ふつうの電化製品もそうだと思うのですが、アップルの製品には購入後一年間はアップルの製品保証が付いていて、故障しても無償で修理が受けられます。ただ、過去の経験では一年以上経ってから故障することもありました。そんな場合に備えて、 AppleCare があります。AppleCareは、無償修理期間終了後の故障の際にも無料で修理してもらえるサービスで、製品の購入後一年以内に、購入することができます。
むかしはこのAppleCareを購入すると、こんな感じのシールが一緒に送られてきて、製品に貼るようになっていたのでした。PowerBook2400の頃まではこのシールがあったと思うのですが、その後いつのまにか廃止されたようですね。
ノートパソコンの場合、むかしは液晶ディスプレイがとても高価だったので、AppleCareに入っておく方が安心でした。実際、うちのPowerBook 540Cは、ハードディスクと液晶ディスプレイの故障で2回無料修理を受けました。でも、その後に買ったTitanium PowerBook G4は、本体は持ち運び中に落としたことがあるのにまだ完動していて、かえって電源アダプタが2回使えなくなってしまっただけでした。このMacBookProもかなり安定している感じなので、アップル製品も昔より故障しにくくなっているのかも知れません。
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日本植民地研究会編 アテネ社
2008年6月発行 本体3600円
日本植民地研究会の創立20周年を記念して、大会での報告をまとめたものだそうです。日本植民地研究入門っていうタイトルで出版されてもおかしくないような本で、内容はこれまでの研究のレビューで、文献がたくさん紹介されています。これまでに読んだ本の位置の確認や、これから本を買う際にも役立ちそうです。
私も日本の植民地に関する本を30年ほど前から時折読んでいますが、日本帝国主義史研究から帝国史・帝国研究へと、この分野でも大きな変化がありました。それを反映して、第一章は「帝国主義論と植民地研究」、第二章は「ポストコロニアリズムと帝国史研究」となっています。専門の研究者にとっては自明のことでしょうが、この両者の関係ってそれぞれの立場の研究者の関係も含めてかなり微妙そうな雰囲気だろうと素人ながら勝手に思っていたのですが、本書を読んで多少なりとも理解できたた感じです。
ただ、帝国主義論は支配と抵抗がキーワードで、その他に対する目配りが足りなかったと批判されているわけですが、研究の行われた時代背景を考えるとやむを得なかったろうなと私は思います。マルクス主義のことは別にしても、十五年戦争の時代を実際に経験した研究者たちが、敗戦後に大日本帝国による支配について研究し始めたのはしごくまっとうなことでしょう。また、敗戦後に生まれた研究者が、マルクス主義の退潮とポストコロニアリズムを反映して、多様な分野に興味を持つようになったのも自然な流れかと。
第三章から第七章までは、朝鮮・台湾・樺太・南洋・満州に関する研究が地域ごとにまとめられています。千島や小笠原諸島も植民地以外の何者でもないような感じですが、北海道・東京の一部とされていました。内国国植民地は本書の対象外のようです。それと、樺太・南洋に関する章では、研究者の層が薄いことをそれぞれのレビュアーが嘆いていますが、樺太・南洋に関する研究者数が朝鮮や台湾に興味を持つ人の数に匹敵したら、その方がよっぽど変です。
本書とは離れますが、個人的な興味としては、朝鮮では併合・支配に対する抵抗がしっかりあったのに、沖縄の場合には大きな抵抗なく沖縄県になってしまったのはどうしてなのかってあたりも、知りたいところです。琉球王国時代にナショナリズムが育ってなかったからなんでしょうか。あと、アルジェリアやアイルランドと朝鮮とか、スコットランドやウエールズと沖縄とか似てる感じなんでしょうか、この辺も知りたいところです。
今西一編 日本経済評論社
2008年5月発行 本体4200円
