようです。
玉井清編 慶応義塾大学出版会
本体4600円 2008年1月発行
写真週報は内閣情報部編集で1938年に2月に創刊され、1945年7月の374号まで発行された写真週刊誌です。20ページ前後のグラフ誌が10銭で売られ、最盛期には40万部程度が発行されたそうです。
本書には、「国策グラフ誌『写真週報』とその時代」というサブタイトルが付いています。本書はこの写真週報を通して、食糧問題、民間防空、戦局報道、対英米ドイツ観など、様々なテーマについて11人が論じています。
450ページほどの本書ですが、読み通してみて新たな発見があったという感じはほとんど受けませんでした。国策グラフ誌の分析ですから、予想された通りの議論しかできなかったんだろうという印象で、あまり述べるべき感想もありません。
また、グラフ誌の分析ですので、その論拠を示すため本書には『写真週報』から図版が多数引用されています。で、その図版が小さくて細部まで読み込めない物が多数なのが、本書の欠点の一つです。ページ数の制約があるので引用図版が小さくなってしまったのでしょうが、各章の筆者が本として刷り上がった時のことまで考えずにたくさん図を入れようとしているからこうなったのだろうと思います。第一章は比較的この欠点を免れているので、工夫の使用はあったはずなのですが。
通りがかりの畑でみかけるとうもろこしが人の背丈くらいになってきました。同じ時期に植えられたとうもろこしでも、かなり大きさに差があります。そして、早いものでは、そろそろ花が咲き始めています。ただ、見られる花は雄花ばかりで、毛の生えた雌花の方はちっとも見かけませんでした。これまで何年も見てきた花なのに、注意してみることがなかったので気付いたことがなかったのですが、とうもろこしは、同じ株では雌花より雄花の方がずっと早く咲くようです。
トウモロコシはイネ科だし、イネと同じように花自体は目立たないので、風媒花らしく思われます。なので、株のてっぺんの方に雄花があるのは、花粉が風で飛ばされやすくするためなのでしょう。
そして、こんな風に雄花と雌花の咲く時期がずれている理由はと言うと、きっと自家受粉を避けるためなのでしょうね。ただ、こんな風にぜんぜん雌花が咲いてない時期の雄花って、何の役にも立ってないような。なんとなく、我が身を振り返ってしまいそう。
引き続き、メインのワープロにはPagesを使っています。あらためてマニュアルを読んだりしたことはないので、新しいことにぶつかると、試行錯誤したりヘルプを参照したりしています。
当たり前ですが、Pagesでも複数の書類を開いて作業することが出来ます。複数の書類を開いていて、アクティブな書類を変更したい際には、アクティブにしたい書類のウインドウをマウスでクリックすればOKです。また、もう一つの方法として、メニューバーのウインドウの項を選択すると、ドロップダウンメニューが出てくるので、そこからアクティブにしたい書類を選択することも出来ます。
それで、後者の方法を使うとドロップダウンメニュー上で、現在アクティブになっている書類には名前の左側にチェックがついています。そして、非アクティブの書類の左側には黒い丸印がついていたりしなかったりするのです。これが何を意味しているのか、不思議に感じていました。ヘルプで、 メニューとかウインドウのところを調べても、それらしい記載がないし。
で、長らくつかっていてやっと気付いたのですが、この黒い丸印はその書類に変更が加えられているのにセーブされてない時につけられるもののようです。セーブしてないから注意してねというAppleの親心なんでしょうが、一目瞭然とはとても言えないので、ユーザーにその親心が伝わってないことも多いのではと思ってしまいました。
- 18・19世紀の人口変動と地域・村・家族
- Safariの錠前アイコン
- 添付ファイルで作成する
- 歌仙の愉しみ
- 保冷剤
- 中世の東海道をゆく
- あじさい
- イザベラ・バードの日本紀行(上)
- 戦時日本の国民意識
- トウモロコシの雄花
- WWDC2008 基調講演
- 秋葉原無差別殺傷事件
- 昭和史の一級史料を読む
- 蘇我氏の古代史
- iPhone ソフトバンクから
- Pages 不思議な黒い丸
2008年6月30日月曜日
18・19世紀の人口変動と地域・村・家族
高木正朗編 古今書院
2008年3月発行 本体6500円
歴史人口学も興味深い分野です。この本には、主に東北地方の史料に基づいた論考が14本集められています。第Ⅰ部地域編では東北地方各藩の人口の推移、仙台藩の田畑の分布と人口の関係、天明飢饉期の人口変化、疾患別の死因などについて検討されています。
第Ⅱ部村・地域編では仙台藩の支藩である一関藩の狐禅寺村(こぜんじむら、ATOKで一発変換できたのでびっくり)について、人口・家族構成・年貢納入の様子・人口減少に対する藩の施策などが検討されています。狐禅寺村には新生児死亡率・乳児死亡率を算出することが可能なほどの非常に良質な人口・経済データ史料が残存しているのだそうです。なので、平均余命もそれを使用して算出されたものです。
読んでみての感想ですが、個々の論考はデータに基づいて手堅く結果をのべているものが多く、興味深くはありますが必ずしも面白いとまでは言えません。狐禅寺村のデータは詳細なものなので、この村に当時住んでいた人の日記などが残っていて対照できたりすると、すばらしい作品になりそうですが、そういう史料はみつかってないのでしょう。
江戸時代の東北地方の人口というと、飢饉の影響に興味がわきます。第3章「天明飢饉期・陸奧国農村の人口と世帯」では、天明三年(1783)の飢饉の前後での人口を、仙台領北部の胆沢郡下若柳村・南部の柴田郡足立村・中部の磐井郡中村について明らかにしています。それによると、3村の人口減少率は、それぞれ27.4%, 55.0%, 8.8%に、また絶家率はそれぞれ23%, 50%, 18%とされています。減少の著しい下若柳村は田が耕地高の88%を水田単作地帯でした。
