藤原辰史著 人文書院
2010年1月発行 本体1500円
興味深いテーマなので、つい買ってしまいました。第一次大戦中のドイツの食糧不足は米騒動を経験した日本でも関心を持たれたことから始まり、ドイツの公式の統計でも多数の餓死者が出たこと、大戦前の時期に小麦はアメリカ・ロシア・アルゼンチン・カナダなどから大麦はロシアからたくさん輸入していたにも戦争は短く終わると考えて準備なしに開戦してしまったこと、パンにジャガイモを混ぜるなどの工夫や代用食、馬の徴用や男性労働者が徴兵され肥料の輸入も不能となり食料生産が低迷したこと、配給制度、不公平感の増大から革命の機運が高まったこと、大戦期の食糧政策の失敗がユダヤ人にあると目されたこと、休戦後も封鎖が続けられ食糧の輸入が制限されたこと、戦間期にこの食糧不足の経験を利用して子供たちに充分なパンをと訴えたナチスが伸びたこと、食料の自給自足を目指した広域経済圏が求められるようになったことなどが紹介されています。ナチスは、敗戦の責任者であるユダヤ人を追放することで所有者から取り上げた家財や不動産をプールして第二次大戦中の戦争被害者の救援に使っていましたが、そんなことまでも思い起こさせてくれる本でした。
面白く読めたのは確かですが、不備な点が多い本だとも感じました。まず、20ページには「餓死者76万2769人の衝撃」という見出しがついています。本文では「大戦期ドイツの飢餓および栄養失調が原因の死者の数」書かれていますが、これを「餓死」と呼んでいいのかという点。ふつうの人が餓死という言葉から連想するのは、不十分な食事のために骨と皮ばかりになったアウシュビッツのユダヤ人たちのような状態で死ぬことだと思います。しかし、本書でつかわれている「餓死」の定義がそれだとは思えません。もしそうなら、この時期のドイツ人のやせ衰えた骨と皮の姿の写真がもっと出回っているはずだと思います。また、21ページにあるドイツ人の第一次大戦期世代別女性の死者数の推移というグラフを見ると、明らかに冬に増えて夏が最少になるという波が見て取れます。もし、食糧の不足だけが原因の「餓死」であれば、収穫後の冬ではなく、端境期の夏に死亡数のピークがこないと変です。
以下は私の推測ですが、ドイツの公式の統計で「餓死」と判定された人の数はなんらかの推計値でしょう。推計の方法の一つに超過死亡という概念があります。例えば、近年の日本では年間に数千から一万数千人がインフルエンザによって死亡すると考えられています。これは、死亡診断書の死因欄にインフルエンザと書かれた人を数え上げたものではありません。インフルエンザの大流行年の死亡数と平年の死亡数からの推定した死亡数との差を比較して、インフルエンザの大流行年に余分にみられる死亡者の数を、インフルエンザによる死者とするのです。21ページのグラフにも冬多いといった明らかな季節性が見て取れますから、直接の死因は呼吸器感染症や心不全などでしょう。しかし、大戦前の時期に比較して開戦後の死亡者数は年々増加していますから、それらの疾患を死につながりやすくさせる因子が食糧の不足だったと考えることは十分に可能です。食糧不足による超過死亡が「餓死」の実態なのではと思われます。
本書は、本文の下の方に註のためのスペースがあります。リープクネヒトやローザルクセンブルクのような有名人にまで注をつけるのであれば、「餓死」が何ものなのかという定義をなぜ注で説明しなかったのか本当に不思議です。
また、食料の不足の影響として「餓死」だけでなく体格の変化を示す統計数値などは入手できなかったのでしょうか。徴兵検査がきっとあったと思うのでその際の身長・体重や、学校での身体計測の数値など。それらの数値があれば、もっと説得力が増すのにと思われます。本書には体重減少を来した人のエピソードが少数とりあげられているのみでした。
74ページには「家畜頭数を減らすことで、それに見合う大量の植物性食料を人間のために浮かす」ことをねらって、1915年に豚の屠殺が促進されたことが書かれています。しかし、実際には短期間に大量に屠殺されたので加工が間に合わず、肥料にされたり腐ってしまったりなどの不手際や、その後は、豚肉やラードの入手がさらに困難となるなどの問題が発生しました。ここまで読めば、この「豚殺し」が失敗だったことはよく理解できます。
しかし著者はこれに加えて「栄養学的にいえば、豚肉はタンパク質と脂肪を人間に供給するのであり、エネルギー源としての炭水化物を供給する穀物の役割とは異なる。動物性脂肪は、穀物では代替にならない、貴重な脂肪源であったのである。学問の細分化および縦割化のひとつの帰結としても、豚殺しは記憶せねばならない教訓であろう」と意味不明・理解不能なことを書いているのです。豚肉のタンパク質と脂肪が豚の食べた穀物などの飼料に由来することは明らかです。その穀物の不足の際に、エネルギー効率の観点から飼料を人間の食物に転換することは現在でも想定されている対策です。また「動物性脂肪は、穀物では代替にならない」というのも、ラードとして料理の風味づけに使うという点ではそうかも知れませんが、カロリー摂取という観点からは代替にならないわけがありません。そもそも味付けすべき食材が不足している状況下で味付けのためのラードや豚肉の不足にだけ文句を付けても仕方がないでしょう。栄養学的にみても必須脂肪酸はラードの中に少量しかないはずですし、少量含まれている必須脂肪酸でさえ豚が作り出したものではなくもともとは豚の飼料の中にあったものです。中世のように森の中でドングリを食べさせたり、人が食べない人糞や残飯のような飼料を与えるのでない限り、「豚殺し」は見習うべき政策でしょう。
76ページには「1915年の豚の大量屠殺は、結局、食糧危機を打開するうえでほとんど意味をなさなかった。それどころかむしろ危機を深刻化させた」とも書かれています。ロスを発生させる無計画な大量屠殺が責められるべきだとしても、もっと計画的に行われていたとしてもやはり危機を深刻化させたのでしょうか?または、食糧不足がさらにきびしくなった時期に、豚肉・ラードを入手できないドイツ国民にドイツ政府の失政を強く印象づけたという意味で「危機の深刻化」と呼んでいるのでしょうか。それなら理解できなくはありませんが。
76「輸入に頼る必要のないドイツのジャガイモの収穫高は、1915年には約5000万トンだったのが、1916年には26万トンにまで激減したのである」とあります。32ページにはジャガイモ収穫量が1918年に2900万トンと書かれています。1916年の26万トンは食用ジャガイモだけで、1918年の2900万トンは食用・飼料用・醸造用などをひっくるめての量でしょうか?
本書とは関連しませんが、この文章を書いていて、屠殺という言葉がATOK2007の辞書に登録されていないことを知りました。Just Systemも何を考えているのやら。