世界システムと東アジアというタイトルの本ですが、日本小農論、農村地代、日本の中小工業論、内国植民地、朝鮮近代化論など10人の筆者による論文集です。序章にはちょろっと近代世界システム論に関する言及もあるのですが、その他は近代世界システム論とは全く関係ないものばかりです。シンポジウムにちなんだ出版なので、こうなっているようです。
第1章の黒田明伸の「アジア・アフリカ史発の貨幣経済論」は、彼の他の著作と同じようなことをくり返しているとも言えます。ただ、現在の少額硬貨でも銀行に還流しないものが少なくないことを指摘して過去の時代にはそれがもっと顕著だったろうことを示したり、地下に保蔵された貨幣が還流しない貨幣の一因となっていること、戻らない貨幣の量に見合うだけの貨幣が新規に供給されないとどうなるか問いかけたりなど、繰り返しではあっても読んでて面白いものでした。
第2章「日本小農論のアポリア」では農地の所有権について、地租改正による創設や地主制・農地改革、そして離農した人々の農地が所有者がどこに行ったか分からないまま借地の対象ともなれずに荒れつつある現代までを通して考察しています。地主制のもとで、地主はムラの土地を保全する存在でもあったことや、農民組合運動下では小作貧農が土地を所有するようになることは無産者から脱落するものとされていたことなど、意外な指摘でした。
本書所収の論考の中でひどかったのが、第4章の「近代日本における中小工業の成長条件」でした。研究史の論点整理と称して他人の文献からの引用は多数あるのですが、著者が何を言いたいのかはっきりせず、学生のレポートでも読まされてる気分。しかし、筆者はどこぞの大学教授なのだそうです。私も学生時代には講義のへたくそな教授には何人もお目にかかりましたが、そういう人でも著書を読んでみれば感心させられた経験しかありません。書いたものも意味不明とは、この人に教えられる学生は哀れ。
第8章「朝鮮における『19世紀の危機』」によると、1850年代から90年代にかけて、朝鮮では深刻な経済の停滞がみられたそうです。この期間に、稲作の生産性が最盛期の三分の一まで減ったとのことで、驚きです。著者はこの全朝鮮的な米の減収の原因を地力の低下・水利施設の荒廃などとしています。朝鮮半島は、日本に比較すれば稲作の限界地に近いような感じがするので、気候の一時的な寒冷化・小氷期が関与してはいなかったのか気になります。また、朝鮮が開国をむかえたのは、この『19世紀の危機』の時代であり、開国から近代化が日本と違ってうまくいかなかった原因の一つは、ここにあるようです。
第9章「『植民地近代化』再論」 第10章「朝鮮における近代的経済成長」という、韓国の学者の論考2本も興味深く読みました。日帝による収奪という言い方がありますが、「収奪」を経済学的に論証するのは難しいという合意が韓国でも出来てきているようです。
ただし、日帝の遺産と解放後の韓国の経済成長との関連に関しては、意見が大きく分かれるようです。第10章の著者は、日帝の残した会社・工場などの物的遺産が北側に多く韓国の側には少ないのに高度経済成長が韓国の側で実現したこと、日帝の遺産は朝鮮戦争でその多くが破壊されてしまったこと、韓国の高度成長は解放後20年もたってから始まったことなので時期的に離れていることなどを論拠として、日帝の遺産と解放後の韓国の高度経済成長には因果関係がないとしています。しかし、物的遺産についても、鉄道・電気・水道などインフラは日本の敗戦後も使われ続けたでしょうから、無視は出来ないと思うのです。それに加えて、精神的・制度的・技術的な遺産を総体的に評価することが簡単ではないとして無視しているのがこの著者の主張の問題点です。
日本は植民地期の韓国に良いことをたくさんした・残したとする日本の保守派の論客たちの主張に同意できないのと同じく、日帝の物的遺産と韓国の高度経済成長が無関係でその他の遺産は無視しようとするこの韓国の学者の主張にも、私は賛成できません。植民地化された1910年の朝鮮と比較すると、解放された1945年の朝鮮は、社会・制度・意識などがおおきく変化していました。1960年代以降の韓国の近代的経済成長は、そういった変化の上に実現したもので、1910年のままだったら実現しなかったでしょう。もちろん、この変化を日帝のおかげだなどと主張する考えは私にはなく、朝鮮の人たちが日本の支配下で実現した変化だと言いたいのです。
