このページの記事一覧   

2012年7月31日火曜日

古典籍が語る 書物の文化史

山本信吉著
八木書店
2004年11月25日 初版発行
「語ってくれる」のは、主に冷泉家時雨亭文庫の古典籍と寺院に伝えられた仏典でした。本書の前半では、書誌学の知識が冷泉家時雨亭文庫に伝わった本を例に分かりやすく解説されています。例えば、この文庫には定家の著書や定家が書写・校訂に関わった本、いわゆる定家本が多数収められていますが、そういった定家本が自筆本、書写本、合筆本、書写奥書本、校訂本、加筆本、外題本と分類できることなどなど興味深く読めました。定家さんは歌道の家を確立した立派な人です、でも、政治の分野での家の確立にも色気があった人だし、明月記という自筆の日記史料が残っているし、ドラマや文学作品の主人公としてもっと取りあげられてもいい気もしますね。評論には堀田善衛さんの定家明月記私抄がすでにありますけどね。
巻子装本が公的性格を持った本であると書いた史料は別にない。ただ、永い間、数多くの貴重な古典籍を拝見しているなかで、自ずから特定の目的を持って書写された本は巻子装本となっている場合が多いと理解している。
奈良・平安時代の古写本、とくに古写経を修理するにさいして、披見の便を計って巻子装本から折本装本に改装することが行われた。
転読に便利なように、修理にさいして、折本装への改装が盛んに行われた。
ステータスとしては古くからある巻子装本が一番上だが、中身を見る点では折装本の方が便利。それはよく分かるのですが、転読の流行と関係があって巻子装本から折本装本に改装されたという理屈がよく分かりませんでした。というのも本書の中では「経文の全文を読み上げるのを真読というのに対し、経の題名だけを読む略式の読み方を転読と呼んだ」と説明されていたからです。でも転読をぐぐってみると「法会において、経の題名と初・ 中・終の数行を読み、経巻を繰って全体を読んだことにする読み方」と説明されているサイトがあって納得できました。お経のまん中のあたりや終わりの部分を音読するには、たしかに折り本の方が便利ですよね。
鎌倉時代後期以降、仏書あるいは仮名文学の注釈書などに袋綴装本が出現してくるのは、こうした薄手楮紙の普及と密接な関連がある。こうした傾向は室町時代中期に流し漉きによる製紙法が普及し、美濃紙と呼ばれる薄手で強靱な楮紙が全国的に流通するようになると、袋綴装は軽量で、丈夫で取り扱いやすく、しかも姿が整った装幀法として日常的にもちいられることとなった。
こういう、本の装丁の歴史と、本に使用された紙の歴史とが関連しているという説明も勉強になります。また、仏典の部分では、東寺、醍醐寺に残る宋版一切経や、興福寺に残されている主に鎌倉・室町時代に印刷された春日版の版木の調査のことが書かれていました。宋版一切経は、始めのうち王室もお金を出していたそうですが、その後に破損した版木を修理したり新調する資金は一般人が功徳を得るために寄付していて、寄付の目的や寄付者の名前が印刷されました。日本人留学僧の名前が印刷されたページもあることが図版とともに紹介されていて、驚きました。
我が国に漢籍の古本、ことに中国でつとに亡佚した稀覯本の古逸書が多数伝存した理由は一様でないが、日本では王朝の交代がなく、したがって大戦乱が少なかったことが第一の原因であろう。また中国では唐・宋代にしばしば典籍の内容が改編、補訂され、あるいは宋代に入って印刷技術が発達し、本文が校訂された良質の版本が普及すると、旧態の典籍が利用されなくなり、次第に逸失したが、我が国では博士家などの学問の世襲化も一因となって古伝本がそのままに尊重された。
宋・元版、あるいは高麗版一切経は東洋文化史上の遺産として重要な文化財であるが、出版当時の遺品はそれを生み出した彼地にはほとんど伝存せず、我が国の寺院にまとまった遺例が比較的多数現存しているのが特徴である。
日本には古いモノが数多く残っているという意味の記述は、他の歴史関係の書物でもしばしば目にします。著者の指摘するように、大戦乱が少なかったこともたしかに一因でしょう。でも、利用されなくなった「旧態の典籍」を捨てずに大事に取っておく行動様式や「博士家などの学問の世襲化」といったような過去の「日本人」の特質とされているようなことも原因なのだろうと感じます。日本人論などでよくいわれるこの種の「日本人の特質」を具体的に証明することはきわめて困難だと思うのですが、もし他国との文化財の残存状況の差を示す資料があるのなら、それを明かす貴重なエビデンスになってくれるんじゃないかと思うので、見てみたい気がします。

