2008年12月29日月曜日

武士はなぜ歌を詠むか


小川 剛生著 角川叢書40
2008年7月発行 本体2600円

鎌倉将軍から戦国大名までというサブタイトルがついています。武士はなぜ歌を詠むのか、文学として歌を詠むということよりも、歌は人とのお付き合いに必要な道具だったということのようです。国文学の方が書いた本ですが、面白く読めました。

第一章の鎌倉幕府の将軍としては、頼朝はじめ源氏の三代についても触れられていますが、主には親王将軍宗尊が扱われています。京から迎えられ、鎌倉の御所で成長し、やがて歌会を頻繁に開いて鎌倉歌壇の主となりました。しかし、得宗一門や得宗に近い人はそのメンバーではなく、京都からの廷臣に加え、武士としては非主流の人たちが集まる場となったそうです。宗尊将軍自身が得宗に対する反逆を考えたことなどなかったのでしょうが、人の集まりの中心になったのは確かで、これが廃立追放の原因だろうとのことです。

第二章は足利尊氏とその周辺の人たちが扱われています。天皇主催の和歌御会に招かれた尊氏は出席を固持したそうです。強いての招きに、自作を懐紙にしたためて進めることはしましたが、出席は一度もしなかったとか。著者は、厳格な故実・約束事のある「公家の世界に立ち入る勇気が無かったとしても不思議ではない」と書いています。なんか、分かるような気がしますね。生まれ・育ちが全く違う人たちに立ち交わるのって気苦労のみ多そう。そうすると、三代目で生まれつき公家との交際のあった義満にしてようやくそれを克服し、公武合体から簒奪なんてことまで考えられる余裕が生まれたということなのでしょう。

第三章は太田道灌と関東の武士が対象。太田道灌は戦いに明け暮れる名将でしかも土着の人ではなく傭兵のような面を持っているとして、三十年戦争で活躍したヴァレンシュタインと著者は比較しています。ただ、悪名を残したヴァレンシュタインとは違って、道灌は歌詠みとしても上手で、歌会などによって関東の国人たちとのつながりを築くとともに、著明な文化人が訪問して来て記録を残してくれたことで、伝説化されました。

第四章は駿河・甲斐・近江などで「田舎わたらい」を20年以上経験した冷泉為和を中心に、今川氏親・義元、武田晴信などの大名当主やその家臣たちが扱われています。歌道師範としての収入や実際の指導、また外交の仲立ちをしたことなど、この第四章は面白いエピソードがたくさんありました。

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