岡本隆司著
岩波新書 新赤版1340
2011年11月18日 第1刷発行
むかし、同じ著者の近代中国と海関という本を読んだことがあります。もちろん海関に関して史料を示して論証した本なのですが、素人の私は実証的な部分よりも、清朝側の交易取引と関税徴収を一体化して牙行という商人に任せる仕組みが西洋諸国からは特権商人による独占・桎梏と受け取られたこと、清朝の認識としては洋関(海関)・関税と内地関・厘金が大きくは違っていなかったこと、貿易量の拡大に伴って必要な資金が増えて牙行→保商制度+外洋行→外国商社+買弁という体制へ変化し、それにともない広東にとってかわって上海が成長したこと、外国人の総税務司がお互いに都合が良かった点、などが分かりやすく説明されている点に関心しました。西洋諸国(と西洋諸国の流儀になじんだ現代人である私)が不思議に感じた清朝の制度と、その不思議が解消されることになった経緯を、素人にもわかりやすく整理する手際が非常に鮮やかで、この人はとても頭が切れる人だろうなと思ったのです。本書はその著者によるものですから、単に李鴻章を紹介するだけにはとどまらず、対外関係に影響されて変化する清朝中国の様子が、李鴻章を軸にすっきりと整理されています。以下、ざっと学んだ点をまとめます。
清朝盛時にも治安・取引・財産などを保証する政府サービスの提供は不十分で、かわりに中間団体が自ら秩序を維持するようになりました。社会矛盾が反乱に結びつき、多数の武装した中間団体が反政府運動に組すると正規軍だけでは鎮圧できません。政府側もこれら中間団体を団練(地方民兵制度)として組織し、反乱軍に対抗させました。その有力なものが曾国藩の湘軍と、李鴻章が郷里で組織した淮軍でした。 李鴻章は科挙に合格して進士になった後、曾国藩に師事することがあって、南京付近で湘軍が太平天国軍と戦闘している最中に、危機の迫った上海に曾国藩の推薦で派遣されたのが淮軍でした。李鴻章はここでの勝利で頭角をあらわし、豊かな江南デルタをおさえ軍事力をバックに、外国からも交渉の相手として選択される存在になったわけです。その後、直隷省を脅かした捻軍の反乱も処理してさらに名声は高まり、天津教案を機に李鴻章は北洋大臣に任命されました。
朝貢する自主の属国という存在は西洋諸国の条約体制にはそぐわず、問題が起きましたが、新疆はロシアとの条約で確保でき、ベトナムはフランスとの条約で名を保つことができました。しかし琉球・台湾・朝鮮を窺う日本は相も変わらず倭冦であり脅威であると、北洋大臣の李鴻章は考えていたようです。本書では日本と清朝の間の紛争が、他の西洋諸国との問題と並べられ見通しよく整理されていて、勉強になります。
日清修好条規は日本側の用意した不平等条約の案を退けて、李鴻章麾下の馬建忠の草案にしたがって結ばれました。この条約は両国の所属邦土の尊重を謳い、清朝としては単なる不可侵条約ではなく清朝の朝貢国朝鮮や琉球の保全を保証するものと考えていました。しかし、化外を言質にとっての台湾出兵やその後の琉球処分など、日本には清朝の所属邦土(属国)に朝鮮・琉球が含まれるとの認識はありませんでした。ドイツから定遠・鎮遠を購入し、日本へのデモンストレーションの航海では大いに日本人を恐れさせましたが、西洋からの科学技術の導入と軍事力強化による国防に清朝内部の方針が統一されていたわけではありません。李鴻章は自らの求める洋務・海防が進まない現実に、明治維新以来の君民一体となった日本の西洋化と軍備を脅威に感じ、淮軍や北洋艦隊が日本に劣ると判断していたのだそうです。したがって日本とは戦わずに済ます途を求め、特に壬午事変に際しての出兵と速やかな撤兵による事件収拾は鮮やかで、朝鮮をめぐる日本との関係は小康状態が続きました。しかし甲午農民戦争への出兵は対抗する日本の出兵を招き、これが日清戦争につながりました。本書では戦争に至ったこの経緯を李鴻章生涯最大の失策と評価しています。日清戦争後、日本対策として三国干渉を働きかけ、露清同盟を結んで東三省にロシアの勢力を引き込むことになりましたが、振り返ればこれがその後の東アジアの歴史に大きく影響することになった訳です。晩年、完全に失脚したわけではなかった李鴻章は義和団事件の際の東南互保を支持ましたが、その後、中央政府から列強との講和交渉を委ねられて北京議定書を結び、1901年に死去したのでした。
外国との関係から洋務の必要性を痛感しながら、国内事情のために全きを得なかった悲劇の政治家、しかも悲劇をもたらした主役の一人は日本だったという印象で読み終えましたが、それを予告するように、本書の巻頭は下関での遭難から始められています。巻末には、年譜と並んで、参考文献についてという節が付録していて、李鴻章の全集2つと日録1つ(いずれも中国語)、それに日本語の文献4つが紹介されています。著者の主に紹介したかった文献が中国語という点に、李鴻章に対する日本の関心度と著者の意図と両方が見えるような気がしました。