日帝による植民地支配がなければ、後に高度経済成長を可能とするような社会・制度・意識などの変化が35年間でどの程度にまで進行したものか、これについては仮定の話になるから難しいのですが、お隣の中国東北部、満州での奉天軍閥の富国強兵化策をみると、朝鮮半島に独立国が存続していてもかなりのことがなされただろうと私は思います。日本の保守派なら植民地支配がなければこういった変化は実現しなかったというでしょうし、韓国の人は植民地支配がなければもっと進んだはずだと言いたいでしょうが。
原武史著 ちくま学芸文庫
2007年12月発行 本体950円
2003年に光文社新書の一冊として出版されていたものです。「大正天皇」とか「可視化された帝国」とか面白い本を書く人の本だし、当時タイトルを見て興味は持ったのですが、なぜか手には取りませんでした。今度、ちくま学芸文庫で出てたので、読んでみました。
東京生まれの東京育ちですから、何度か皇居前広場には足を運んだことがあります。芝生があって、楠木正成の銅像があって、鳩がいっぱいいて、はとバスや外国人の観光客がぽつぽつといて、あまり混雑していない、お天気のいい日におにぎりでも食べるのに最適な場所っていう印象です。芝生の植え込み一枚一枚がとても広かったり、金属柵が大仰だったり、松がまばらに生えているだけで大きな建物や植え込みなどがなく遠くまで見透せるなど、ふつうの公園とは違った感じも受ける場所です。
でも、血のメーデー事件をはじめ、明治以来、いろいろな式典が実施された歴史があるそうです。ただ、諸外国の天安門広場・光化門広場・赤の広場などとは違って、積極的に広場として整備されて使われたという感じではなく、「空虚な中心」「打ち消しのマイナスガスが立ち込め」ている場所なのだとか。
戦前は宮城前広場と呼ばれ、当たり前ですが、戦後になって皇居前広場と呼ばれるようになったんですね。ウエブで皇居前広場を検索してみると、ここを管理している環境省皇居外苑管理事務所では、皇居前広場ではなく皇居外苑と呼んでいました。
占領期には、夜間ここが愛の空間になっていたそうです。空襲でたくさんの家が焼かれて住宅事情が最悪の時期、ラブホテルにあたる施設も充実してはいなかったでしょうから、青姦(夜だから黒姦か)が流行したってことでしょうか。
ユージン・B・スレッジ著
講談社学術文庫1885
2008年8月発行 税込み1470円
アメリカの第一海兵師団に所属し、パラオ諸島のペリリュー島と沖縄で上陸戦闘を経験した一兵士の回想録です。原著は1981年に出版されたものだそうです。今頃になって、そしてなぜ講談社学術文庫として翻訳出版されたのかはよく分かりませんが、好著といっていいと思います。
著者は医者の息子で大学生だったので、2度の戦闘を経た後に他の兵士から、裕福な家の出身だから役に立たないだろうと最初は思っていたと言われています。いいとこのお坊ちゃんだったので、家族は卒業後に技術部門の士官として任官することを希望していました。しかし、戦地に赴く前に戦争が終わってしまうことを危惧(!!)した著者は、在学中に自ら志願して入隊したのでした。日本でもお国のために予科練などに志願した人が少なくなかったのですが、アメリカでも同じような雰囲気があったということで、これも時代がそうさせたんでしょうね。ベトナム戦争の頃とは、全く違います。
原文がそうなのか、訳者がいいのか、とても読みやすい日本語で、アメリカ本土でのブートキャンプでの訓練や、船での移動、ソロモン諸島の基地での訓練、そしてペリリュー島・沖縄での戦いのエピソードがつづられています。興味深く読めました。
