2009年2月14日土曜日
中世の借金事情
井原今朝男著 吉川弘文館歴史文化ライブラリー265
2009年1月発行 本体1700援
中世の借金事情と銘打った本書ですが、借金についてだけでなく興味深い指摘がたくさんありました。
人に税金が賦課されていた公地公民制が立ちゆかなくなり、土地に税が賦課される中世の徴税システムになってから、名主や国司、地頭など各階層の能力のある者が年貢・公事の納入を請け負うこととなりました。年貢公事の負担者がなんらかの理由で滞納すると、未進分は請負者が代納し、未進者と代納請負者との間で債務債権関係が生まれることになったのだそうです。また、代納請負者自身も借金しなければ年貢・公事を完済することができないことがあり、その借金がかさむと破産状態となり所領を手放すこととなります。院政期に寄進地系荘園が増えたのは、この借金の債務整理目的で寄進されたものが多かったとのことです。
出挙で春に貸し出される種籾は領主の直営田でつくられた良質のイネで、しかも気候などを予測してその年にふさわしい品種の種籾が貸し出されました。中世ヨーロッパでムギの播種量と収穫量の比率が3倍程度でしかなかったのと違って、イネは中世でも100から200倍にもなったので、出挙は無理なく成り立っていたのだそうです。
室町期に荘園の年貢徴収システムに変化があって、代官に請け負わせることで一定額を春に前納させるようになった。年貢の前借りという貸借関係が導入され、不安定だった年貢が豊凶にかかわらず安定的に入手できるようになったのだそうです。
「これまでの中世史研究においても、惣・一揆・衆中・座・講などヨコの共同体的結合の存在が注目されてきた。しかし、その淵源について検討されていない。中世は売買取引よりも貸付取引に依存する社会であり、人格的依存関係による一定の人的結合組織をつくり少ない資金を拠出して一定額の資金を調達する相互扶助組織が発達した。その内部では、借用・運用・返済という債務契約が発達した。この人的依存関係による債務契約こそが社会の絆となって、共同体的社会関係の社会秩序をつくり出したのである」という指摘もおもしろいですね。
でも、読んでいて疑問に感じる点もなきにしもあらず。例えば、本書の中では、「質地は永領の法なし」や利倍法など中世の在地慣習法がいくつか触れられています。前者について著者は「『質券の状あるといえども、永く領知すべからず』という公家法こそ、『質地は永領の法なし』という在地慣習法の淵源であったとみてまちがいない」としていますし、その他の在地慣習法についても、古代法がその起源だと書いていることが多いように感じました。これって本当なのでしょうか。在地慣習法は古くから確固として存在していて、その正当化のために古代法の条文が、淵源として中世人に受け入れられていただけなのではと感じてしまいます。
また、質地は債務者の同意がないと流質させられなかったことが裁判例などを挙げて強調されています。でも、その種の裁判があったっていうことは、債務者の同意なしに流質させようとする債権者が少なからず存在していたということですよね。ほかにも、裁判例などで中世の現在と違った意識が示されている例があるのですが、立法されたり裁判になったりするというのは、著者の主張する中世の常識とは違った意識を持つ人が増えつつあったからだろうと、感じる点がままありました。
あと、本書では現代のことについても、著者の意見が多く述べられています。中世と現在とで債務債権関係の常識が違っていたことを強調するのは本書にとって必要なことだとは思いますが、中世の方が債務者が保護されていて債権者天国の現在よりまともだったということが縷々述べられていてうんざり。その手の話は本書に期待されているテーマではないと、大方の読者が感じたと思います。でも、おおむね面白い本でした。
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1 件のコメント:
今までいろいろな本を読んできましたが、
これほどでたらめな本に出会ったことはありませんでした。
とにかく著者が法制度というものを全く理解していないために、
1ページに1回以上の頻度でトンデモ記述が出てくるという
すさまじい内容になっています。
この点については名古屋大学准教授の大屋雄裕氏が
自身のブログにおいて徹底的に論破していますので、
ぜひご覧ください。
大屋雄裕ブログ「おおやにき」
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000649.html
大屋雄裕公式HP
http://www.nomolog.nagoya-u.ac.jp/~t-ohya/profile.html
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