2008年5月2日金曜日
中国的天空 下
中山雅洋著 大日本絵画
本体4500円 2008年4月発行
1月に読んだ中国的天空の下巻として出版されました。フライングタイガースの名前は有名なので知っていましたが、実態がどんなものか知らなかったので、読んでみました。
上巻は零戦の搭乗で中国空軍が壊滅状態になったところで終わっていました。その対策として、蒋介石はアメリカで傭兵を募ることをシェンノート(陳納徳)に依頼しました。これがフライングタイガース(飛虎隊)です。 彼ら自身はAVG(American Volunteer Group)と呼称していたそうです。1940年10月に編成が開始され、1941年12月のビルマ戦から戦闘に従事したそうです。
陳納徳はP-40という戦闘機の特性を活かして、格闘戦ではなく2機でロッテを組み一撃離脱戦法を徹底するように指導しました。この結果、フライングタイガースは中国で赫々たる戦果を挙げたと喧伝されていますが、実態としては日本陸軍航空隊といい勝負だったようです。
AVGは1942年7月には解散してアメリカ空軍が派遣され、またインドで養成された中国人飛行士をもとにした中国空軍が復活して、その後の空の戦いを続けました。そして、1943年には中国戦線でも航空戦で日本が不利になり、敗戦に。
敗戦後に中国に残って医療活動に従事した医師や看護婦のことは、身近に体験者がいるので知っていましたが、満州にいた航空部隊が1946年春から紅軍の航空部隊の創設に従事したエピソードもあったそうで、興味深く読めました。どちらの活動に従事した人の中にも日中友好協会に参加している人がいるなど、帰国後の対中感情は悪くないようです。
この点、シベリア抑留とは対照的で、中国の人は人材活用法をよくわきまえているというべきなのでしょうね。今、日本にも外国から働きに来ている人がたくさんいます。住み着くつもりの人は別として、出稼ぎの人が帰国した後に日本を好きになってくれるかというと、なかなか難しいと思われ、この点では中国の人に学ぶ点がありそうです。
著者はパイロットの資格を持つ医師だそうです。この本を書くには日米中の史料あさりと、読みこなしてまとめる膨大な作業が必要だったろうと思います。本業の傍ら、こういった労作をまとめる努力には本当に感心します。
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