どちらの島でも地形を利用して陣地を築いた日本軍が縦深防御体制をとったため、アメリカ軍の進撃、つまり戦線の移動するスピードはゆっくりでした。激戦で危険なため、両軍とも兵士の死体の多くを回収できず、放置せざるを得ない状態が長く続きました。このため、ウジがわき腐敗し腐臭が漂いました。、トイレの場所を確保できないので、排泄物はタコ壺周囲に捨てざるを得なかったので、これも悪臭の元となって、 食欲がわかなかったそうです。戦闘以外のこんなエピソードも戦場の様子をうかがわせてくれます。
アメリカ軍は物量豊富な軍隊というイメージがあります。でも、それが本当にあてはまるのは後方勤務の人たちで、ペリリュー島での海兵隊員の戦闘中の食事や身の回りは、上陸後しばらくは飲み水の確保にも困ったくらいで、決してラクではなかったそうです。もちろん、守備側の日本軍兵士はもっときびしい暮らしだったのでしょうが。
また、著者の所属した中隊は235人がペリリュー島に上陸して、一ヶ月半の戦闘後に無傷で生還できたのは85人しかいませんでした。第一次大戦から経験している古参兵がペリリュー島戦を「最悪の戦闘」と述べたくらいです。ただ、それでもアメリカ兵は生きて還る希望を持ちながら戦えたわけで、その希望もなく戦いを続けた日本軍兵士はどんな気持ちだったか、それを想うと読んでいてつらくなってしまいました。
先週、植木屋さんが作業している様子が見えた近くの道路の街路樹のイチョウですが、かわいそうなくらいに枝が落とされていました。まあ、台風とかで枝が何本か折れることもあるのだから、強く剪定されても枯れることはないのでしょう。でも、こんな無惨な剪定の仕方を見ると、街路樹って何のために植えてあるのか、疑問に思ってしまいます。
もう、本格的な暑さも終わりになりますが、夏の陽射しの強い時間帯に外を歩いていると、日陰が恋しくなります。ビルなど建物の日陰でもないよりはましですが、やはり一番快適なのは歩道の上にアーチ状に枝を伸ばしている街路樹です。こういう道は、歩いていてもかなりの涼しさを実感できます。
でも、こんな感じの街路樹だと歩道に落ちる影はわずかで、がっかり。この道路は建設されてから10年ほどたつので、管理者にその気があればもっと立派に成長していてもおかしくないはずですが、こじんまりと剪定されてしまっています。樹が高くなり枝が長く伸びると、電線にひっかかったり、落ち葉が多くなったり、沿道の家が日陰になったりなどで、苦情があるんでしょうか。実のなる樹を植えて欲しいとまでは思いませんが、日陰くらいは街路樹に期待したいものです。
三木理史著 日本経済評論社
2000年3月発行 本体5400円
東京から東北地方を結ぶ日本鉄道の成功以降、私設鉄道の設立ブームが起きました。本書でとりあげられた三重県・瀬戸内地方にも、山陽鉄道や関西鉄道という大きな私設鉄道会社が路線を持っていました。しかし、本書では幹線的な私設鉄道ではなく、地域内の小さな私設鉄道が対象です。地域内の鉄道の路線計画・建設とその地域の産業や港湾整備などとの関わりが論じられています。
私設鉄道設立ブームについては、日本鉄道の経済的な大成功を見て、多くの投資家がもうけのために、各地方の鉄道設立を計画したものかと思っていました。しかし、本書を読んで各地方の住民の間で鉄道を求める声が強かったことが理解できました。
例えば、三重県の津市から後背の安濃郡へ、約15kmの本線と約10kmの支線からなる安濃鉄道は、1912年に開業免許を鉄道省から交付されました。この当時の安濃郡は面積11.23平方里で、東京で一番大きな八王子市くらいの面積のようです。人口は34656人で、とても多いとは言えません。ほかにまともな陸上輸送機関がないので、切実な要望から建設されたのだと思いますが、利用する住民の数は多くはないので、省線鉄道や現在のJRが採用している軌間1067mmより狭い762mmの軽便鉄道として建設されました。
ただ、開業後も経営は順調ではなかったとのことです。現在ならこの規模の土地の公共交通機関はバスになるのでしょう(現代ではバスでも赤字になりそう)が、自動車のなかった明治時代なので軽便鉄道の建設となりました。ただ、自動車が導入されてバスが普及してゆく大正・昭和戦前期に、バスとの競争で多くの地方の小鉄道が経営問題を抱えることになる事情が開業時の状況からも見える気がします。高度成長期のモータリーゼーションが国鉄の赤字の一因となったことはよく知られていますが、マイカーの希だった戦前から、自動車と地域の鉄道は競合する運命にあったようです。