2012年7月29日日曜日

概説近現代中国政治史


浅野亮、川井悟編著
ミネルヴァ書房
2012年7月10日 初版第1刷発行
本書の各章末には参考文献のリストと並んで発展問題というのが付されています。「はじめに」で本書がテキストとして書かれたことが紹介されていますが、日本の教科書もこういう体裁のものが増えてきているんでしょうか。というより、本書が一風変わった教科書だからかな。400頁以上もある本ですが、単に細かな事実関係を求めて読むものではないと感じました。 中国の政治の見方・考え方、研究史の紹介、研究史を追うための参考文献のリスト、それら文献の正挌・位置づけなどについての紹介がある点が本書の特長です。例えば清・中華民国・中華人民共和国についての
  • これまで三者は断絶関係にあるとされてきたが、連続性や共通の部分が大きいと解釈が変わってきた
  • 「中華民族の偉大な復興」という公式スローガンは、清末、中華民国、中華人民共和国が連続しているという前提の上に成り立っている。つまり、三者の連続性イメージは、改革開放以後の「中国の台頭」期を正当化する役割があったといっても否定はできない
という指摘や
  • 中国近現代史の研究では、政治革命と社会革命を特に区別する必要があると言われている
  • 21世紀初頭の時点で考えると、中国革命における社会主義イデオロギーの採用は、世界規模のプロレタリア革命の実現ではなく、中国という国家の復興を究極的な目標にしていたといえる
また、現状、一つの国家としての中国を説明することには限界があって、
  • ソ連の崩壊が示したように、国民、領土、排他的主権という古典的な国民国家という概念自体がかりそめのもので、不安定と考えられるからである
という指摘など、とても勉強になりました。清・中華民国・中華人民共和国の断絶から連続への認識変化は、 激変に思えていた変革・革命も時間がたつにつれそれほどでもなかったと認識されてくるという点で、 例えば日本経済について、以前は明治維新の前後の断絶が強調されていたものが、明治維新が遠くなるにつれ、江戸時代からの連続が強調されるようになったような事情と似ていると感じました。また、読んでいて勝手に気になった点として例えば、
  1. 中国近代史に日本の及ぼした影響は大きいのですが、中華民国の統治が安定せず中華人民共和国に取って代わられた原因はひとえに日本の侵略にあった、逆に言えば盧溝橋事件以後の日本による干渉がなければ中華民国が連続していたと思うのですが、このへんはどうとらえられているのか?
  2. 大躍進で多数の飢餓による死者が発生したといわれています。日中戦争による死傷者(軍人民間人あわせて)、清朝期の災害や太平天国の乱による死傷者などと比較すると、どの程度のものなのでしょう?
などなど、新たな疑問を与えてくれる本で、本書の近代の部分はとても勉強になります。対して現代の部分、四人組失脚以降の部分は少し別。個々の筆者による分析も書かれてはいますが、評価が定まるには近すぎてなるほどと思わせるには弱い。かえって事実・事例の紹介に終始している章が目立つ印象を受けました。それはそれで読んでいて面白いので、不満はありません。あと第五章近現代中国における交通・通信制度の形成の部分は、統計の数字を羅列が主で、その数字から何が言えるのかという分析の部分が他の章に比較してとても中身が薄い。こんなんだったら、この章を削除して別の章でもっとページ数を増やしたい筆者に譲った方がいい本になったはずと感じました。
「おわりに」の部分で編著者が中国に対する自身の見方と本書の編集方針について述べていて、これもとてもとても興味深く読みました。特に
中国世界では常に経済活動は政治力の利用を伴ってなされてきた。それを、西欧の経済学の教科書のままに、人間社会の経済面と政治面とは論理的にも分離して理解できるし、また現実にもそうすべきであると考えるのは、机上で人間と社会のことを考えている学生か、「理論」を商売道具にしている人々のみ、なしうることである。
という見解が披露されていることに感心しました。こういう見解が基礎にあればこそ、その先に、中国と西欧の違いが発展段階の差などではなく、世界には複数の違った文化・慣行の社会があって、政治・経済もそれから説いてゆく学問の発展が期待できるのでしょう。ほんとにとても刺激的な「教科書」でした。
本書にも誤変換によるミスが散見されます。多くは容易に本来あるべきだった表現が推測できるのですが、123ページの後ろから2行目の「それぞれ後等」は何の誤植なんでしょうか?「それぞれのちとう」→「それぞれの地方」かな。

