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2011年7月30日土曜日

図解中東戦争

ハイム・ヘルツォーグ著
原書房
1985年5月発行
元イスラエルの軍人で情報部長・国連大使などもつとめた著者が、自らの経験を含めて独立戦争からヨムキプール戦争までの各戦役と、エンテベ空港襲撃事件やレバノン侵攻などについて解説した本です。図解と銘打ってあるように、比較的たくさんの地図が載せられていて、戦闘の推移が把握しやすいように配慮されています。iPadでGoogle Mapにある地形も参照しながら読むといい感じでした。すでに定評ある本であり、また訳もこなれていて、読みやすい本でした。
各戦役については本書で充分に理解できたのですが、ひとつ疑問が残ります。それは、なぜ周囲を敵対する国に囲まれたイスラエルが生き残ってこれたか、各戦役を通じて占領地・領土を拡げることができたのかという点です。もちろん戦争に勝利したからなのですが、なぜ勝利できたのかが疑問なのです。例えば、イスラエルの独立戦争は、きちんとした軍組織がない状態で戦われました。英軍などに従軍した経験のある人もいたわけですが、それは相手のアラブ側も同じで、かえって英軍公認の軍事組織まで持っていました。また武器についても、イスラエル側が密輸などの手段でイギリスに邪魔されながら武器を入手しなければなりませんでした。この状態で独立戦争に勝利してイスラエル国家を樹立できたのは不思議です。著者は、イスラエル人、イスラエル軍の士気の高さ、指揮官の率先躬行を挙げ、また
一般的にいってアラブの軍隊は、例外はあるが防御にたけている。事前に戦闘計画を準備できるからで、それから遊離すればおしまいである。攻撃はあまり得意ではない。下級指揮官に状況即応力が欠けているからである。硝煙たちこめる戦場では、状況は流動的であり予期せぬ事態が起こる。指揮官はこれに即応しなければならない。アラブ世界には相互不信が蔓延していた。イスラエルはいつも、アラブ諸軍間の無統制と団結心の欠如を衝くことができた。各個撃破が可能だったのである。アラブは一度も数的優位を発揮できなかった。一方イスラエルは、国内の交通線で行動し、アラブ世界内部の亀裂を利用できた。
とも述べています。これもたしかにひとつの説明ではあるのですが、ではなぜアラブ諸国の軍隊は状況即応能力に劣るのかという点に関しては本書も説得的な説明を与えてくれていませんでした。空戦のスコアなどから見て、イスラエル軍とアラブの軍との間には技量の差も歴然とあったようですが、それもなぜなんでしょう。アラブ諸国の指導者も多くの資金を費やして航空機や戦車などをイスラエルの持っていた数以上に揃えたのに、軍隊の士気や技量に差がついてしまったのは、国民へのナショナリズムの浸透度の違い?それとも、狼と羊との間にある特殊な関係が、イスラエルの軍とアラブ諸国の軍との間にもあったんでしょうか?