また、江戸時代以来の歴史を持つ都市では、官設でも私設でも幹線鉄道の駅が、土地の入手の容易さから中心から外れた位置に設けられたもののようです。地域内の小鉄道もやはり都市の中心まで路線を設けることが難しく、幹線鉄道の駅と同じ場所に駅を設けていない例もあったことが紹介されています。なんとなく、複数の鉄道路線の駅は同じ場所にあることが当たり前と感じていたので意外でした。
その他、江戸時代以来の港町が多数あった瀬戸内地方で、明治期に大きく発展してゆく町と衰退した町との違いなどについての論考も、こういった分野の文献に接したことがなかったので、新鮮でした。
草森伸一著 文春新書652
2008年8月発行 税込み945円
毎日新聞社が日中戦争と太平洋戦争初期に撮った写真で、検閲不許可になったものをまとめたスクラップブックがあり、それを見ての著者の感想などが述べられている本です。
ふつうの新書とは違って、アート紙でできていてずっしりとした重さです。さぞや面白い写真がたくさん載せられているのかと思ったら、163ページの中に、35枚ほどの写真しか掲載されていません。しかも、元の写真は手札大(80x105mm)だったというのに、そのうちの8枚は約3x4cmとなぜかとても小さくされていて、細部までは見ることの出来ない代物です。写真自体も、多くはそれほどインパクトがあるものではありません。まあ、それだけ日本の検閲が細かいことに拘って不許可にしていたということでしょうが。
で、写真より文章の部分がずっと多いのですが、検閲の事情と掲載されている写真の説明が主という訳でもないのです。本書には「カメラの発明によって、叙事詩は生まれなくなった」と「『不許可写真』は、一コマもののマンガである」という2つの章があるのですが、特に前者は不許可写真というタイトルから受けた印象と全く違い、芸術論的な部分が多いのです。がっかりさせてくれました。
こういう新書のタイトルは編集者が決定するのだろうと思うのですが、そう考えるとこれは著者が悪いと言うより、タイトルを決めた文春新書の編集者が悪い。「カメラの発明によって、叙事詩は生まれなくなった」か「『不許可写真』は、一コマもののマンガである」のどちらかをタイトルにしていれば、別の観点からこの本を読むのでしょうから、失望せずに済んだかも知れません。
- AppleCare
- 我が家の MacBook Pro 一周年
- 日本植民地研究の現状と課題
- ねんきん特別便
- 世界システムと東アジア
- ヒガンバナ
- 月曜日の競馬
- 増補 皇居前広場
- ペリリュー・沖縄戦記
- ガス管の工事
- 街路樹の日陰
- 地域交通体系と局地鉄道
- 一年ぶりの首相辞任
- 不許可写真
2008年9月27日土曜日
2008年9月26日金曜日
我が家の MacBook Pro 一周年
去年の秋のお彼岸の祝日に思い立ち、衝動買いに近い感じでこのMacBook Proを購入して一年になります。アルミMacBook Proもこの筐体になってから数年たっていたおかげか、アップル製品にも関わらず、この一年間にはハード的なトラブルは全くありませんでした。昔は新製品に飛びついて人柱になっていましたが、やはり枯れたモデルを買う方が夢はないけどお得なのかも知れません。
このアルミMacBook Proは長く使っていると、手の汗でパームレストのところが変色することがあるそうです。でも、私の場合は冷えやすい方で、手の汗も多くないせいか、パームレストは特に変化なし。ただ、バッグに入れて持ち歩くことが多いので、この通り外側にはいろいろと擦り傷がついています。iPodもケースに入れずにつかっていて、この種の擦り傷は気にならない方なので、この程度はOK。