2012年7月27日金曜日

レパードからライオンでプレビューに仕様の変更


OS Xに付属のアプリケーションにプレビューがあります。無料でプレインストールされてくるアプリケーションとしてはなかなかの優れもので便利につかっていました。レパードのMacBook ProからライオンのrMBPに乗り換えてみて、このプレビューの挙動が変化していたので驚きました。具体的には、WindowsのPCからもってきたbitmap画像をKeynoteに取り込む際のことです。
  • .bmpのファイルをプレビューで開いて、必要な範囲を選択してコピーし、Keynoteにペーストすると、droppedImage.tiffという名前のオブジェクトが出現するのですが、こいつは中身のイメージがないし、操作も不能です。
  • .bmpのファイルをプレビューで開いて、必要な範囲を選択してコピーし、プレビューのクリップボードから新規作成というコマンドをつかうと、灰色のバックだけのウィンドウが出現するだけです。
  • .bmpのファイルをプレビューで開いて、フォーマットをJEPGにして書き出します。その書き出したファイルをプレビューで開いてから、上記2つの操作をすると意図したとおりの動きを見せてくれました。
  • ファイルをセーブするコマンドは「保存」「別名で保存」の二つだったと思うのですが、「別名で保存」は「書き出す」になったようです

.bmpファイルの扱いが変わったのはいつのことなんでしょう?スノレパからかライオンからなのか?一足飛びにレパからライオンに来ちゃったので、変化の時期は不明です。また仕様が変更された理由はなぜなんでしょう?きっと何か必要があって変更されたんでしょうが、こういう基本的なアプリケーションだけにとてもとまどいました。



一昨日からMountain Lionが解禁になりました。このrMBPもUp-to-Dateプログラムの対象ですから無料でアップグレードできるわけですが、こういうAppleさんの姿勢をみると、すぐにとびつく記にはなりませんね。8月24日までと猶予がありますから、まずはネットでMountain Lionの評判を見定めようと思います。

2012年7月24日火曜日

rMBP買いました


iPhoneの故障で6月24日にApple Store銀座に行きました。修理に加えて、もしかしたらrerina MacBook Proの在庫がないかなと期待して行ったのですが、残念ながら無いとのことでした。帰り道にいろいろ考えて、帰宅してからOnline Storeの方でrMBP(2.6GHzクアッドコアIntel Core i7、RAM 16GB、 SSD 512GB)をポチりました。いっしょに、Time CapsuleとrMBPをつなげるためのアダプタとApple Careもオーダーしました。6月24日のオーダーなのに、出荷予定日は3-4週後、お届け予定日は7月21日ー27日となっていました。iPhoneにしてもiPadにしても、最近買ったApple製品はどれも長いこと待たされています。
新しいrMBPを待っている最中の7月10日、MBPのキーボードの右下の方に少しだけコーヒーをこぼしてしまいました。素早く拭き取ったつもりだったのですが、キーの隙間に入り込んだコーヒーもわずかにあったようです。その後、上向きカーソルキーが効かなくなってしまいました。5年弱つかってきて、コーヒーをこぼしたことなんて初めての経験です。新しいMacを買おうとすると、これまでおなじみだったMacが嫉妬するという都市伝説を身をもって理解させられた気分です、
ようやく、7月20日に出荷のメールが届き、7月23日にクロネコヤマトの人が運んで来てくれました。まだほんのわずかな時間しか触れていませんが、Retina Displayはとってもいいですね。そのほか、気付いたこと・感想を書いてみます。