また、第11章「年貢納入と村」で狐禅寺村の年貢高の推移を米・大豆・金納ごとに数値が示してあります。これを見ると、天保6年の凶作時には米の年貢は平年の三分の一くらいに減っているのに、大豆の年貢は平年とほとんど差がなかったことが分かります。東北地方の冷害はヤマセによる米の不作が主で、大豆や雑穀は冷害に米ほど影響を受けなかったようです。ヤマセによる不作が起こりうる地域に、商品作物としての米生産をすすめた藩の政策が冷害の一因となったことが理解できます。
飢饉というと、中世では京に流民があふれて行き倒れ死体が多数放置されているという光景が想い出されます。また、一昨年「シリーズ中国にとっての20世紀 飢饉と救済の社会史」という本を読みました。1876年の山東・江北の飢饉の様子が書かれているのですが、「飢民が四方に食を求め、過江する者は絶えまもなく。数万数千を下らない」とのことで、長江を越えて都市に流れてゆく人が多かった様子が分かります。
上記の天明の飢饉の場合では、柴田郡足立村では人口減少率55.0%、絶家率50%となっているので、おそらく逃散というか故郷を捨てた人が多かったのでしょう。逆に考えると、飢饉の時でもその他の村では流民になるほどの被害はなかったと言えるのかな。
2008年6月26日木曜日
Safariの錠前アイコン
Safariを使い始めてからもう8ヶ月以上になりますが、今日また新たな発見がありました。この右上の錠前のアイコンです。昔からのMacOSだと、錠前のアイコンは変更できないようにロックされてるって意味でした。でもWebページの表示にそれは関係ないよなと思いながらクリックしてみると、こんなウインドウが。
このウインドウのヘルプをクリックしてみると、個人情報または金銭に関連する情報を扱うWebサイトを使用する場合にセキュリティを確認するには、
■ Safari ウインドウの右上隅でカギのアイコンを探します。カギのアイコンは、その Web サイトが正当なものであり、そこで交換される情報が暗号化されることを「Safari」に証明する証明書を持っていることを意味します。
■ Web サイトのアドレスが「http」ではなく「https」で始まっていることを確認します。
となっていました。
httpsのsにこんな意味があるなんて初めて知りました。この錠前のアイコンもきっとSafari2.0からあったんでしょうね。ちっとも気付きませんでした。
このウインドウのヘルプをクリックしてみると、個人情報または金銭に関連する情報を扱うWebサイトを使用する場合にセキュリティを確認するには、
■ Safari ウインドウの右上隅でカギのアイコンを探します。カギのアイコンは、その Web サイトが正当なものであり、そこで交換される情報が暗号化されることを「Safari」に証明する証明書を持っていることを意味します。
■ Web サイトのアドレスが「http」ではなく「https」で始まっていることを確認します。
となっていました。
httpsのsにこんな意味があるなんて初めて知りました。この錠前のアイコンもきっとSafari2.0からあったんでしょうね。ちっとも気付きませんでした。
2008年6月25日水曜日
添付ファイルで作成する
毎日ポスティングされるチラシ類の多さに閉口しています。市の広報もふだんはチラシ類に紛れて読まずに捨てちゃうことも多いのですが、昨日は一番上にあったのでエレベータの中でざっと眺めてみました。一面の下の方に、第2次地域福祉計画策定委員を募集という囲み記事が載っていました。
仕事柄、介護を必要とする人たちと接することが多々ありますが、コミュニティの崩壊している現在ではなかなか難しいことも多いものです。例えば、物を持って歩くことが難しい一人暮らしの高齢者にとってはゴミ出しなんかも問題となります。ゴミって分別して別々の曜日の早朝に出さなきゃ行けないものですが、介護保険のヘルパーさんはそんなに頻回にしかも早朝入るプランは立てにくいのが実情です。
ですから、住み慣れた地域で暮らし続けたいという希望を実現するためにも、地域で支え合う仕組みがうまくまわっていくことが望まれます。また、この手の委員会には市から委嘱を受けた学識経験者や実務者の他に、市民が公募されるのが当たり前のようになっていますが、住民の声を活かした計画になるといいなとは思います。
などと思いながらこの囲み記事を読んでいて、とても気になる点がひとつ。委員になるためには小論文を添えて応募するのですが、「メールの場合、添付ファイルで作成するものに限る」っていったい何。添付ファイルで作成するというこの表現の意味が私には全く理解不能です。小論文はメール本文には書かずに、添付ファイルとして送れっていう意味なのでしょうか。
もしかするとWinユーザー間では普通の表現なのかもと思って、「添付ファイルで作成するものに限る」でググったら1390件しかヒットせず、"添付ファイルで作成する"という完全に同じ表現は「市民活動センター たちかわ通信」という立川市関係のものともう1件だけでした。ググってこんな数しかヒットしないって事は、普通に使われる日本語でないのは確かでしょう。
立川市の職員の中にこういうおかしな表現を好む人がいるせいで、こう記されているのは分かりました。それにしても、数万部も発行する広報ですから、事前に他の人が読んでおかしな表現をチェックしたりはしないんでしょうか。不思議。
2008年6月23日月曜日
歌仙の愉しみ
大岡信、岡野弘彦、丸谷才一著 岩波新書1121
2008年3月発行 定価819円