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このアルミMacBook Proは長く使っていると、手の汗でパームレストのところが変色することがあるそうです。でも、私の場合は冷えやすい方で、手の汗も多くないせいか、パームレストは特に変化なし。ただ、バッグに入れて持ち歩くことが多いので、この通り外側にはいろいろと擦り傷がついています。iPodもケースに入れずにつかっていて、この種の擦り傷は気にならない方なので、この程度はOK。
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2008年9月22日月曜日
日本植民地研究の現状と課題
日本植民地研究会編 アテネ社
2008年6月発行 本体3600円
日本植民地研究会の創立20周年を記念して、大会での報告をまとめたものだそうです。日本植民地研究入門っていうタイトルで出版されてもおかしくないような本で、内容はこれまでの研究のレビューで、文献がたくさん紹介されています。これまでに読んだ本の位置の確認や、これから本を買う際にも役立ちそうです。
私も日本の植民地に関する本を30年ほど前から時折読んでいますが、日本帝国主義史研究から帝国史・帝国研究へと、この分野でも大きな変化がありました。それを反映して、第一章は「帝国主義論と植民地研究」、第二章は「ポストコロニアリズムと帝国史研究」となっています。専門の研究者にとっては自明のことでしょうが、この両者の関係ってそれぞれの立場の研究者の関係も含めてかなり微妙そうな雰囲気だろうと素人ながら勝手に思っていたのですが、本書を読んで多少なりとも理解できたた感じです。
ただ、帝国主義論は支配と抵抗がキーワードで、その他に対する目配りが足りなかったと批判されているわけですが、研究の行われた時代背景を考えるとやむを得なかったろうなと私は思います。マルクス主義のことは別にしても、十五年戦争の時代を実際に経験した研究者たちが、敗戦後に大日本帝国による支配について研究し始めたのはしごくまっとうなことでしょう。また、敗戦後に生まれた研究者が、マルクス主義の退潮とポストコロニアリズムを反映して、多様な分野に興味を持つようになったのも自然な流れかと。
第三章から第七章までは、朝鮮・台湾・樺太・南洋・満州に関する研究が地域ごとにまとめられています。千島や小笠原諸島も植民地以外の何者でもないような感じですが、北海道・東京の一部とされていました。内国国植民地は本書の対象外のようです。それと、樺太・南洋に関する章では、研究者の層が薄いことをそれぞれのレビュアーが嘆いていますが、樺太・南洋に関する研究者数が朝鮮や台湾に興味を持つ人の数に匹敵したら、その方がよっぽど変です。
本書とは離れますが、個人的な興味としては、朝鮮では併合・支配に対する抵抗がしっかりあったのに、沖縄の場合には大きな抵抗なく沖縄県になってしまったのはどうしてなのかってあたりも、知りたいところです。琉球王国時代にナショナリズムが育ってなかったからなんでしょうか。あと、アルジェリアやアイルランドと朝鮮とか、スコットランドやウエールズと沖縄とか似てる感じなんでしょうか、この辺も知りたいところです。
2008年9月20日土曜日
ねんきん特別便
私も、ねんきん特別便を受け取りました。すでに年金を受給している人には昨年のうちにねんきん特別便が届いていて、実際に年金に漏れが見つかったというお話を何人もの患者さんから聞かされていました。また、医師の場合、研修医の頃からいくつも職場を転々としている人が多いので、漏れが発生しやすいだろうとも言われていました。でも幸いなことに私の年金記録には漏れはありませんでした。
漏れがなくてひと安心ですが、年金に関しては他にも標準報酬月額を実際より低く改ざんされていた問題が発覚しています。今回のねんきん特別便には標準報酬月額が記入されていないので、自分の年金がどうなっているのかは分かりませんでした。
報道によると、この問題は加入月数の漏れに比較しても、発見が難しいそうです。また、標準報酬月額を低く改ざんすることは、事業主にとって納付する年金保険料が少なくて済むだけでなく、納付率を低くしたくない社会保険庁にとってもメリットがあるので、社会保険庁の職員も「共犯」者となって行われていたらしいとのことです。調査が困難な問題なので、可能ならこういった不正に関与していた元・現社会保険庁職員が、自主的に真実を告白してくれればいいのですが、桝添厚生労働大臣は不正に関わったものは懲戒処分にすると言っています。