MacBook Proのグラフィックカード故障の修理

7月24日日曜日の夜、MacBook Proを使おうとして蓋を開いてみてもスクリーンが真っ黒なままでした。電源ボタンを長押しするとじゃーんという起動音は聞こえてくるので、液晶のバックライトがきれてしまって画面が真っ黒なままなのかな、アップルケアの保証期間も一年ほど前に終了しているので液晶を交換すると10万くらいかかるかなと思いました。
むかしなら、Macが故障すると渋谷のNCRのクイックガレージに持ち込んでました。渋谷のクイックガレージは、本社ビル内の方にも駅の近くに移転した後にも何度もお世話になりました。でもクイックガレージはなくなってしまったとか。仕方がないので、予約して銀座店のGenious Barに行ってみました。Genious Barは初体験です。
バックライトがつかないと言ったら、担当の人はそうじゃないかもしれませんねと言って、後ろの壁に作り付けの収納棚の引出しからポータブルHDDくらいの大きさの道具を取り出しました。FireWireで接続して、(たしか)Dキーを押しながら再起動させ、グラフィックカードの不良だということがわかりました。この道具には、nvVidiaグラフィックテスト用と書かれた紙のラベルが貼ってありました。ラベルの紙は薄黒く汚れがていて、文字も少しかすれているので、かなり使い込まれているようです。同じ故障で持ち込んだ人がこれまでにたくさんいたということでしょうね。
担当の方のお話しでは、このグラフィックカードの故障の頻度は基準を超えているので、無料でロジックボードを交換してくれることになっているのだそうです。帰宅後、ぐぐってみるとAppleのサイトにMacBook Pro:ビデオ画像が歪む、またはビデオが表示されない問題というページがありました。2008年7月には問題の存在が明らかだったわけですが、全然知りませんでした。
2008年7月ですから、購入後一年の保証期間が過ぎた頃にこの故障を経験した人なら無償修理も当然の措置と感じるのでしょうが、私のMacBook Proはもうすでに購入後3年10ヶ月なので、経年劣化で故障してもおかしくないと感じる時期です。先ほどのページによると、「ご購入いただいてから 4 年以内に不具合が発生した場合は、MacBook Pro の保証期間終了後も無償で修理いたします。」となっていて、私の場合はあと2ヶ月すると経年劣化として処理されてしまうことになっていたわけで、そういう意味でもラッキーでした。
3-5日くらいで修理して送るとのことでしたが、iPadがあってもMacがないと不便な作業もあり、到着が待ち遠しかったのですが、7月29日の夜にクロネコヤマトの即日便というので配達されました。Genious Barに持って行ったのが26日の午後ですから、ほんとに3日で届きました。
ロジックボード(AppleはCPUがインテルになってもやはりロジックボードと呼んでいるのですね)が交換されていても、ハードディスクの内容はそのままで帰ってきました。欠けていたゴム足も一個足してくれたのと、本体も表面がきれいに拭かれていて、満足な修理です。

2011年7月24日日曜日

倭人伝を読みなおす

森浩一著
ちくま新書859
2010年8月発行
森浩一さんは、するどい指摘をところどころに含め、しかも読みやすく分かりやすく書いてくれる人です。前日読んだアッティラやフンだけでなく、私は邪馬台国についてもほとんど何も知らないので、本書を読んで学ぶ点がたくさんありました。例えば、三國志の東夷伝の中でも倭人についてが2013文字ともっとも字数が多いこと、取りあげられた人名もいちばん多いことから、魏が倭人に強い関心をもっていた、「ぼくの考えでは西暦紀元ごろから中国人は周辺の集団のなかで、倭人は突出して勝れた集団とみていた節がある」と書かれていて、そういう見方もあるのだと感心します。また、 一大率は邪馬台国の役人ではなく魏か公孫氏が派遣した人だという説の紹介と、これのオリジナルが松本清張だったことなど、まったく知りませんでした。
邪馬台国がどこにあったかとか卑弥呼とはどんな女王だったかだけに関心をもつ人は、本書は読まないほうがよかろう
と書かれていますが、倭人伝の本を読もうとする人でこの点に興味がない人はいないでしょう。森さんは九州説でこの本では狗奴国を熊本の白川以南の熊襲にあてています。そして、卑弥呼は狗奴国に無断で魏に遣使して狗奴国と不和になったこと、九州島を分裂させた卑弥呼を魏は見限って難升米に檄分を与え張政を派遣したこと、責任をとって卑弥呼は自死したこと、その後も張政は倭国に長年滞在し元は卑弥呼に与していた勢力をヤマトに東遷させて台与の即位につなげたことなどを想定しています。さらに、明治時代に張撫夷という名の塼が出土した帯方群の古墳は、分裂した倭をうまく処理した功績で張撫夷という名を名乗るようになった張政の墓だろうとしています。
張撫夷古墳というものの存在を初めて知りました。倭人伝とからめたストーリーは、その正否は別にしても、夢があっていいですね。また東遷説についても、賛否は分かれるだろうと思いますが、なぜああいうかたちで神武東遷が語られたかと考えると、その基礎となるような史実がまったく存在しないとするのも不自然だと主張にも理があるような気がしてきます。