  • 商品の外観を印刷した白いボックスと、中の黒いプラスチックの保護材は、このところApple製品に共通するおもてなし
  • 一緒にオーダーしたApple Thunderbolt - ギガビットEthernetアダプタは、rMBPのボックの中に入れられて届いた
  • パームレスト手前のエッジの鋭さがなくなって、手掌の付け根があたって痛く感じることが無くなった
  • 起動時に移行アシスタントを機能させることができなかった(移行元のMacやHDDを検出できないと文句をつけられ、対処法が分かりませんでした)
  • 起動後に移行アシスタントを実施できた。Apple Thunderbolt - ギガビットEthernetアダプタをつかってrMBPとTime Capsuleをつないだところ、接続してあるLANケーブルは熱くならないのに、アダプタは体温よりかなり熱くなった
  • Time Machineの初回のバックアップは、有線でも4時間ほどかかった
  • 1.45GBもあるソフトウエアアップデート、iPhotoとiMovieのアップデートがあって、かなり時間がかかった
  • retina displayは白くて美しい、Safariの文字がくっきり
  • Pagesは近くで見るとギザギザ文字(うちのPagesが08)。ところがPagesの書類の内容をファインダがプレビューで見せてくれるものは、プレビューで文書の内容を読み取れてしまうくらいに精細
  • 今までのMBPのOSはレパードで、スノレパの経験はなく、ライオンは初対面。トラックパッドの指を動かしてのスクロールの方向が逆になってとまどう。まだ画面を見て確認しながらスクロールしてます
  • ドックに並べてあったExcellのアイコンに雲がかけられていた。PowerPCアプリだからもう使えないのだとか。さすがにOffice 2003はもう古すぎるのかな

2012年7月21日土曜日

飛鳥の木簡


市大樹著
中公新書2168
2012年6月25日発行
本書でも触れられていますが、木簡が郡評論争に決着をつけたことは有名です。そこまでのインパクトはないのかもしれませんが、国郡里制はそれ以前に国・評・五十戸制と書かれていたことや、庸の前身が養と呼ばれ、都で働かされる仕丁は地元から送られた養米を食べていたことなど本書を読んで初めて知りました。出土した木簡の読みや、その内容から出土地点にあった施設や藤原京の役所や住宅を推定するこころみなど、まあまあ面白く読めました。
七世紀末から八世紀末が日本史上、最もたくさん木簡の使われた時代で、天武朝を出発点とするこの一世紀は木簡の世紀とも呼べるのだそうです。以前読んだ木簡による日本語書記史【2011増訂版】にも触れられていましたが、本書でもこの七世紀の日本の木簡をみていくと、朝鮮半島からの強い影響を認めることができることが述べられていました。この時期の日本は律令制の確立に努力していて、ついつい中国から直接学んだのだろうと思ってしまいがちですが、朝鮮半島の意味は大きかったわけですね。