タイトルの「歌仙」という文字を見て、和歌に関する本かなと思って手に取ってみると、連句に関するものでした。連歌に似ていますが、連句ってなんなのか全く知識がなかったので、なんとなく興味を魅かれ購入してみました。
連句は「鎌倉=室町のころにはやった連歌を俗に崩したもの」で、三十六句仕立てなので、三十六歌仙にちなんで歌仙と呼ぶそうです。複数の人が次々に句をつけてゆくわけですが、春夏秋冬・恋・月などを式目と呼ばれるルールに従って詠むことになっているそうです。
ふつうの詩歌でも、古典に関する教養の欠如から充分に鑑賞することができないので、それに関する評論を読む方が好きです。岡野弘彦さんは知らない名前ですが、大岡さんの万葉集や古今集に関する評論、丸谷さんの後鳥羽院や新々百人一首などみな面白かった。 ですから、本書でもお三方がつくった連句を読むというより、その解説を期待していました。
連句というものは、その場に居合わせた者どうしが楽しく会話しながら句を付けてゆくもののようです。従って、その場には居合わせなかった読者が前後の句のつながり具合を感じ取りにくいこともあり得ます。ふつうの詩歌以上に解説がつけられていることがありがたく感じられたわけです。作者兼解説者が上記のような達人なので、おもしろさもひとしお。読み終えてみて、連句が社交の道具ということが理解できた気がします。
2008年3月発行 定価819円
タイトルの「歌仙」という文字を見て、和歌に関する本かなと思って手に取ってみると、連句に関するものでした。連歌に似ていますが、連句ってなんなのか全く知識がなかったので、なんとなく興味を魅かれ購入してみました。
連句は「鎌倉=室町のころにはやった連歌を俗に崩したもの」で、三十六句仕立てなので、三十六歌仙にちなんで歌仙と呼ぶそうです。複数の人が次々に句をつけてゆくわけですが、春夏秋冬・恋・月などを式目と呼ばれるルールに従って詠むことになっているそうです。
ふつうの詩歌でも、古典に関する教養の欠如から充分に鑑賞することができないので、それに関する評論を読む方が好きです。岡野弘彦さんは知らない名前ですが、大岡さんの万葉集や古今集に関する評論、丸谷さんの後鳥羽院や新々百人一首などみな面白かった。 ですから、本書でもお三方がつくった連句を読むというより、その解説を期待していました。
連句というものは、その場に居合わせた者どうしが楽しく会話しながら句を付けてゆくもののようです。従って、その場には居合わせなかった読者が前後の句のつながり具合を感じ取りにくいこともあり得ます。ふつうの詩歌以上に解説がつけられていることがありがたく感じられたわけです。作者兼解説者が上記のような達人なので、おもしろさもひとしお。読み終えてみて、連句が社交の道具ということが理解できた気がします。
2008年6月22日日曜日
保冷剤
ふだんは自炊派ですが、ときどき中食のお世話にもなります。今日も日中出かけていて、夕食の支度がめんどくさいなと感じて、立川駅のルミネの一階でサラダなど買いました。
昼頃からの雨で個人的には肌寒く感じなくもなかったのですが、JRは駅も車内も冷房でした。こんな温度でも蒸し暑く感じる人もいるのかなと思いながら買い物を済ませると、ご安心のための保冷剤をお入れしますとのお言葉。そういえば、梅雨時なのですね。
で、いつも疑問に思うのがこの保冷剤。単なる氷のように思えるのですが、いったいどんな効果があるんでしょうか。生協の宅配のように発泡スチロールの容器の中に商品と凍った大きな保冷剤が入れてあれば、配達してから数時間後でも冷たいままです。でも、単にポリ袋に商品と小さな保冷剤を入れてくれるだけでは、ほとんど意味ないような。単に「ご安心のための」アイテムに過ぎないのだと思います。
立川のルミネでも伊勢丹地下でも、この手の食べ物の買い物は一番最後にして帰れば、自宅まで10分もかかりません。帰宅後はひとまず冷蔵庫に入れればいいと思うので、効果はなさそうだし、ゴミが増えるし、基本的にはこの保冷剤はお断りすることにしています。
昼頃からの雨で個人的には肌寒く感じなくもなかったのですが、JRは駅も車内も冷房でした。こんな温度でも蒸し暑く感じる人もいるのかなと思いながら買い物を済ませると、ご安心のための保冷剤をお入れしますとのお言葉。そういえば、梅雨時なのですね。
で、いつも疑問に思うのがこの保冷剤。単なる氷のように思えるのですが、いったいどんな効果があるんでしょうか。生協の宅配のように発泡スチロールの容器の中に商品と凍った大きな保冷剤が入れてあれば、配達してから数時間後でも冷たいままです。でも、単にポリ袋に商品と小さな保冷剤を入れてくれるだけでは、ほとんど意味ないような。単に「ご安心のための」アイテムに過ぎないのだと思います。
立川のルミネでも伊勢丹地下でも、この手の食べ物の買い物は一番最後にして帰れば、自宅まで10分もかかりません。帰宅後はひとまず冷蔵庫に入れればいいと思うので、効果はなさそうだし、ゴミが増えるし、基本的にはこの保冷剤はお断りすることにしています。
2008年6月19日木曜日
中世の東海道をゆく
榎原正治著 中公新書1944
2008年4月発行 本体800円
中世の旅日記などを主な材料に、東海道沿いの海岸・大河の流路・潟湖などの地形や、東海道という道路のルート・名前、宿の性質などを論じている本です。中世の宿って、宿場というより軍事的な意味をもつ基地として整備されたのが始まりなのだそうです。
ふつうの日記だと自分の住んでいる土地について細かく記されることは期待できなさそうです。しかし、旅日記だと見慣れぬ土地を訪れるわけですから、その土地の様子や気付いた点が記されます。また日記ですから日付があり、その日の出来事の起こった時刻が記されていることも多いので、潮汐表を過去に遡って適用し、日記中の干潟や干満などについての記載と対比させてあり、興味深く読めました。