2011年7月23日土曜日

アッティラ大王とフン族

カタリン・エッシャー、ヤロスラフ・レベディンスキー著
新保良明訳
講談社選書メチエ503
2011年7月発行
アッティラ大王とフン族という名前はもちろん聞いたことがあるのですが、実際どんな人とどんな人たちだったのかを全く知らないので購入してみました。ヨーロッパではアッティラ大王とフン族は有名でこれまでにもたくさんの本が書かれ出版されてきましたが、有名であるだけに後世になってつくられた客観的な証拠に基づかない伝説・お話をたくさん載せているのだそうです。漢に逐われた匈奴が西に走ってフンになったという魅力的な仮説も検証は難しいのだとか。本書は主に同時代の史料から導ける事項を明らかにするために書かれています。
フン族は東方のステップ地帯で遊牧生活を送っていた人たちで、西方に移動し、ハンガリーの地で定住生活に移行しつつありました。フン族の国家は、周囲に住む遊牧民やゲルマン人などの定住民からなる国を従え、それらからなる軍隊を持っていました。この軍隊は、フン族の国家の南方にあった東ローマ帝国を圧迫し、毎年貢納金を受け取る関係を結んでいました。軍事力を背景に南方西方の豊かな定住民の国家から貢納金などをせしめる存在ということでは、中国と北方遊牧民国家との関係と同じなのかなと感じます。
アッティラがこのフン族の国の王になったのは435年。共同統治していた兄を445年頃に暗殺して単独の王となりました。彼は451年にガリアに侵攻しましたが、マウリアクスの戦いで敗北して撤退を余儀なくされました。また452年には北イタリアに侵攻しましたが、軍の中に疫病が発生したりなどし、和約を結んで帰還しました。これらの敗北や蹉跌にも関わらず、アッティラの権威にかげりはありませんでした。453年に3人目の妻との婚礼の日に頓死し、王位に就いていた期間は20年にもなりません。でもこの突然の死がなければ、もっと活躍したのでしょう。彼の死後、彼の息子たちが王位を継ぎますが、内紛や戦いに破れフン族は東方に去ることとなりました。
アッティラの死後の名声は、逆説的なことに彼の死がその帝国とフン族自体に終焉を告げたことに起因している。アッティラは初めて「蛮族」すべてを糾合し、その頂点に立った。しかしこの偉業をなし遂げたのは、ただ彼一人に止まったのである。
偉大な王様ではあったのでしょうが、本書に記されたエピソードからは、そういう王様はほかにもたくさんいただろうとしか感じとれません。それにも関わらず彼が大王と呼ばれ、とても有名であるのは、エッダ、サガ、ニーベルンゲンの歌などのゲルマン伝説に遠い昔にゲルマン人たちを従えたことのあるアッティラが登場したり、また彼の事績に対するキリスト教ヨーロッパ世界の評価が「ローマとコンスタンチノープルを脅かした、キリスト教世界に対するアンチヒーロー」「神の鞭」という格別なものだったからのようです。アッティラ大王「伝説」はアッティラその人というより、キリスト教ヨーロッパを映す鏡だという点で重要なのですね。
この手の本には、解説とかあとがきみたいなものが付いていて、長々と語る訳者が多いと思います。でも、本書は目次の後に凡例的な訳者注が1ページだけあって、長いあとがきはなし。潔い態度に関心しました。