2012年7月19日木曜日

トーラーの名において

ヤコヴ・M・ラブキン著
菅野賢治訳
平凡社
2011年4月28日 初版第2刷発行
イスラエルには、このカバーの写真の左側の男性のように、長いひげと白黒の衣服と黒い帽子をまとったユダヤ教徒がいて、イスラエル軍の兵士として参戦することがなく、その言動が異端視されているというようなことをどこかで見聞きしたことがあります。ユダヤ教の国であるイスラエルで、熱心なユダヤ教徒がかえって異端視されるなんて不思議だとは感じましたが、日本にも熱心すぎる信仰から事件を起こした人たちもいましたから、そんなものなのかな程度に思って追求したことはありませんでした。しかし本書の中で、敬虔なユダヤ教徒で歴史学者でもある著者は、
ユダヤ教とシオニズムのあいだ、ユダヤ人(教徒)とイスラエル人のあいだで決して混同を起こしてはならないのだということ、そして、イスラエル国を批判し、シオニズムを棄却することは、決して「反ユダヤ主義」の名に値する行為ではないのだということ
を繰り返し繰り返し、門外漢の私にも分かるように説明してくれています。さらに、古代のイスラエルの地に移住して自分たちの国をつくろうというシオニズムの主張を、民族自決の時代にあっては当然の希望の表明だったろうと私は感じていたのですが、本書は
ユダヤ教の伝統において、<イスラエルの地>の獲得は、軍事力や外交活動の成果としてではなく、人間の善行が普遍的な水準で効果を発揮した結果、メシア主義的計画の一環としてなされるべきものである。かつて武力行使によってなされた二度の獲得(ヨシュアによるものと、バビロニアからの帰還後に行われたもの)とは異なり、真の獲得は、それが神の手でじかに行われるゆえに永遠のものとなるタルムードにおいて、個人の水準におけるイスラエル移住の権利が云々されるのみならず、集団としてそこに居を移すことに対する禁忌のコンセンサスが打ち立てられている
と指摘し、それが正当なユダヤ教信仰ではタブー視されていたことだったのだと教えてくれます。第二神殿の破壊以降2000年近くもの間、ユダヤ人がディアスポラの生活を受容し続けていたのはそのためだったわけですね。ともかく、ユダヤ教の信仰とシオニズムとはまったくの別物で、ユダヤ教徒にとってシオニズムとその産物であるイスラエル国は放置できない問題なのだそうです。
19世紀、世俗化の波の中でユダヤ教徒の中にもトーラーの教えから離れ、周囲の社会に受け入れられることを望む人たちがいましたが、東ヨーロッパでは反ユダヤ主義もあってその望みはかないませでんした。彼らの中でも、特にロシアのユダヤ人には、イディッシュ語という共通の言語の存在とロシア帝国のユダヤ人集住政策とにより、民族的な特徴と民族感情が醸成されてゆきました。シオニズム運動はこれらロシア・ユダヤ人が強固な中核を構成してゆくことなりました。 イスラエル建国後にも、西側諸国からの移民をひきつけることができず、ロシア(ソ連)からの移民に依存していたこともあり、 シオニズムはロシア的現象という面を強く持っています。例えば、シオニストは、ユダヤの民全体を代表しているという意識、ボルシェビキでいえば前衛にあたる意識をもって活動していました。しかし本書は
トーラーは以下の二つを義務として課しているというのだ。第一に、神の名に対する冒瀆をやめさせること。イスラエル国が、往々にして、地球上のすべてのユダヤ人の名において、あるいはユダヤ教そのものの名において行動しているという自負を表明するのに対し、シオニズム批判のユダヤ教徒たちの側では、その種の自負を不正とみなしているのだということを、一般の人びと、とりわけユダヤ教徒ではない人々に対して説明する義務があると感じているのだ。第二の義務は、人間の生命を平らかならしめよ、という掟に由来する。ユダヤ教の立場からシオニズムを拒否する姿勢を鮮明にすることで、彼らは、イスラエル国が他の諸民族のあいだにかき立てているーーと彼らの目には映るーー激しい憎悪からユダヤ教徒の集団を守ろうとする。このままでは、イスラエル政治とその帰結をめぐって世界中のユダヤ教徒が人質に取られかねない、と警告を発しているのだ。彼らの主張によれば、現在のイスラエル国は「ユダヤ国家」でも「ヘブライ国家」でもなく、はっきりと「シオニスト国家」として認識されるべきであるということになる
と、イスラエル国はシオニストの国家であり、ユダヤ人全体を代表するものではない旨を述べています。避難所としての意味を持つイスラエル国の建国を、ショアを経験した世界は受け入れましたが、その後の経過を見ると戦争に次ぐ戦争で、特にパレスチナ人の扱いに関しては
地球上のいたるところで脱植民地のプロセスが始まったまさにちょうどその頃に創設された世界最後の植民地国家
とみなされてしかるべき行動をとってきました。そのため、