浜名湖についての記載も面白い。浜名湖は大地震で遠州灘と通じるようになるまでは淡水湖だったというのが通説で、私もそれをなにかで読んだ事があります。しかし、いくつかの旅日記とその他資料から、著者は大地震以前から浜名湖が汽水湖だったとしていて、かなり説得的です。
また、潟湖が日本海沿岸に多かったことは知っていましたが、中世から近世にかけては浜松など静岡県あたりにもみられたそうです。その後の新田開発で陸化されて現在の風景になったそうです。
自然科学的な議論も交えてわかりやすく解説してある、好著でした。
2008年4月発行 本体800円
中世の旅日記などを主な材料に、東海道沿いの海岸・大河の流路・潟湖などの地形や、東海道という道路のルート・名前、宿の性質などを論じている本です。中世の宿って、宿場というより軍事的な意味をもつ基地として整備されたのが始まりなのだそうです。
ふつうの日記だと自分の住んでいる土地について細かく記されることは期待できなさそうです。しかし、旅日記だと見慣れぬ土地を訪れるわけですから、その土地の様子や気付いた点が記されます。また日記ですから日付があり、その日の出来事の起こった時刻が記されていることも多いので、潮汐表を過去に遡って適用し、日記中の干潟や干満などについての記載と対比させてあり、興味深く読めました。
浜名湖についての記載も面白い。浜名湖は大地震で遠州灘と通じるようになるまでは淡水湖だったというのが通説で、私もそれをなにかで読んだ事があります。しかし、いくつかの旅日記とその他資料から、著者は大地震以前から浜名湖が汽水湖だったとしていて、かなり説得的です。
また、潟湖が日本海沿岸に多かったことは知っていましたが、中世から近世にかけては浜松など静岡県あたりにもみられたそうです。その後の新田開発で陸化されて現在の風景になったそうです。
自然科学的な議論も交えてわかりやすく解説してある、好著でした。
2008年6月18日水曜日
あじさい
最近見るあじさいの花の中には、ひときわ濃い青紫や赤紫の株が目立ちます。時節柄あざやかに見えているだけではなさそうな気がします。また、あじさいの花の色は土壌のpHやアルミニウムの濃度に影響されるそうですが、それだけでもなさそうなほど、色が濃い。きっと品種改良などされて、お庭に植える人が増えているのかなと思います。でも、私はあじさい、嫌いです。
あじさいの欠点その一は、花が終わった後の姿です。枯れた花がいつまでたっても、落ちずに枝先にくっついたまま。冬になるまで薄茶色の枯れた花の残骸がそのまま残っているのは、いとあさまし。
あじさいの欠点その二は、葉も枯れた後にかなり長い間落ちないことです。枯れた花が落ちないだけでなく、枯れ葉も枝から落ちにくいということは、離層の形成が充分ではないような性質をアジサイが持っているのかとも思われます。
年が明けて強い北風の日が何回かあると、枯れた葉と花の残骸もようやく落ち、枝だけが残ります。あじさいは株元から枝分かれしていて、それぞれの幹自体には枝分かれが少ないのです。しかも、樹皮の色が比較的白っぽいので、なんとなく白骨が何本も挿してあるように私には見えてしまいます。これが、あじさいの欠点その三。
なので、庭木にはふさわしくない樹だろうと感じるのです。でも、花だけを愛でる人はそうは思わないのかも。だから、濃い色の品種が増えてきてるんでしょうね。
2008年6月16日月曜日
イザベラ・バードの日本紀行(上)
時岡敬子訳 講談社学術文庫1871
2008年4月発行 税込み1575円
以前から平凡社東洋文庫に納められていたイザベラ・バードの日本紀行ですが、東洋文庫は何となく敷居が高く、手に取ったことがありませんでした。先日、本屋さんでこの講談社学術文庫版が平積みされていたのを見て、買ってしまいました。東洋文庫版の訳文がどんなものかは知りませんが、この新訳は読みやすいのでお勧めです。
彼女は明治10年に来日しました。彼女の東京滞在中には、ちょうど大久保利通の暗殺がありました。5月からの夏の時期を旅行した訳ですが、この上巻では、東京から青森までが紹介されています。経由地は春日部→日光→会津→新潟→山形→秋田→青森→函館という感じです。行き先の選定は、新潟と函館が開港場だったことによるもののようです。
この本の原稿は、バードが妹に宛てて出した手紙がもとなのだそうです。本として出版された時も、英語の本ですから、英語が母国語の人を読者として想定していた筈です。まさか130年後に日本人がこうして読むとは想ってもみなかったでしょう。そう考えてみると、本書の内容には日本人に対する気遣いなどないはずで、それでいて、彼女の旅先での日本の印象の多くはかなり好意的なものです。西洋人の女性が一人で安全に旅行できたこと、子供を大切にすること、東照宮などの建築に対する評価、人々が親切なことなどなど。
ただし、日本人の容姿に対する評価は、細い眼で貧相な黄色い肌、皮膚病・眼病を患っている人の多さ、お歯黒など、かなりきびしい。食べ物についても、肉が手に入らない、卵も入手しにくくてかび臭い、果物は酸っぱくておいしくない、沢庵はスカンク並みの臭さなどの感想が述べられています。
また、宿屋に対しても、都市部で中流以上の人のお宅に滞在したり、大名の利用した部屋(本陣?)に泊まった際にはとても清潔と賛辞を述べていますが、山間の宿などは汚さや蚊・蚤の多さに辟易しています。おそらく、当時の食事は現代の日本人である私が食べても貧弱に感じるでしょうし、また当時の安宿に泊まったら私でも汚いという感想を抱くでしょうから、これは不当な評価ではないでしょう。
