浅野亮、川井悟編著
ミネルヴァ書房
2012年7月10日 初版第1刷発行
本書の各章末には参考文献のリストと並んで発展問題というのが付されています。「はじめに」で本書がテキストとして書かれたことが紹介されていますが、日本の教科書もこういう体裁のものが増えてきているんでしょうか。というより、本書が一風変わった教科書だからかな。400頁以上もある本ですが、単に細かな事実関係を求めて読むものではないと感じました。 中国の政治の見方・考え方、研究史の紹介、研究史を追うための参考文献のリスト、それら文献の正挌・位置づけなどについての紹介がある点が本書の特長です。例えば清・中華民国・中華人民共和国についての
- これまで三者は断絶関係にあるとされてきたが、連続性や共通の部分が大きいと解釈が変わってきた
- 「中華民族の偉大な復興」という公式スローガンは、清末、中華民国、中華人民共和国が連続しているという前提の上に成り立っている。つまり、三者の連続性イメージは、改革開放以後の「中国の台頭」期を正当化する役割があったといっても否定はできない
という指摘や
- 中国近現代史の研究では、政治革命と社会革命を特に区別する必要があると言われている
- 21世紀初頭の時点で考えると、中国革命における社会主義イデオロギーの採用は、世界規模のプロレタリア革命の実現ではなく、中国という国家の復興を究極的な目標にしていたといえる
また、現状、一つの国家としての中国を説明することには限界があって、
- ソ連の崩壊が示したように、国民、領土、排他的主権という古典的な国民国家という概念自体がかりそめのもので、不安定と考えられるからである
という指摘など、とても勉強になりました。清・中華民国・中華人民共和国の断絶から連続への認識変化は、 激変に思えていた変革・革命も時間がたつにつれそれほどでもなかったと認識されてくるという点で、 例えば日本経済について、以前は明治維新の前後の断絶が強調されていたものが、明治維新が遠くなるにつれ、江戸時代からの連続が強調されるようになったような事情と似ていると感じました。また、読んでいて勝手に気になった点として例えば、
- 中国近代史に日本の及ぼした影響は大きいのですが、中華民国の統治が安定せず中華人民共和国に取って代わられた原因はひとえに日本の侵略にあった、逆に言えば盧溝橋事件以後の日本による干渉がなければ中華民国が連続していたと思うのですが、このへんはどうとらえられているのか?
- 大躍進で多数の飢餓による死者が発生したといわれています。日中戦争による死傷者(軍人民間人あわせて)、清朝期の災害や太平天国の乱による死傷者などと比較すると、どの程度のものなのでしょう?
などなど、新たな疑問を与えてくれる本で、本書の近代の部分はとても勉強になります。対して現代の部分、四人組失脚以降の部分は少し別。個々の筆者による分析も書かれてはいますが、評価が定まるには近すぎてなるほどと思わせるには弱い。かえって事実・事例の紹介に終始している章が目立つ印象を受けました。それはそれで読んでいて面白いので、不満はありません。あと第五章近現代中国における交通・通信制度の形成の部分は、統計の数字を羅列が主で、その数字から何が言えるのかという分析の部分が他の章に比較してとても中身が薄い。こんなんだったら、この章を削除して別の章でもっとページ数を増やしたい筆者に譲った方がいい本になったはずと感じました。
「おわりに」の部分で編著者が中国に対する自身の見方と本書の編集方針について述べていて、これもとてもとても興味深く読みました。特に
中国世界では常に経済活動は政治力の利用を伴ってなされてきた。それを、西欧の経済学の教科書のままに、人間社会の経済面と政治面とは論理的にも分離して理解できるし、また現実にもそうすべきであると考えるのは、机上で人間と社会のことを考えている学生か、「理論」を商売道具にしている人々のみ、なしうることである。
という見解が披露されていることに感心しました。こういう見解が基礎にあればこそ、その先に、中国と西欧の違いが発展段階の差などではなく、世界には複数の違った文化・慣行の社会があって、政治・経済もそれから説いてゆく学問の発展が期待できるのでしょう。ほんとにとても刺激的な「教科書」でした。
本書にも誤変換によるミスが散見されます。多くは容易に本来あるべきだった表現が推測できるのですが、123ページの後ろから2行目の「それぞれ後等」は何の誤植なんでしょうか?「それぞれのちとう」→「それぞれの地方」かな。
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