反シオニストのラビたちは、シオニズム批判を圧殺する方向に機能している現今の「ポリティカル・コレクトネス(政治的公正)」が、いつの日か解消した暁に、世界中のユダヤ人(教徒)が一転して西洋人たちからの強い非難にさらされることになるのではないか 
ショアーに関する西洋の罪悪感が、いつの日か、ツァハル(イスラエル国防軍)の軍事行動に対する批判意識と釣り合ってしまうであろう瞬間、今度はイスラエルに起因する暴力によって呼び覚まされた諸国民の怒りが全ユダヤ人(教徒)の頭上で猛り狂うことになるのではないか
と懸念しているのだそうです。いまや、イスラエル国はイスラエル国内のユダヤ人の安全を確保できないばかりか、ディアスポラのユダヤ人にもテロというかたちでの危険をもたらす、紛争の種になってしまっているのとか。これは私でも以前からそう感じているくらいですから、当事者のイスラエル国民やユダヤ人にとっては切実なはずです。実際、イスラエルに住む一般の人の中にもこういった状態を自覚しつつある人が増えてきていて、
今のままの状態でイスラエル国を維持することが、伝統的なユダヤ教の道徳とは相容れない価値の尺度を要するものであることに気づいている人々もいる。こうしたユダヤ人ーーこれまで度重なるイスラエルの戦争を経験してきた古参兵であることが多いーーは、ある種の恐怖感に囚われている。それは、いうなれば、自分たちの力ではもはやどうにも制御できなくなっている状況に人質として捕らわれてしまったような気持ちである。彼らは、彼ら本来の誠実さの感情に合致するものとして、平和的な出口を探し求めている。そして、そのような出口が見出せないことの絶望感から、ようやく、一世紀以上も前から提起されている議論ーーすなわち、シオニズムとイスラエル国がユダヤ人にとっていかに危険なものであり得るかという、ユダヤ教・反シオニズムの陣営から提起されている議論ーーにも耳を貸してみようかという気持ちになっている
のだそうです。ユダヤ教徒たちは、世界の人々、パレスチナやアラブの人々との連携も模索しながら、
シオニスト国家としてのイスラエル国も、かのソ連とまったく同じように、犠牲者を出さずに地図上から姿を消すことができるのではないか
という期待も持ちながら、イスラエル国の平和裏の退場を祈っているとのことです。本書をごく大雑把にまとめると上記のような内容ですが、これに加えてシオニズムの歴史、ユダヤ教の教義の説明やユダヤ教信仰からのシオニズム批判なども載せられていました。ユダヤ教という縁の遠い世界の話ではありますが、しっかり注も付けられていて分かりやく説明されていますから、本書を読むとユダヤ教・反シオニズムの陣営を100%正しいと判断したくなってしまう感じです。とはいっても、いくつか疑問に感じる点がないわけではありません。
ユダヤ教・反シオニズムの陣営に属する人の数、シオニズムを信奉する人の数、どちらにも与しない人の数、比率はそれぞれどのくらいなのか?イスラエル国の中での数、イスラエル国外のユダヤ人の中での数はそれぞれどうか?本書を読んでいると、著者の主張の真っ当さから著者と同じ意見の人がたくさんいてもおかしくないように感じてしまいますが、実際には少数派のようです。どの程度の少数派なのかを知りたいところ。
イスラエル国の中にユダヤ教・反シオニズムの陣営に属する信者が少なからず居住しているのはなぜなのでしょう?イスラエルの地への移住は教義に反するタブーだと言うことですから、敬虔な信者やラビなら移住しなかったはず。イスラエルの建国前から住んでいた人やその子孫なのか、イスラエルに移住した世俗的なユダヤ人の子孫で信仰に目覚めた人なのでしょうか?
イスラエルも建国後60年以上が経過しました。イスラエル国民として人生の大部分を過ごした人や、イスラエル国民として生まれ育った人たちの中には、ユダヤ教とは無縁なかたちでの、新たなイスラエル国民意識が生まれてはいないのでしょうか?その国を、ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人・パレスチナ人双方にとっての世俗的で民主的な国家と変えてゆく動きは期待できないのでしょうか?
ディアスポラの地のユダヤ人は今後どうなってゆくのでしょう。19世紀以来、先進諸国でみられる非宗教化・世俗化一般がディアスポラのユダヤ人にも無縁ではなく、やがて彼らのほとんどがユダヤ人であることを止めてしまうことになるのでしょうか?本書には「ディアスポラの地のほとんどのユダヤ人たちにおいて、みずからの身にユダヤ・アイデンティティーをつなぎ止める最後の絆が、ユダヤの宗教からイスラエル国への忠誠心に置き換わってすでに久しい」とありました。いまでもイスラエルに対して海外から寄せられる支援には、シオニズムを必要悪として受け止めたうえで、自分がユダヤ人であることを確認する目的もこめられているのでしょうね。