道路に関しては山形県内の道路が褒められています。これは、県令三島通庸がつくらせたものだったんでしょうか。街中では人力車に、山間部では彼女がポニーと呼ぶ荷馬の背に揺られて、大変な旅をしたようです。
2008年6月13日金曜日
戦時日本の国民意識
玉井清編 慶応義塾大学出版会
本体4600円 2008年1月発行
写真週報は内閣情報部編集で1938年に2月に創刊され、1945年7月の374号まで発行された写真週刊誌です。20ページ前後のグラフ誌が10銭で売られ、最盛期には40万部程度が発行されたそうです。
本書には、「国策グラフ誌『写真週報』とその時代」というサブタイトルが付いています。本書はこの写真週報を通して、食糧問題、民間防空、戦局報道、対英米ドイツ観など、様々なテーマについて11人が論じています。
450ページほどの本書ですが、読み通してみて新たな発見があったという感じはほとんど受けませんでした。国策グラフ誌の分析ですから、予想された通りの議論しかできなかったんだろうという印象で、あまり述べるべき感想もありません。
また、グラフ誌の分析ですので、その論拠を示すため本書には『写真週報』から図版が多数引用されています。で、その図版が小さくて細部まで読み込めない物が多数なのが、本書の欠点の一つです。ページ数の制約があるので引用図版が小さくなってしまったのでしょうが、各章の筆者が本として刷り上がった時のことまで考えずにたくさん図を入れようとしているからこうなったのだろうと思います。第一章は比較的この欠点を免れているので、工夫の使用はあったはずなのですが。
2008年6月12日木曜日
トウモロコシの雄花
通りがかりの畑でみかけるとうもろこしが人の背丈くらいになってきました。同じ時期に植えられたとうもろこしでも、かなり大きさに差があります。そして、早いものでは、そろそろ花が咲き始めています。ただ、見られる花は雄花ばかりで、毛の生えた雌花の方はちっとも見かけませんでした。これまで何年も見てきた花なのに、注意してみることがなかったので気付いたことがなかったのですが、とうもろこしは、同じ株では雌花より雄花の方がずっと早く咲くようです。
トウモロコシはイネ科だし、イネと同じように花自体は目立たないので、風媒花らしく思われます。なので、株のてっぺんの方に雄花があるのは、花粉が風で飛ばされやすくするためなのでしょう。
そして、こんな風に雄花と雌花の咲く時期がずれている理由はと言うと、きっと自家受粉を避けるためなのでしょうね。ただ、こんな風にぜんぜん雌花が咲いてない時期の雄花って、何の役にも立ってないような。なんとなく、我が身を振り返ってしまいそう。
2008年6月11日水曜日
WWDC2008 基調講演
日本のアップルのサイトには見あたらなかったので、AppleのサイトからWWDC2008の基調講演を見ました。今回の基調講演の特徴の一つは、ほとんどの時間がiPhoneに費やされたということです。冒頭で、時期OSの名前がsnow leopardであることが触れられましたが、その後は全部iPhone関連の話題でした。
また、もうひとつ気付いた点は、Jobsの話す時間が少なかったことです。ゲストスピーカーが多かったこともありますが、Jobs以外のAppleの人のプレゼンテーションの時間が長かったのです。そう遠くない将来にありそうなJobs引退を見越しての措置なのかも知れません。
iPhoneのSDKのお話では、Xcodeのsimulatorつかってプログラミングできる様子が紹介されました。Ineterface buiderはDrag and Dropで進めることが出来て、使いやすそう。また、SDKで作られたアプリケーションがたくさん紹介されました。
SEGAのSuper Monkey Ballなど、iPhoneの筐体を傾けることで操作するアクションゲームやファンタジーRPGが印象に残ります。PSPなどのゲーム機とは違って特別な操作ボタンが付いていないiPhoneですが、タッチパネルで操作するゲームも出現するでしょうね。
あと、医療用のアプリケーションも二つ紹介されました。一つは MODALITY というところがつくった解剖図譜をiPhoneで見せるソフトで、カーソルを持って行った部分の名称が表示されます。最近の日本では医学生用に骨単とか臓単とかいうタイトルの小型の本が売られていますが、このiPhoneのソフトがあればそういった本はなくなりそう。
また、 MIMvistaというところがつくった医療用画像をiPhone上で表示するソフトがありました。胸部XPのような単純写真とはちがって、X線CT, MRI, PETなどの画像はiPhoneで表示できる程度の解像度なので、充分実用になりそうです。患者さんにもiPhoneを持ってもらって病状の説明につかえると思います。
日本語、中国語などのサポート、手書き文字認識(実際は指書き文字認識ですね)などもサポートされるようになります。こういった機能は、7月に無料のアップデート(iPodTouchは有料)が行われて、これまでのiPhoneでもつかえるようになるそうです。ただ、今回の基調講演の目玉は新しいiPhone。iPhone 3Gという名前で紹介されました。
iPhone 3Gは70カ国で使えるようになるそうで、世界地図に使えるようになる国がアメリカから始まって順に赤く表示されるプレゼンテーションが、中南米、北欧、バルト3国などヨーロッパ、アフリカ、インド、シンガポール、オーストラリアなどが赤く塗られ、最後70番目に日本も赤い色に。これら70カ国の中でも大きい方の22カ国では、7月11日から使えるようになります。iPhone 3Gの新しいキャリアとして紹介された世界の電話会社のロゴマークの中にはソフトバンクのロゴも含まれていました。
