2008年9月11日木曜日
ペリリュー・沖縄戦記
ユージン・B・スレッジ著
講談社学術文庫1885
2008年8月発行 税込み1470円
アメリカの第一海兵師団に所属し、パラオ諸島のペリリュー島と沖縄で上陸戦闘を経験した一兵士の回想録です。原著は1981年に出版されたものだそうです。今頃になって、そしてなぜ講談社学術文庫として翻訳出版されたのかはよく分かりませんが、好著といっていいと思います。
著者は医者の息子で大学生だったので、2度の戦闘を経た後に他の兵士から、裕福な家の出身だから役に立たないだろうと最初は思っていたと言われています。いいとこのお坊ちゃんだったので、家族は卒業後に技術部門の士官として任官することを希望していました。しかし、戦地に赴く前に戦争が終わってしまうことを危惧(!!)した著者は、在学中に自ら志願して入隊したのでした。日本でもお国のために予科練などに志願した人が少なくなかったのですが、アメリカでも同じような雰囲気があったということで、これも時代がそうさせたんでしょうね。ベトナム戦争の頃とは、全く違います。
原文がそうなのか、訳者がいいのか、とても読みやすい日本語で、アメリカ本土でのブートキャンプでの訓練や、船での移動、ソロモン諸島の基地での訓練、そしてペリリュー島・沖縄での戦いのエピソードがつづられています。興味深く読めました。
どちらの島でも地形を利用して陣地を築いた日本軍が縦深防御体制をとったため、アメリカ軍の進撃、つまり戦線の移動するスピードはゆっくりでした。激戦で危険なため、両軍とも兵士の死体の多くを回収できず、放置せざるを得ない状態が長く続きました。このため、ウジがわき腐敗し腐臭が漂いました。、トイレの場所を確保できないので、排泄物はタコ壺周囲に捨てざるを得なかったので、これも悪臭の元となって、 食欲がわかなかったそうです。戦闘以外のこんなエピソードも戦場の様子をうかがわせてくれます。
アメリカ軍は物量豊富な軍隊というイメージがあります。でも、それが本当にあてはまるのは後方勤務の人たちで、ペリリュー島での海兵隊員の戦闘中の食事や身の回りは、上陸後しばらくは飲み水の確保にも困ったくらいで、決してラクではなかったそうです。もちろん、守備側の日本軍兵士はもっときびしい暮らしだったのでしょうが。
また、著者の所属した中隊は235人がペリリュー島に上陸して、一ヶ月半の戦闘後に無傷で生還できたのは85人しかいませんでした。第一次大戦から経験している古参兵がペリリュー島戦を「最悪の戦闘」と述べたくらいです。ただ、それでもアメリカ兵は生きて還る希望を持ちながら戦えたわけで、その希望もなく戦いを続けた日本軍兵士はどんな気持ちだったか、それを想うと読んでいてつらくなってしまいました。
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