こういう場合には、期間を限って自主的な報告を促し、自首した者は処分しないという方針を打ち出すことが必要なんだろうと私は思います。ただ、桝添さんは怒りっぽい人みたいだから、そういう処理はしそうもなさそう。また、マスコミも、悪人は吊せってことしか言わなそうだし。
漏れがなくてひと安心ですが、年金に関しては他にも標準報酬月額を実際より低く改ざんされていた問題が発覚しています。今回のねんきん特別便には標準報酬月額が記入されていないので、自分の年金がどうなっているのかは分かりませんでした。
報道によると、この問題は加入月数の漏れに比較しても、発見が難しいそうです。また、標準報酬月額を低く改ざんすることは、事業主にとって納付する年金保険料が少なくて済むだけでなく、納付率を低くしたくない社会保険庁にとってもメリットがあるので、社会保険庁の職員も「共犯」者となって行われていたらしいとのことです。調査が困難な問題なので、可能ならこういった不正に関与していた元・現社会保険庁職員が、自主的に真実を告白してくれればいいのですが、桝添厚生労働大臣は不正に関わったものは懲戒処分にすると言っています。
こういう場合には、期間を限って自主的な報告を促し、自首した者は処分しないという方針を打ち出すことが必要なんだろうと私は思います。ただ、桝添さんは怒りっぽい人みたいだから、そういう処理はしそうもなさそう。また、マスコミも、悪人は吊せってことしか言わなそうだし。
2008年9月18日木曜日
世界システムと東アジア
今西一編 日本経済評論社
2008年5月発行 本体4200円
世界システムと東アジアというタイトルの本ですが、日本小農論、農村地代、日本の中小工業論、内国植民地、朝鮮近代化論など10人の筆者による論文集です。序章にはちょろっと近代世界システム論に関する言及もあるのですが、その他は近代世界システム論とは全く関係ないものばかりです。シンポジウムにちなんだ出版なので、こうなっているようです。
第1章の黒田明伸の「アジア・アフリカ史発の貨幣経済論」は、彼の他の著作と同じようなことをくり返しているとも言えます。ただ、現在の少額硬貨でも銀行に還流しないものが少なくないことを指摘して過去の時代にはそれがもっと顕著だったろうことを示したり、地下に保蔵された貨幣が還流しない貨幣の一因となっていること、戻らない貨幣の量に見合うだけの貨幣が新規に供給されないとどうなるか問いかけたりなど、繰り返しではあっても読んでて面白いものでした。
第2章「日本小農論のアポリア」では農地の所有権について、地租改正による創設や地主制・農地改革、そして離農した人々の農地が所有者がどこに行ったか分からないまま借地の対象ともなれずに荒れつつある現代までを通して考察しています。地主制のもとで、地主はムラの土地を保全する存在でもあったことや、農民組合運動下では小作貧農が土地を所有するようになることは無産者から脱落するものとされていたことなど、意外な指摘でした。
本書所収の論考の中でひどかったのが、第4章の「近代日本における中小工業の成長条件」でした。研究史の論点整理と称して他人の文献からの引用は多数あるのですが、著者が何を言いたいのかはっきりせず、学生のレポートでも読まされてる気分。しかし、筆者はどこぞの大学教授なのだそうです。私も学生時代には講義のへたくそな教授には何人もお目にかかりましたが、そういう人でも著書を読んでみれば感心させられた経験しかありません。書いたものも意味不明とは、この人に教えられる学生は哀れ。
第8章「朝鮮における『19世紀の危機』」によると、1850年代から90年代にかけて、朝鮮では深刻な経済の停滞がみられたそうです。この期間に、稲作の生産性が最盛期の三分の一まで減ったとのことで、驚きです。著者はこの全朝鮮的な米の減収の原因を地力の低下・水利施設の荒廃などとしています。朝鮮半島は、日本に比較すれば稲作の限界地に近いような感じがするので、気候の一時的な寒冷化・小氷期が関与してはいなかったのか気になります。また、朝鮮が開国をむかえたのは、この『19世紀の危機』の時代であり、開国から近代化が日本と違ってうまくいかなかった原因の一つは、ここにあるようです。
