新保良明訳
講談社選書メチエ503
2011年7月発行
アッティラ大王とフン族という名前はもちろん聞いたことがあるのですが、実際どんな人とどんな人たちだったのかを全く知らないので購入してみました。ヨーロッパではアッティラ大王とフン族は有名でこれまでにもたくさんの本が書かれ出版されてきましたが、有名であるだけに後世になってつくられた客観的な証拠に基づかない伝説・お話をたくさん載せているのだそうです。漢に逐われた匈奴が西に走ってフンになったという魅力的な仮説も検証は難しいのだとか。本書は主に同時代の史料から導ける事項を明らかにするために書かれています。
フン族は東方のステップ地帯で遊牧生活を送っていた人たちで、西方に移動し、ハンガリーの地で定住生活に移行しつつありました。フン族の国家は、周囲に住む遊牧民やゲルマン人などの定住民からなる国を従え、それらからなる軍隊を持っていました。この軍隊は、フン族の国家の南方にあった東ローマ帝国を圧迫し、毎年貢納金を受け取る関係を結んでいました。軍事力を背景に南方西方の豊かな定住民の国家から貢納金などをせしめる存在ということでは、中国と北方遊牧民国家との関係と同じなのかなと感じます。
アッティラがこのフン族の国の王になったのは435年。共同統治していた兄を445年頃に暗殺して単独の王となりました。彼は451年にガリアに侵攻しましたが、マウリアクスの戦いで敗北して撤退を余儀なくされました。また452年には北イタリアに侵攻しましたが、軍の中に疫病が発生したりなどし、和約を結んで帰還しました。これらの敗北や蹉跌にも関わらず、アッティラの権威にかげりはありませんでした。453年に3人目の妻との婚礼の日に頓死し、王位に就いていた期間は20年にもなりません。でもこの突然の死がなければ、もっと活躍したのでしょう。彼の死後、彼の息子たちが王位を継ぎますが、内紛や戦いに破れフン族は東方に去ることとなりました。
アッティラの死後の名声は、逆説的なことに彼の死がその帝国とフン族自体に終焉を告げたことに起因している。アッティラは初めて「蛮族」すべてを糾合し、その頂点に立った。しかしこの偉業をなし遂げたのは、ただ彼一人に止まったのである。
偉大な王様ではあったのでしょうが、本書に記されたエピソードからは、そういう王様はほかにもたくさんいただろうとしか感じとれません。それにも関わらず彼が大王と呼ばれ、とても有名であるのは、エッダ、サガ、ニーベルンゲンの歌などのゲルマン伝説に遠い昔にゲルマン人たちを従えたことのあるアッティラが登場したり、また彼の事績に対するキリスト教ヨーロッパ世界の評価が「ローマとコンスタンチノープルを脅かした、キリスト教世界に対するアンチヒーロー」「神の鞭」という格別なものだったからのようです。アッティラ大王「伝説」はアッティラその人というより、キリスト教ヨーロッパを映す鏡だという点で重要なのですね。
この手の本には、解説とかあとがきみたいなものが付いていて、長々と語る訳者が多いと思います。でも、本書は目次の後に凡例的な訳者注が1ページだけあって、長いあとがきはなし。潔い態度に関心しました。
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