お値段もお安くなって、8GBモデルがが199ドル、16GBは299ドルで白と黒が選べるそうです。と、ここまで紹介されると、iPhone 3G欲しくなり、ますます日本での月々の料金プランが気になります。また、7月11日発売とは言っても世界的に品不足になるでしょうから、実際に日本で容易に入手できるようになるのはいつごろになりそうなのかも気になるところです。
また、もうひとつ気付いた点は、Jobsの話す時間が少なかったことです。ゲストスピーカーが多かったこともありますが、Jobs以外のAppleの人のプレゼンテーションの時間が長かったのです。そう遠くない将来にありそうなJobs引退を見越しての措置なのかも知れません。
iPhoneのSDKのお話では、Xcodeのsimulatorつかってプログラミングできる様子が紹介されました。Ineterface buiderはDrag and Dropで進めることが出来て、使いやすそう。また、SDKで作られたアプリケーションがたくさん紹介されました。
SEGAのSuper Monkey Ballなど、iPhoneの筐体を傾けることで操作するアクションゲームやファンタジーRPGが印象に残ります。PSPなどのゲーム機とは違って特別な操作ボタンが付いていないiPhoneですが、タッチパネルで操作するゲームも出現するでしょうね。
あと、医療用のアプリケーションも二つ紹介されました。一つは MODALITY というところがつくった解剖図譜をiPhoneで見せるソフトで、カーソルを持って行った部分の名称が表示されます。最近の日本では医学生用に骨単とか臓単とかいうタイトルの小型の本が売られていますが、このiPhoneのソフトがあればそういった本はなくなりそう。
また、 MIMvistaというところがつくった医療用画像をiPhone上で表示するソフトがありました。胸部XPのような単純写真とはちがって、X線CT, MRI, PETなどの画像はiPhoneで表示できる程度の解像度なので、充分実用になりそうです。患者さんにもiPhoneを持ってもらって病状の説明につかえると思います。
日本語、中国語などのサポート、手書き文字認識(実際は指書き文字認識ですね)などもサポートされるようになります。こういった機能は、7月に無料のアップデート(iPodTouchは有料)が行われて、これまでのiPhoneでもつかえるようになるそうです。ただ、今回の基調講演の目玉は新しいiPhone。iPhone 3Gという名前で紹介されました。
iPhone 3Gは70カ国で使えるようになるそうで、世界地図に使えるようになる国がアメリカから始まって順に赤く表示されるプレゼンテーションが、中南米、北欧、バルト3国などヨーロッパ、アフリカ、インド、シンガポール、オーストラリアなどが赤く塗られ、最後70番目に日本も赤い色に。これら70カ国の中でも大きい方の22カ国では、7月11日から使えるようになります。iPhone 3Gの新しいキャリアとして紹介された世界の電話会社のロゴマークの中にはソフトバンクのロゴも含まれていました。
お値段もお安くなって、8GBモデルがが199ドル、16GBは299ドルで白と黒が選べるそうです。と、ここまで紹介されると、iPhone 3G欲しくなり、ますます日本での月々の料金プランが気になります。また、7月11日発売とは言っても世界的に品不足になるでしょうから、実際に日本で容易に入手できるようになるのはいつごろになりそうなのかも気になるところです。
2008年6月10日火曜日
秋葉原無差別殺傷事件
今日の午前中は訪問診療(定期的な往診)でした。往診で伺ったある患者さんから、彼女の親類の方一名が先日の秋葉原の通り魔殺人の被害者となりお亡くなりになったと聞かされました。民放のワイドショーだけでなく、NHKニュースなんかもいろいろな出来事を極めて俗っぽい取り上げ方しかしないので、ここ数年ほとんどTVは見なくなっています。でも、患者さんのお話を想い出し、少しNHKニュースを見てみました。
大阪の池田小で多数の児童が殺傷される事件が7年前に起きたのも、同じ6月8日だったそうです。しかし、池田小事件の犯人と、今回の事件で逮捕された人とは全く違う印象です。今回の彼は、 高校卒業後に専門学校に行ったり、派遣会社に登録して数社で働いたり、数日前まで普通に仕事をしていたりなど、現在の日本では他にもいくらでもいそうな経歴の人です。また、殺人を決意するかどうかは別として、彼の経歴は、彼が社会というか自分以外の他者に対して不満を抱くことがあってもおかしくないと思わせるに足るもののように、私には感じられました。
大きな物語の生きていた時代ならば、こういった自分以外の他者・社会に対する不満はもっと別の形で表現されることもあっただろうと思います。適切な例かどうか自信はありませんが、昭和戦前期の日本で言えば血盟団事件などのテロの実行犯がそんな感じでしょうか。インティファーダにおいて自爆テロを実行する人の中にもこういう人が含まれているんではないかな。
社会に対する不満を適切に拾い上げてくれる組織がないから、こんな通り魔事件につながってしまうのかなとも感じます。失われた世代をはじめ、現代の日本においては、この種の不満を持つ人は少なからず存在しているでしょう。じゃ、また通り魔事件の起こることを心配しなければならないのでしょうか。その心配も少しはあるでしょうが、もっと別に大きな不安が。
そういった不満をもつ層をうまく掬い上げる手法を見いだした人または組織が出現したらという不安です。そんな人または組織が出現したら、比較的容易にテロを起こすことが出来るだろうし、その対象如何によってはテロに対する同情・実行犯に対する助命嘆願が多数寄せられることもあるんだろうなとも感じてしまいます。
