水野さや著
河出書房新社
2011年7月発行
宮殿建築、古墳や古墳からの出土品、仏像や仏寺、塔などの仏教美術、書画、陶磁器と韓国の国宝を紹介した本です。フクロウの本シリーズの一つなので、写真がたくさん載せられていて、字の多い図鑑・絵本といった印象です。でも、図鑑・絵本的な本だからこそ鮮明な印刷が求められ、こういうぶれた印刷のまま販売されるのは困ったことです。
8ページで日本の植民地時代のことが「日帝時代」と表現されていました。日本人の著者の日本語の本に「」なしの日帝時代という表現はあまりみかけませんし、景福宮を覆い隠すように朝鮮総督府庁舎を建設したことが愚行であったと感じる私でも、これには違和感を感じます。でもその点を除けば、著者の文章は読みやすく、どんな品々が国宝とされているのか、分かりやすく解説されていました。
巻末に韓国の国宝の一覧表よると315号まで指定されています。Wikipediaを見ると日本では1100件ほどが国宝に指定されているので、韓国の国宝の方がずいぶんと少ないわけです。両国の国宝選定の基準は異なるはずですから、単純に数を比較することには意味がないかもしれません。でも本書をざっと眺めての印象として、高麗以前の時期の品が少ないことは明らかです。この時期でも古墳や仏像、石造の塔などは国宝に指定されていますが、書画、経典、歴史史料的なモノ、木造建築、木造の仏像などは現在まで無事に残ったモノが少ないのだそうです。その原因として元との戦争や壬辰戦争、そして朝鮮戦争があげられていました。国宝となるべきモノが壁の北側にあったりもするのでしょう。戦争の際に、美術的な価値のあるモノは略奪されたり、保管していた建物ごと燃やされたり破壊されてしまったり、芸術的に価値あるモノを享受する層の生活レベルが低下したりなど悪条件が重なったのでしょう。そう考えると、高麗大蔵経はその企図の壮大さと、戦時の悪条件を克服して造られたことからも本当に偉業だと感じます。逆に日本の、中世期以前にもその住民が日本の一部だと認識していた地域の大部分は、幸運にも言葉のまったく異なる人たちの侵入・略奪を受けずに済んだおかげで、古いものが残りやすい状況だったんでしょう。おかげで、日本では日記、書簡、荘園領主・武家の文書や、国宝ではありませんが正倉院の文書など、鎌倉・平安時代以前の史料も、 歴史家が仕事に困らないくらいは残っています。朝鮮半島の高麗以前の歴史の研究者は困っていないのか知りたくなりました。