2011年7月22日金曜日

機動戦士ガンダム THE ORIGIN

10年ほど前にガンダムエースが創刊されました。創刊号は今と違ってかなり薄い雑誌で、The Originを掲載するためだけに創られたような印象を受けました。その後はいろいろな作品が載せられるようになり、中には興味をもって読んだもの(デベロッパーズとかトニーたけざきのガンダム漫画とか)もないわけではなかったのですが、ガンダムエースは個人的にはThe Originを読むための雑誌であり続けました。そのThe Originが先月26日発売の8月号で最終回になりました。
オリジナルのTVアニメの機動戦士ガンダムは、放映回数に縛られたためだと思うのですが、キャリフォルニアに降下したホワイトベースが苦労して地球を一周しジャブローに辿り着くという設定でした。The Originでは、キャリフォルニアから南下してペルー辺りを通過してジャブローに向かい、地球一周の冗長さを避けるように変更されていました。こういった工夫にともなって割愛されてしまったエピソードもありますが、オリジナルのTVアニメ機動戦士ガンダムの物語の骨子にあたる部分は削られず、というよりそれをThe Originが活かして描いています。ただ、そのために「長い」という印象を与えることになったことは否めません。
The Originの中で特に好きだったのは、
  • 幼いキャスバルとキシリアとの会談という名の対決。
  • ダイクン支持者の中でもランバ・ラルのお父さんのジンバ・ラルとデギン・ザビやザビ家の面々は対立していたことなど、サイド3の政界模様。
  • ダイクンの妻は醜く悪妻として描かれ、ダイクンの死後(暗殺後)、 ダイクンとの間にキャスバル(シャア)とアルティシア(セイラ)の2人の子をもうけたセイラの母親を幽閉する。
  • キャスバルとアルティシアをサイド3から逃す手助けをラル派がして、特にガンタンクに乗り込んだハモンが颯爽と活躍と、そのガンタンクで闘争を邪魔する連邦のガンタンクを撃破したキャスバル。
  • キャスバル兄妹のテキサスコロニーでのつかの間の平和な暮らしと、キャスバルと瓜二つのシャア・アズナブールとの出会い。
  • テキサスコロニーを出ようとしたキャスバルの暗殺を命じたキシリアだが、シャア・アズナブールがキャスバルと取り違えられて暗殺されてしまい、シャアが志望していたジオン公国の士官学校にキャスバルが替わって入校する。
  • ガルマと同級生になったシャアが、学外での重装行軍訓練などを通して御学友ではなくガルマの友人になる。
  • ミノフスキー博士の噛んだMS開発計画。
  • 連邦の天文台の不手際で事前の予告なく、サイド3の農業コロニーに小天体が衝突し、独立への気運が盛り上がる。
  • 連邦の治安出動を予期して阻止に動いた士官学校の学生たちの責任をとって除隊したシャアが、MSのプロトタイプのような建設機械モビルワーカーの上手なオペレーターとしてジャブロー建設工事で働く。
  • ザク5機を従えてサイド7へ潜入するシャアの描写とその背後にある緊張感。
  • ホワイトベースから降りた後、実はクレーター湖になってしまっていたことを知らずに故郷のセントアンジュに行こうと歩くサイド7からの避難民の母子に、脱出用カプセルを提供したルッグンのクルー。

こうやって想い返してみると、オリジナルのTVアニメ機動戦士ガンダムのストーリーに縛られずに描くことのできたシャア・セイラ編と開戦編の良さがあらためて確認できます。年を取ったせいなのでしょうが、むかしは好きだったマーラーの交響曲を聞く気力というか体力というか意欲というかがなくなった感じ。それと同じように、The Originは全体を通して読むには重すぎて億劫な感じです。でも、こういう作者自身が作り出した個々のエピソードはとても素敵ですし、隙間を埋めるようなストーリーはいいんですよね。

2011年7月17日日曜日

iPadのPagesはPages'08に対応していなかった

先日、日本でのAppの価格が値下げされました。だからというわけではないのですが、 iPad用にPagesを買いました。iPadで長い文章を書くつもりはまったくありませんが、寝っ転がりながらなにかメモしたい時に使えるかなと思ったので。
MacBook ProでつくったPagesの書類がDropboxにあるので、早速iPadで書き込んでみようとしたところ、こんな表示が出て拒否されました。うちのはiWork ‘08のPagesです。Appleが古いものをどんどん切り捨てる体質なのは知っていましたが、 3-4年前のバージョンだからってファイルの読み込みまで対応させないなんてひどすぎる。古いPagesでもrtfで保存したファイルは読んでくれるの、それで我慢するしかない感じです。