大阪の池田小で多数の児童が殺傷される事件が7年前に起きたのも、同じ6月8日だったそうです。しかし、池田小事件の犯人と、今回の事件で逮捕された人とは全く違う印象です。今回の彼は、 高校卒業後に専門学校に行ったり、派遣会社に登録して数社で働いたり、数日前まで普通に仕事をしていたりなど、現在の日本では他にもいくらでもいそうな経歴の人です。また、殺人を決意するかどうかは別として、彼の経歴は、彼が社会というか自分以外の他者に対して不満を抱くことがあってもおかしくないと思わせるに足るもののように、私には感じられました。
大きな物語の生きていた時代ならば、こういった自分以外の他者・社会に対する不満はもっと別の形で表現されることもあっただろうと思います。適切な例かどうか自信はありませんが、昭和戦前期の日本で言えば血盟団事件などのテロの実行犯がそんな感じでしょうか。インティファーダにおいて自爆テロを実行する人の中にもこういう人が含まれているんではないかな。
社会に対する不満を適切に拾い上げてくれる組織がないから、こんな通り魔事件につながってしまうのかなとも感じます。失われた世代をはじめ、現代の日本においては、この種の不満を持つ人は少なからず存在しているでしょう。じゃ、また通り魔事件の起こることを心配しなければならないのでしょうか。その心配も少しはあるでしょうが、もっと別に大きな不安が。
そういった不満をもつ層をうまく掬い上げる手法を見いだした人または組織が出現したらという不安です。そんな人または組織が出現したら、比較的容易にテロを起こすことが出来るだろうし、その対象如何によってはテロに対する同情・実行犯に対する助命嘆願が多数寄せられることもあるんだろうなとも感じてしまいます。
2008年6月9日月曜日
昭和史の一級史料を読む
保阪正康 広瀬順晧著 平凡社新書418
本体780円 2008年5月発行
例えば、天皇周辺の動きを追うのに必要な、西園寺公と政局、木戸日記、牧野日記などについて、その筆者の立場に違いがあることを留意して読む必要があるなど、前半は有名どころの史料を列挙して、その性質などを説明してくれています。侍従の書いたものを読む際にも、同じ侍従とは言っても天皇が親しく話をした関係の人か、単に役人として見ていた人かを意識すべきとか面白い。
また、戦前と戦後を当たり前のように分けて考えるのではなく、「『昭和ファシズム体制』『軍部独裁体制』という言い方をすると、それは斉藤・岡田内閣あたりからずっと来ていて講和まで続いているのではないかと思います」、「昭和七年から二十七年までの二十年ぐらいは枠組みとして同じ体制があったということですよね」などの記述があります。占領期も一種の軍部独裁ではあるので、史料を読んでの実感なのでしょう。
後半は、満州事変時の朝鮮軍の越境問題、5・15事件時の後継首相選定過程、 近衞上奏文など、史料に則していくつかのトピックが紹介されています。この中では、昭和十九年二月に東條首相兼陸相が参謀総長を兼任しようとした際のエピソードに興味を惹かれました。陸相が参謀総長を兼任することについては、統帥権の独立を定めた憲法に反するのではという疑義が天皇はじめ宮中・陸軍内でもたれました。杉山参謀総長ももちろん反対したのですが、東條はすでに天皇の承諾を得ているとして杉山を騙して納得させたことが史料から読み取れるというのが保阪説なのです。
また、敗戦時の証拠隠滅・焼却についても語られています。証拠を残さないため文書ではなく口頭で、文書を焼くように伝達されたそうです。どうしてああいうことをしたのか疑問に思っていたのですが、ドイツでニュルンベルグ裁判が行われているという情報が伝わっていたからだろうとのことで、ああそうかと感じました。面白い本でした。
本体780円 2008年5月発行
例えば、天皇周辺の動きを追うのに必要な、西園寺公と政局、木戸日記、牧野日記などについて、その筆者の立場に違いがあることを留意して読む必要があるなど、前半は有名どころの史料を列挙して、その性質などを説明してくれています。侍従の書いたものを読む際にも、同じ侍従とは言っても天皇が親しく話をした関係の人か、単に役人として見ていた人かを意識すべきとか面白い。
また、戦前と戦後を当たり前のように分けて考えるのではなく、「『昭和ファシズム体制』『軍部独裁体制』という言い方をすると、それは斉藤・岡田内閣あたりからずっと来ていて講和まで続いているのではないかと思います」、「昭和七年から二十七年までの二十年ぐらいは枠組みとして同じ体制があったということですよね」などの記述があります。占領期も一種の軍部独裁ではあるので、史料を読んでの実感なのでしょう。
後半は、満州事変時の朝鮮軍の越境問題、5・15事件時の後継首相選定過程、 近衞上奏文など、史料に則していくつかのトピックが紹介されています。この中では、昭和十九年二月に東條首相兼陸相が参謀総長を兼任しようとした際のエピソードに興味を惹かれました。陸相が参謀総長を兼任することについては、統帥権の独立を定めた憲法に反するのではという疑義が天皇はじめ宮中・陸軍内でもたれました。杉山参謀総長ももちろん反対したのですが、東條はすでに天皇の承諾を得ているとして杉山を騙して納得させたことが史料から読み取れるというのが保阪説なのです。
また、敗戦時の証拠隠滅・焼却についても語られています。証拠を残さないため文書ではなく口頭で、文書を焼くように伝達されたそうです。どうしてああいうことをしたのか疑問に思っていたのですが、ドイツでニュルンベルグ裁判が行われているという情報が伝わっていたからだろうとのことで、ああそうかと感じました。面白い本でした。
2008年6月7日土曜日
蘇我氏の古代史
武光誠著 平凡社新書421
税込み798円 2008年5月発行