2012年7月14日土曜日

宣旨試論


早川庄八著
岩波書店
一九九〇年四月二六日 第一刷発行
「宣旨」ということばは、私のような素人でもまれならず目にしたことのある歴史用語で、天皇の意向・命令を伝達する文書を意味するものだと理解していました。しかし、著者は本書の中で奈良時代以来の初期の宣旨の例を多数示し、宣旨の最大公約数的な共通点が「上級者の命令を、それを受けた下級者が書き留めた書類」であったこと、つまり公式令の文書体系に属すものではなく、律令制導入以前から続く音声による口頭伝達から生まれた書き記されたメモだったことを明らかにしてくれています。そういう性質の文書ですから、「その命令をさらに第三者に伝えるか否か、第三者に働きかけるか否かは、命令の内容によ」っていて、必ずしも他者への伝達を目的ともしていなかったわけです。
上級者というのは必ずしも天皇に限られるわけではなく、ある役所の中での上司から下僚への命令が宣旨書きというメモとして残されることもあったそうです。そして、さらに第三者に働きかけることが必要な際には口頭で知らせるか、あるいは別に文書を作成して伝達されました。この際に用いられる文書は、例えば弁官なら太政官符・牒ということになります。しかし太政官符・牒の発行には公印を捺す手続きが必要だったりして煩雑なので、次第にメモ程度の文書だった宣旨書きを伝達相手に回覧したり、交付したりするようになっていったのだそうです。その後、この宣旨の頻繁に使用される用途が天皇の意向・命令の伝達に固定していって、中世にはそういう文書として認識されるようになったもののようで、しかも著者によると日本の「これまでの古文書学の担い手は中世史研究者であった」ことから、宣旨といえば天皇の意向・命令を伝達する文書となってしまったということです。
上級者の意向・命令を伝達する文書という点で、中世の宣旨と機能が似ている文書に奉書・御教書というものがあります。この両者の違いは「奉書・御教書は上級者の意思・命令を他者に対して伝達することを目的として下級者が作成する文書である。それゆえ奉書・御教書はかならず他者に対して発給され」、奉書・御教書の作成者は真の受命者ではないのに対し「宣旨は、受命者自身が書き記したものである。上級者の命令を奉った者が真の受命者である」という点だと明解に説明されていました。
本書には、<付説>奉書の起源についてという論が載せられていて、奈良時代に奉書の定義に合致する史料があることが紹介されていました。たしかにそうなのですが、「奉書の起源について」というタイトルからは、この奈良時代の文書が後世の奉書の起源だと主張しているように感じてしまいます。しかし、その後の変遷については触れられていないので、奉書の様式をもつ奈良時代の文書が、平安時代中期以降以降の奉書・御教書に直接つながるものなのかどうかはよく分かりませんでした。
本書は岩波書店から箱入りで発行され、いかにも専門書然としています。こういう箱入りの本はステータスが高いのでしょうから、著者の方にとってはいいのかも知れません。しかしこの体裁で書店に並べられてしまうと、ふつうの読者が手にする機会はまずないだろうことが残念です。私は保立道久さんのブログの日本史研究の名著30冊。アエラにのせたものというエントリーで紹介されていたのをみて、幸いにも読む機会を持つことができましたが。既存の定説と著者の主張の違い、宣旨の変化と日本の律令制の変容との関連をきちんと跡づけて説明するストーリー展開、ともにすっきりはっきりしていて、非専門家の私でもなんとかついていけたし、面白く読める本でした。本書は1990年発行と20年以上前のことですから、きっと専門家の間ではすでに本書の主張に対する評価は定まっているのでしょう。でも、門外漢の私にはどんな評価がされているのかわからないのが残念です。
宣旨というそれなりにポピュラーなテーマ、著者の主張を裏付ける史料の数々、すっきりした結論と3拍子揃っているのですから、史料の例数をずっと減らし、史料にはすべて読み下し文を付し、太政官・外記局・弁官・検非違使など宣旨の背景にある基礎知識の説明を加えれば、選書として充分売れるものになると思うのですが。著者がお亡くなりになっていて、そんな要望も実現しないことが残念です。

