2009年1月2日金曜日
戦国期の貨幣と経済
川戸貴史著 吉川弘文館
2008年12月発行 本体11000円
本書の構成は、悪銭の出現・撰銭問題などを中心とする中近世移行期貨幣流通の研究史に対する著者の整理と問題提起が記された序章から始まり、その後は7つの章にわたって史料とそれに対する著者の解釈が披露され、序章での問題提起に対する著者の見解が示されている終章で終わっています。史料に基づいた7つの章では、頼母子講、代銭納から現物納への変化の過程、悪銭の出現過程と処理のされ方、九州・関東といった地域ごとの撰銭の実態などが扱われています
撰銭の出現はほんとに不思議で、納得のゆく説明を得たいと常々感じていて、それが本書を購入した動機の一つです。終章で示された著者の悪銭・撰銭出現の説明は、私の理解だと、
ーーー 戦乱などによる「路次物騒」が原因で京都と地方を結ぶ遠隔地交易が混乱して地方への銭貨の拡散が阻害されたために、地方では銭貨不足を来した。その対策として、各地で私鋳銭がつくられてその地方内で流通することになった。各地で作られた私鋳銭はその地域で信任を受けて地域内流通には支障がなかったが、地域外との取引では受領してもらえないことがあり、悪銭と認識されるようになった。京に本拠を置き、地方に荘園をもつ領主は、地方からの年貢に悪銭が含まれることを忌避して撰銭を行うこととなった ーーー
という、感じでしょうか。黒田明伸さんが中国の例で示した現地通貨と地域間決済通貨の関係が、国の料足と精銭というかたちでこの時期の日本にも存在していたという説のようです。
「路次物騒」なら京の物価は上がりそうですが、応仁・文明の乱の頃、京では米価が低下していたとか。在京武士の帰国による人口減少が原因とされていますが、前近代の物価下落では中国でもヨーロッパでもみられた貨幣の不足が背景にあったことは十分に考えられます。京も地方も銭貨不足→私鋳銭というのは理解しやすい構図です。また、以前は為替によって京在住の領主へと年貢が送られ、為替が地域間決済通貨の役割を担っていましたが、「路次物騒」によって京から地方への商人の訪問が減少したことにより、地方では京向けの為替の入手が困難になったので現銭を送らざるを得なくなったということも、悪銭問題が表面化したことの説明としていい感じです。
というわけで、筋道の通った仮説を提示してくれた点では本書に満足しています。ただ、これですっかり疑問が解消したとまでは言えません。例えば、この説明だと撰銭を始めたのは大名や荘園領主になってしまいそうですが、在地で自然に発生したものではないのでしょうか。また、大名や荘園領主が地域間決済目的で精銭を求め始めたのだとすると、永楽銭の評価が西日本と関東で異なる点が気になります。関東から京へ年貢を送ることはすでに無く、一般の商品流通の面でも関東と京はほとんど交渉がなかったからOKということなのでしょうか。
あと、本書を読んでいて気になったことが、もう一点。この本の著者の日本語の表現がかなり下手だということです。一つの文の中の句と句の流れ・接続が不自然で、しかも精一杯せのびをして難しい言葉をつかって書いてみましたというようなぎこちなさ、まるで山田盛太郎を呼んでいるかのような印象を受けました。歴史の専門書でも、最近こんな不自然な日本語を使っている人はいないので、個性とでも呼ぶべきなのかもですが。
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