2012年7月31日火曜日

古典籍が語る 書物の文化史

山本信吉著
八木書店
2004年11月25日 初版発行
「語ってくれる」のは、主に冷泉家時雨亭文庫の古典籍と寺院に伝えられた仏典でした。本書の前半では、書誌学の知識が冷泉家時雨亭文庫に伝わった本を例に分かりやすく解説されています。例えば、この文庫には定家の著書や定家が書写・校訂に関わった本、いわゆる定家本が多数収められていますが、そういった定家本が自筆本、書写本、合筆本、書写奥書本、校訂本、加筆本、外題本と分類できることなどなど興味深く読めました。定家さんは歌道の家を確立した立派な人です、でも、政治の分野での家の確立にも色気があった人だし、明月記という自筆の日記史料が残っているし、ドラマや文学作品の主人公としてもっと取りあげられてもいい気もしますね。評論には堀田善衛さんの定家明月記私抄がすでにありますけどね。
巻子装本が公的性格を持った本であると書いた史料は別にない。ただ、永い間、数多くの貴重な古典籍を拝見しているなかで、自ずから特定の目的を持って書写された本は巻子装本となっている場合が多いと理解している。
奈良・平安時代の古写本、とくに古写経を修理するにさいして、披見の便を計って巻子装本から折本装本に改装することが行われた。
転読に便利なように、修理にさいして、折本装への改装が盛んに行われた。
ステータスとしては古くからある巻子装本が一番上だが、中身を見る点では折装本の方が便利。それはよく分かるのですが、転読の流行と関係があって巻子装本から折本装本に改装されたという理屈がよく分かりませんでした。というのも本書の中では「経文の全文を読み上げるのを真読というのに対し、経の題名だけを読む略式の読み方を転読と呼んだ」と説明されていたからです。でも転読をぐぐってみると「法会において、経の題名と初・ 中・終の数行を読み、経巻を繰って全体を読んだことにする読み方」と説明されているサイトがあって納得できました。お経のまん中のあたりや終わりの部分を音読するには、たしかに折り本の方が便利ですよね。
鎌倉時代後期以降、仏書あるいは仮名文学の注釈書などに袋綴装本が出現してくるのは、こうした薄手楮紙の普及と密接な関連がある。こうした傾向は室町時代中期に流し漉きによる製紙法が普及し、美濃紙と呼ばれる薄手で強靱な楮紙が全国的に流通するようになると、袋綴装は軽量で、丈夫で取り扱いやすく、しかも姿が整った装幀法として日常的にもちいられることとなった。
こういう、本の装丁の歴史と、本に使用された紙の歴史とが関連しているという説明も勉強になります。また、仏典の部分では、東寺、醍醐寺に残る宋版一切経や、興福寺に残されている主に鎌倉・室町時代に印刷された春日版の版木の調査のことが書かれていました。宋版一切経は、始めのうち王室もお金を出していたそうですが、その後に破損した版木を修理したり新調する資金は一般人が功徳を得るために寄付していて、寄付の目的や寄付者の名前が印刷されました。日本人留学僧の名前が印刷されたページもあることが図版とともに紹介されていて、驚きました。
我が国に漢籍の古本、ことに中国でつとに亡佚した稀覯本の古逸書が多数伝存した理由は一様でないが、日本では王朝の交代がなく、したがって大戦乱が少なかったことが第一の原因であろう。また中国では唐・宋代にしばしば典籍の内容が改編、補訂され、あるいは宋代に入って印刷技術が発達し、本文が校訂された良質の版本が普及すると、旧態の典籍が利用されなくなり、次第に逸失したが、我が国では博士家などの学問の世襲化も一因となって古伝本がそのままに尊重された。
宋・元版、あるいは高麗版一切経は東洋文化史上の遺産として重要な文化財であるが、出版当時の遺品はそれを生み出した彼地にはほとんど伝存せず、我が国の寺院にまとまった遺例が比較的多数現存しているのが特徴である。
日本には古いモノが数多く残っているという意味の記述は、他の歴史関係の書物でもしばしば目にします。著者の指摘するように、大戦乱が少なかったこともたしかに一因でしょう。でも、利用されなくなった「旧態の典籍」を捨てずに大事に取っておく行動様式や「博士家などの学問の世襲化」といったような過去の「日本人」の特質とされているようなことも原因なのだろうと感じます。日本人論などでよくいわれるこの種の「日本人の特質」を具体的に証明することはきわめて困難だと思うのですが、もし他国との文化財の残存状況の差を示す資料があるのなら、それを明かす貴重なエビデンスになってくれるんじゃないかと思うので、見てみたい気がします。

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