2012年7月14日土曜日

宣旨試論


早川庄八著
岩波書店
一九九〇年四月二六日 第一刷発行
「宣旨」ということばは、私のような素人でもまれならず目にしたことのある歴史用語で、天皇の意向・命令を伝達する文書を意味するものだと理解していました。しかし、著者は本書の中で奈良時代以来の初期の宣旨の例を多数示し、宣旨の最大公約数的な共通点が「上級者の命令を、それを受けた下級者が書き留めた書類」であったこと、つまり公式令の文書体系に属すものではなく、律令制導入以前から続く音声による口頭伝達から生まれた書き記されたメモだったことを明らかにしてくれています。そういう性質の文書ですから、「その命令をさらに第三者に伝えるか否か、第三者に働きかけるか否かは、命令の内容によ」っていて、必ずしも他者への伝達を目的ともしていなかったわけです。
上級者というのは必ずしも天皇に限られるわけではなく、ある役所の中での上司から下僚への命令が宣旨書きというメモとして残されることもあったそうです。そして、さらに第三者に働きかけることが必要な際には口頭で知らせるか、あるいは別に文書を作成して伝達されました。この際に用いられる文書は、例えば弁官なら太政官符・牒ということになります。しかし太政官符・牒の発行には公印を捺す手続きが必要だったりして煩雑なので、次第にメモ程度の文書だった宣旨書きを伝達相手に回覧したり、交付したりするようになっていったのだそうです。その後、この宣旨の頻繁に使用される用途が天皇の意向・命令の伝達に固定していって、中世にはそういう文書として認識されるようになったもののようで、しかも著者によると日本の「これまでの古文書学の担い手は中世史研究者であった」ことから、宣旨といえば天皇の意向・命令を伝達する文書となってしまったということです。
上級者の意向・命令を伝達する文書という点で、中世の宣旨と機能が似ている文書に奉書・御教書というものがあります。この両者の違いは「奉書・御教書は上級者の意思・命令を他者に対して伝達することを目的として下級者が作成する文書である。それゆえ奉書・御教書はかならず他者に対して発給され」、奉書・御教書の作成者は真の受命者ではないのに対し「宣旨は、受命者自身が書き記したものである。上級者の命令を奉った者が真の受命者である」という点だと明解に説明されていました。
本書には、<付説>奉書の起源についてという論が載せられていて、奈良時代に奉書の定義に合致する史料があることが紹介されていました。たしかにそうなのですが、「奉書の起源について」というタイトルからは、この奈良時代の文書が後世の奉書の起源だと主張しているように感じてしまいます。しかし、その後の変遷については触れられていないので、奉書の様式をもつ奈良時代の文書が、平安時代中期以降以降の奉書・御教書に直接つながるものなのかどうかはよく分かりませんでした。
本書は岩波書店から箱入りで発行され、いかにも専門書然としています。こういう箱入りの本はステータスが高いのでしょうから、著者の方にとってはいいのかも知れません。しかしこの体裁で書店に並べられてしまうと、ふつうの読者が手にする機会はまずないだろうことが残念です。私は保立道久さんのブログの日本史研究の名著30冊。アエラにのせたものというエントリーで紹介されていたのをみて、幸いにも読む機会を持つことができましたが。既存の定説と著者の主張の違い、宣旨の変化と日本の律令制の変容との関連をきちんと跡づけて説明するストーリー展開、ともにすっきりはっきりしていて、非専門家の私でもなんとかついていけたし、面白く読める本でした。本書は1990年発行と20年以上前のことですから、きっと専門家の間ではすでに本書の主張に対する評価は定まっているのでしょう。でも、門外漢の私にはどんな評価がされているのかわからないのが残念です。
宣旨というそれなりにポピュラーなテーマ、著者の主張を裏付ける史料の数々、すっきりした結論と3拍子揃っているのですから、史料の例数をずっと減らし、史料にはすべて読み下し文を付し、太政官・外記局・弁官・検非違使など宣旨の背景にある基礎知識の説明を加えれば、選書として充分売れるものになると思うのですが。著者がお亡くなりになっていて、そんな要望も実現しないことが残念です。

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