2009年1月5日月曜日
今昔物語集を読む
小峰和明編 吉川弘文館
2008年12月発行 税込み2940円
源氏物語や大鏡などは難しくて歯が立ちませんが、説話や軍記物語なら分からない部分は少なからずあっても、なんとか大意が読み取れる感じがします。なので、今昔物語集は本朝の部だけですが学生の頃に角川文庫で読みました。その際ふしぎに感じたことの一つは、欠話・欠文・欠字などの注記が少なくないことでした。本書の最初の章である「今昔物語集とその時代」を読むと、今昔物語集は未完で、編者の構想を実現しにくかった部分を欠巻・欠話のままにしてあるのだろうとのことで、目からウロコの感ありでした。
また、石井公成さんという人の書いた「仏教史の中の今昔物語集」では、天竺の部の釈迦の入滅のエピソードを採りあげています。釈迦の息子の羅睺羅は父の死ぬのを見るのがしのびなくて、天まで逃げます。しかし、天の住人に諭されて戻り、釈迦と会話します。今昔物語集では、泣いて戻った羅睺羅を見た釈迦も涙を流し、周囲にいた仏たちにこれは自分の息子だから情けをかけてやってほしいと言って亡くなったことになっています。しかしこの話の元となった教典では、今日限りで親子の縁が切れると申し渡して、他の弟子たちと同様に修行するように言って死んだことになっているそうです。仏教では、子への情愛は煩悩と考えるべきものですから、臨終に際し息子に対する思いを告げる釈迦というのはおかしな話なはずです。仏教がインドから中国・朝鮮をへて日本に渡来する間に、親子関係で言えば中国では考を重視した教えがされるし、日本では親子の情は当然とする教えに変化していったとのことでした。仏教でも、本朝仏法の部は往生の話と法華経関連の奇跡の話ばかりだったので辟易した覚えがありますが、こんな風に思想史っぽい今昔物語集の読み方があるとは、勉強になりました。
本書には今昔物語集について9人の方が、仏教、兵、京と地方と外国、生業、諸道諸芸などさまざまな観点から文章を寄せています。今昔物語集は1120年頃に書かれたと推定されていますが、その後しばらくはこれに触れた文献はなく、15世紀の史料でようやく言及されるようになったそうです。このあたりの書誌来歴について、もっと詳しく説明する章があってもよかったかなと感じました。
今昔物語集では日本の66カ国のうちの62カ国が触れられ、石見・筑後・壱岐・対馬の4カ国は登場しないそうです。石見・筑後はおいとくとして、朝鮮との交流だけでなく、中国へ行くのにも重要だったはずの対馬が登場しないのが不思議ですが、天竺・震旦・本朝の部の三国から構成されていて朝鮮が無視されていることや、また高麗や遼とは外交関係が緊張していたことにも関連しているのかも知れないとのことでした。
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