イカの心を探る

池田謙著
NHKブックス1180
2011年6月発行
むかしむかし生理学の時間に神経細胞の活動電位の講義で、ホジキン、ハクスレーによるイカの巨大軸索神経の実検の紹介があったことをよく憶えています。捕食者からすばやく逃げるために太い神経を持っているのだろうなと思っていました。でも、イカは俊敏な運動のための太い神経線維をもつだけではなく、とても大きな脳を持っているのだそうです。タコの知能が高いという話はどこかで聞いたことがあるような気がしますが、イカもそうなのだとか。社会的な行動がみられたり、群の他の同種イカ個体を識別することができたり、鏡像自己認識の能力があったりなど、著者自身と世界中の研究者の実検で明らかにされたイカの能力がいろいろと書かれていました。
それらの実験系は、考え出したことに対しても感心してしまうような巧妙なものばかりでした。例えば、イカの赤ちゃん学をさぐるという章では、孵化前で卵のなかにいるけれど眼はできてきたイカにエサ動物をみせると、孵化後にそれを好んで捕食するようになるという実験が紹介されていました。これなんか、よくそういうことを思いつくなとあんぐりしてしまうような実験ですね。
鏡像自己認識の能力が証明されていた動物としては、ヒト以外にチンパンジー、オランウータン、ゾウ、イルカ、カササギがあり、著者の実検でイカにもこの能力があることが明らかにされました。鏡像自己認識能は高い知性をもつことのひとつの目安だとは思います。でも当たり前のことですが、目が良くないと鏡像自己認識のテストにはパスしにくいですよね。イカは充分な知性に加えて、大きな目と良い視力を持っているからこの実験にパスしたのでしょう。目の良くない動物に自己認識能の有無を知るための実験法はあるのでしょうか。また、取りあげられていた、群の他の同種イカ個体を識別能も、実験系から明らかに視覚によるものなので、イカさんはパスできたのでしょう。視覚以外による識別を行っている動物ならきっとほかにもいるような気がしますが、どうでしょう。
タコと違ってイカは飼育の難しい動物なのだとも書かれていて、これにも驚きました。というのも、やはり昔の話ですが、玄界灘に面した佐賀県の呼子町にあるイカの活け作りのお店には何度も通ったことがあったからです。刺身も天ぷらもおいしかったのですが、お店の真ん中の広いいけすには、いつもイカがたくさん泳いでいた記憶があります。長く飼育することが難しいのかな。

2011年7月9日土曜日

エンドレス・ノヴェルティ

エンドレス・ノヴェルティ
フィリップ・スクラントン著
有斐閣
2004年10月発行
チャンドラーの経営者の時代を読んで、鉄道・電信などの運輸・通信部門の発達に刺戟されて19世紀後半のアメリカで生まれた、専門経営者、複数事業部制などを特徴とした近代的な大企業について学びました。それら大企業のうち製造業に属するものは、大量生産・互換生産などの生産のアメリカンシステムを体現していました。近代的な製造業というのはすべてそういうものかというとそうではないのだと指摘してくれているのが本書です。
製造業は対象となる商品の種類によって、注文に応じるカスタム生産、小口ロットごとのバッチ生産、大口のバルク生産、大量生産(マス生産)の4通りの生産の仕方をしていると著者は分類しています。例えば、工作機械は標準品をバッチ生産して在庫にもつ以外は、需要家の求めに応じてのオーダーメード=カスタム生産でした。マス生産をしていた企業だけが近代化したわけではなく、これらのバッチ生産やロット生産をしていた専門生産に従事する企業も独自の進歩、第二次産業革命と呼べる変貌を遂げたのでした。本書では、宝飾品、繊維製品、家具、機関車、工作機械、出版・印刷、電機製品(電球などはマス生産だが、大型発電機や蒸気タービンなどはカスタム生産)などの専門生産をしていた企業が取りあげられています。それらの企業の19世紀後半から20世紀への変化、とくに商品と流通・市場の性格がその業種の企業の大きさや盛衰にまで影響していたことなどが述べられています。例えば、宝飾品、家具、工作機械などの業種では、ひとつの地域に同業種の部品製造と製品製造とサービスを行う企業が集積してする傾向にありました。しかし、同じく集積していた宝飾品と家具を比較すると、新たなデザインの商品を他の企業が模倣しやすいかどうかで、業界の先行きが分かれてしまったことなど興味深く読めました。特に本書を読んでいると、日本の在来産業、新在来産業の近代化との類似性を感じます。
本書の欠点は日本語訳がまずいことです。英語の原著よりも価格のかなり高くなる日本語訳書を購入するのは、読みやすいだろうことを期待してのことです。拙い日本語訳の本を読むくらいなら、英語の本を買った方がましで、本書はそう思わせる本でした。