古墳時代や飛鳥時代は、ちっとも見通しがきかない印象です。 大王の一族の中の親類同士が争ったり殺し合ったり、名前が覚えにくいのもとっつきにくい原因でしょう。 大王の一族の争いや暗殺など、政権交代が平穏に行われない権力の未熟な時期という点では、将軍の暗殺や有力御家人の争いの続いた鎌倉時代の幕府に似ているのかなとも感じます。
また、後の時代の史書編纂者にとってあまり愉快でない話は、日本書紀につじつまのあった説明がないことが多く、おかげで作家なども含めていろいろと自由な解釈の余地のある時代でもあります。この本は、そういった見通しの悪さを、蘇我氏をはじめとした豪族内の個人間の疎遠や、大王にも嫡系の大王とそうでない大王がいて軽重があった(たとえば、敏達天皇は嫡系の大王で、聖徳太子の父の用明天皇は傍系の大王とのこと)ということなどで、説明しようとしてくれています。
この手の古代史の本は玉石混交だと思うのですが、この本の示す解釈はどんなものか、私自身の知識の欠如からその正当性については評価できません。でも、「新羅が日本に接近して贈物をさし出したときには、朝廷は高麗や百済に、新羅と仲良くするようにさとした」などの記述を眼にすると、この本だいじょぶなのかなと感じてしまいます。
税込み798円 2008年5月発行
古墳時代や飛鳥時代は、ちっとも見通しがきかない印象です。 大王の一族の中の親類同士が争ったり殺し合ったり、名前が覚えにくいのもとっつきにくい原因でしょう。 大王の一族の争いや暗殺など、政権交代が平穏に行われない権力の未熟な時期という点では、将軍の暗殺や有力御家人の争いの続いた鎌倉時代の幕府に似ているのかなとも感じます。
また、後の時代の史書編纂者にとってあまり愉快でない話は、日本書紀につじつまのあった説明がないことが多く、おかげで作家なども含めていろいろと自由な解釈の余地のある時代でもあります。この本は、そういった見通しの悪さを、蘇我氏をはじめとした豪族内の個人間の疎遠や、大王にも嫡系の大王とそうでない大王がいて軽重があった(たとえば、敏達天皇は嫡系の大王で、聖徳太子の父の用明天皇は傍系の大王とのこと)ということなどで、説明しようとしてくれています。
この手の古代史の本は玉石混交だと思うのですが、この本の示す解釈はどんなものか、私自身の知識の欠如からその正当性については評価できません。でも、「新羅が日本に接近して贈物をさし出したときには、朝廷は高麗や百済に、新羅と仲良くするようにさとした」などの記述を眼にすると、この本だいじょぶなのかなと感じてしまいます。
2008年6月5日木曜日
iPhone ソフトバンクから
ソフトバンクが日本でのiPhoneのキャリアになるそうです。Docomoからかなとも思っていたので、少し意外な感じでした。また、公表はWWDC2008以降になるのだろうとも思っていたので、昨日のソフトバンクからの発表には驚きました。
ソフトバンクがiPhone獲得という情報は昨日ネットで知りましたが、今朝は新聞でも報じられていました。朝日新聞では一面の目次みたいなところにもこのニュースが載っていたので、さらに驚き。iPhoneは、一般の人にとってもニュース価値あるんでしょうかね。
私としては、iPod Touchをいじってみてちょっと使いにくいなという印象を持っています。でも、あらためてiPhoneが日本でも使えるとなると、使ってみたい気はします。料金プランなどどうなるのか、興味のあるところ。また、実際に日本で使えることになると思うと、来週のWWDCでのiPhone次世代機のプレゼンテーションがいっそう楽しみですね。
ソフトバンクがiPhone獲得という情報は昨日ネットで知りましたが、今朝は新聞でも報じられていました。朝日新聞では一面の目次みたいなところにもこのニュースが載っていたので、さらに驚き。iPhoneは、一般の人にとってもニュース価値あるんでしょうかね。
私としては、iPod Touchをいじってみてちょっと使いにくいなという印象を持っています。でも、あらためてiPhoneが日本でも使えるとなると、使ってみたい気はします。料金プランなどどうなるのか、興味のあるところ。また、実際に日本で使えることになると思うと、来週のWWDCでのiPhone次世代機のプレゼンテーションがいっそう楽しみですね。
2008年6月2日月曜日
Pages 不思議な黒い丸
引き続き、メインのワープロにはPagesを使っています。あらためてマニュアルを読んだりしたことはないので、新しいことにぶつかると、試行錯誤したりヘルプを参照したりしています。
当たり前ですが、Pagesでも複数の書類を開いて作業することが出来ます。複数の書類を開いていて、アクティブな書類を変更したい際には、アクティブにしたい書類のウインドウをマウスでクリックすればOKです。また、もう一つの方法として、メニューバーのウインドウの項を選択すると、ドロップダウンメニューが出てくるので、そこからアクティブにしたい書類を選択することも出来ます。
それで、後者の方法を使うとドロップダウンメニュー上で、現在アクティブになっている書類には名前の左側にチェックがついています。そして、非アクティブの書類の左側には黒い丸印がついていたりしなかったりするのです。これが何を意味しているのか、不思議に感じていました。ヘルプで、 メニューとかウインドウのところを調べても、それらしい記載がないし。
で、長らくつかっていてやっと気付いたのですが、この黒い丸印はその書類に変更が加えられているのにセーブされてない時につけられるもののようです。セーブしてないから注意してねというAppleの親心なんでしょうが、一目瞭然とはとても言えないので、ユーザーにその親心が伝わってないことも多いのではと思ってしまいました。
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