2012年7月1日日曜日

現代中国の政治

唐亮著
岩波新書(新赤版)1371
2012年6月20日 第1刷発行
改革開放路線下の中華人民共和国の政治体制を開発独裁と位置づけ、その制度、中国共産党と政府の関係、中国流の「民主化」をめざした政治改革などについて概説してくれている本でした。中国を開発独裁とする本書の捉え方に私も賛成です。文革後の中国の指導者がこの路線を選択したことは賢明でした。中国がこの路線によって安定した政治と成長する経済を両立させることに成功したおかげで、日本も対中投資や貿易などの利益はもちろんのこと、北朝鮮や一時のソ連・ロシアのような不安定な大きな隣国と付き合わずに済む恩恵を享受できたのだと思います。
今後の中国は、経済成長に伴う中間層の増加、インターネットの普及による情報統制の困難などからさらなる民主化を進める必要に迫られてくるのだと思います。中国在住の民主化を求める人々には申し訳ありませんが、対岸に住む日本人の私としては、激変ではなく軟着陸を果たしてくれることの方が望ましい未来だと感じてしまいます。政府の力が強くて企業にも恣意的な規制を行えるような段階でしょうから、経済的な力を持つ層と政治力をもつ層が完全に一体化して権力を握って離さないような状況になってもらっても困りますが。
本書の内容とは直接関連しませんが、読みながら疑問に感じたこと。

  • 中国の指導者はどうやって選抜されるのか、何を目的に共産党に入党して指導者を目指すのか、いまでもマルクス主義が教えられているようですが社会主義についてどんな感想を持った人々なのか?太子党なんて揶揄する人もいますが、鳩山、麻生、福田、小泉と近年の日本の首相だって太子党です。親の地位・資産・教育程度と子のそれとが相関しているのは、先進国でもそうですよね。
  • いまでも政治協商会議とか、民主諸党派ってあるんですね。民主諸党派の人というのは、やはり共産党からの指令でお仕事として民主諸党派に所属して活動しているんでしょうか?
  • 中国の指導者は、資源問題、地球温暖化、また一人っ子政策を続けたことによる近い将来の急速な高齢化についてはどう考えているのでしょう。これらが原因で順調な経済成長が望めなくなったりすると、国内に都市と農村の大きな貧富の格差を抱えることが火だねとなりそうで怖ろしい。