2011年7月5日火曜日

NTT貸与のVDSL装置の故障

今朝からインターネットに接続できなくなりました。ネット中毒気味なので、接続できないと非常に不便です。うちでは、Time Capsuleを無線LANルーターとしてつかっていますが、Time capsuleは寿命が短いと評判で、特に夏場にはお亡くなりになりやすいそうです。うちのも購入後すでに3年3ヶ月以上になりますから、最初はこのTime Capsuleが故障したのかなと思いました。
しかしAir Macユーティリティでチェックしてみると、問題ないと表示されます。いちおう再起動させてみましたが、つながらない問題は解決しません。メニューバーのAir Macのところには「PPPoEホストを探しています」という表示が流れるばかり。WiFiがだめなのでMacBook ProもiPadも役に立ちませんが、3GでネットにつながっているiPhoneで「PPPoEホストを探しています」をググってみましたが有益な情報は得られませんでした。ISPにもうちの地域に該当する障害情報はありませんでした。

途方にくれてTime Capsuleにつながるケーブル類のチェックを始めてみたところ、VDSLモデムの電源ランプがついていないことに気付きました。アダプターを抜き差ししてみても電源オンになりません。ここが元兇なのはたしかでですが、本体が故障したというよりもきっと電源アダプタの方がいかれてしまったのでしょうね。
NTTの領収書・口座振替のお知らせという紙をみて、113に電話したところひかり電話の窓口にかけ直すように案内され、そちらに電話してみるとフレッツの故障の受け付けにかけ直すように指示されました。多少たらい回し気味ではありましたが、15分ほどで新しいVDSL装置を持ってきてくれることになりました。VDSL装置の故障が原因と判明してから、新たなものに取り換えて接続が回復するまでに2時間未満で済んだので満足です。

2011年7月2日土曜日

近代東アジア経済の史的構造


中村哲編著

日本評論社

2007年3月発行


東アジア資本主義形成史IIIというサブタイトルがついていますが、編著者の主催している研究所が主催している合宿研究会の成果をまとめたものだそうで、11本の論考が収められています。読後感は玉石混淆というものですが、 特に面白く読めた玉は以下の2本。


ひとつは編著者が書いた序論「東北アジア(中国・日本・朝鮮)経済の近世と近代(1600-1900年)」です。ヨーロッパとアメリカに続いて東アジアの経済成長が著しいわけですが、序論は東北アジアにおける資本主義形成の内在的な条件を探るという問題意識から書かれています。東アジアは稲作と自然条件とから小農社会を形成しましたが、小農社会は世界中で西ヨーロッパとこの東アジアのみにみられたものでした。著者によれば「最も発達した農業社会が小農社会であり、それが資本主義を生み出す母体になったので」す。時期や程度の差はあれ、15~18世紀に小農社会となった中国・日本・朝鮮ですが、その後の世界資本主義に組み込まれる19世紀前後の対応が大きく異なりました。その理由として、著者は財政力の差を上げています。中国と朝鮮は中央集権国家でしたが、両者とも土地・人民の把握力は末端では弱く、制度外・非正規の秩序が在地を支えていました。それに対して「日本は対照的に強力な支配体制が在地まで貫徹し、それを自立性の強い村落が支えていた。そのために前近代国家としてはきわめて効果的に重い租税を徴収できた。また、中国財政が貨幣・商品経済に受身に対応したのに対し、日本では中央政府が貨幣発行権を集中して貨幣流通量をコントロールできたし、兵農分離・城下町建設・参勤交代・石高制・流通の自由(楽市楽座)といった政策で積極的に市場を創出」しました。その結果、財政の破綻していた・小さかった二国とは違い、「日本は3国の内では、かなりの財政資金を工業化政策(殖産興業)に投入できたし、官営工業にも一部充てられたが、圧倒的部分はインフラ整備に充てられ」、「財政資金を投入した政府主導の工業化(移植型大工業)は財政的裏付けのあった日本だけが相当規模で行なうことができたが、それのない中国は微弱にしか、朝鮮は殆ど行えなかった」のだそうです。以前「朝鮮/韓国ナショナリズムと小国意識」木村幹著・ミネルヴァ書房・2000年という本を読んだことがありますが、その中では米換算した20世紀の朝鮮政府の財政収入が、19世紀の徳川幕府の収入の六分の一ていどだったことが述べられていました。本当にこんなに違うのかしらと多少の疑問も持っていたのですが、この序論では朝鮮だけでなく清の中央政府の財政収入も大国である割には大きくなかったことが説明されていて、納得できた感じです。こうやって数字で説明する手法はとても好ましく感じたし、興味深く読めました。ただし、この序論に問題がないわけではありません。小農社会を形成した中国・日本・朝鮮のその後の進路の違いを説明するために、在地の把握と財政力の差を持ち出さなければならないということは、著者が冒頭で述べた「最も発達した農業社会が小農社会であり、それが資本主義を生み出す母体になった」という主張が破綻しているからだというふうにはならないんでしょうかね。


もう一つ面白かったのは、第4章「両大戦間期日本帝国の経済的変容」です。「慢性的な貿易赤字に苦しんでいた日本内地は、1920年代末から国際競争力の顕著な上昇によって、植民地のみならず世界市場全域に急激に輸出を増やし」特に大恐慌後に世界貿易が収縮する中で例外的に輸出を増やすことができました。この日本の輸出の増加は、アジア交易圏論が主張するアジア諸国からのプル要因によるものではなく、日本の工業製品の品質・価格競争力が改善して自らの植民地以外にも輸出できるようになったことが主因だったとか。この輸出増加がそのまま推移すれば戦後の高度成長によって達成した貿易黒字ももっと早くに実現可能だったはずで、「戦前期日本資本主義については、輸入超過が不可避であったかのような宿命論的な見解が、名和統一の三環節論に対する高い評価を含めて、今なお大きな影響力を持っている。しかし、それは実証に基づかない誤った思いこみに過ぎず、実際は次節で見る工業製品の高品質化と低廉化によって、日本輸出製品の世界市場での優位は格段に高まりつつあった。貿易収支の改善に端的に表れる日本工業の競争力の強化は、1920年代末から30年代にかけて日本の国際的地位が向上するうえで重要な条件となった。日本の資本主義の例外的な発展こそ、両大戦間世界経済における大きな変化の一つであった」とまで述べています。たしかに当時、貿易や国際収支に関わる仕事をしていた人たちには長年の赤字基調が身についていて、しかも生糸輸出による外貨獲得額の激減ばかりが眼について、その他の工業製品の競争力向上による将来の黒字化という明るい展望は持てなかったでしょう。でもこうやって数字ではっきり示されると目から鱗という感じです。


また第4章は日本本国だけでなく植民地についても「このような歴史的過程は、植民地に組み込まれた社会にもはかりしれない影響を引き起こした。戦前戦後の朝鮮(韓国)と台湾の政治体制には大きな断絶があるにもかかわらず、図4.6の右側に見られるように、対外経済関係には強い連続性がよみとれる。1950年代後半韓国と台湾の輸入品の構成は、1940年代とほとんど同じものであった。同時期の東南アジア諸国では、圧倒的に最終消費財を輸入していたのに対し、韓国と台湾では機械類と原材料の比率が極めて高かった。つまり、国内において工業生産が連続的に稼働していた。そして、両国ともNICs(新興工業国)化現象が起こるよりも10年早く1950年代末から工業製品輸出の比率を急速に高めていた。日本帝国としての資本主義発展は、そこに組み込んだ社会をも資本主義に編成替えしていたのである」と述べています。図4.6というのは台湾と朝鮮・韓国輸入における消費財と生産財の比率のグラフですが、たしかに消費財の輸入が減少し生産財の輸入が増加するトレンドが両国にみられ、しかもそのトレンドは第二次大戦をはさむ前後でほぼ同じ趨勢線上にあります。とても魅力的な主張ですしグラフも確かにこの主張を支持しているように見えますが、これに対しては植民地近代化論だといってむきになって反論する人もたくさんいそうですね。