第9章「『植民地近代化』再論」 第10章「朝鮮における近代的経済成長」という、韓国の学者の論考2本も興味深く読みました。日帝による収奪という言い方がありますが、「収奪」を経済学的に論証するのは難しいという合意が韓国でも出来てきているようです。
ただし、日帝の遺産と解放後の韓国の経済成長との関連に関しては、意見が大きく分かれるようです。第10章の著者は、日帝の残した会社・工場などの物的遺産が北側に多く韓国の側には少ないのに高度経済成長が韓国の側で実現したこと、日帝の遺産は朝鮮戦争でその多くが破壊されてしまったこと、韓国の高度成長は解放後20年もたってから始まったことなので時期的に離れていることなどを論拠として、日帝の遺産と解放後の韓国の高度経済成長には因果関係がないとしています。しかし、物的遺産についても、鉄道・電気・水道などインフラは日本の敗戦後も使われ続けたでしょうから、無視は出来ないと思うのです。それに加えて、精神的・制度的・技術的な遺産を総体的に評価することが簡単ではないとして無視しているのがこの著者の主張の問題点です。
日本は植民地期の韓国に良いことをたくさんした・残したとする日本の保守派の論客たちの主張に同意できないのと同じく、日帝の物的遺産と韓国の高度経済成長が無関係でその他の遺産は無視しようとするこの韓国の学者の主張にも、私は賛成できません。植民地化された1910年の朝鮮と比較すると、解放された1945年の朝鮮は、社会・制度・意識などがおおきく変化していました。1960年代以降の韓国の近代的経済成長は、そういった変化の上に実現したもので、1910年のままだったら実現しなかったでしょう。もちろん、この変化を日帝のおかげだなどと主張する考えは私にはなく、朝鮮の人たちが日本の支配下で実現した変化だと言いたいのです。
日帝による植民地支配がなければ、後に高度経済成長を可能とするような社会・制度・意識などの変化が35年間でどの程度にまで進行したものか、これについては仮定の話になるから難しいのですが、お隣の中国東北部、満州での奉天軍閥の富国強兵化策をみると、朝鮮半島に独立国が存続していてもかなりのことがなされただろうと私は思います。日本の保守派なら植民地支配がなければこういった変化は実現しなかったというでしょうし、韓国の人は植民地支配がなければもっと進んだはずだと言いたいでしょうが。
2008年9月17日水曜日
ヒガンバナ
2008年9月15日月曜日
月曜日の競馬
立川駅の南口から歩いて5分ほどのところに、WINSがあります。私には競馬の趣味はありませんが、うちから駅の方へ行く途中にあるので、馬券を買いに行く人の波をよく見かけます。
でも、それって土曜日と日曜日だけだと思っていました。今日の午前中も買い物に出かけたのですが、WINSはなぜか営業中でした。月曜日だけど、祝日でお休みだから営業しているのだろうとは思うのですが、以前からお休みの月曜日には営業してましたっけ。こういう何気ないことって、見てるはずなのに記憶にないな。
でも、それって土曜日と日曜日だけだと思っていました。今日の午前中も買い物に出かけたのですが、WINSはなぜか営業中でした。月曜日だけど、祝日でお休みだから営業しているのだろうとは思うのですが、以前からお休みの月曜日には営業してましたっけ。こういう何気ないことって、見てるはずなのに記憶にないな。
2008年9月13日土曜日
増補 皇居前広場
原武史著 ちくま学芸文庫
2007年12月発行 本体950円
2003年に光文社新書の一冊として出版されていたものです。「大正天皇」とか「可視化された帝国」とか面白い本を書く人の本だし、当時タイトルを見て興味は持ったのですが、なぜか手には取りませんでした。今度、ちくま学芸文庫で出てたので、読んでみました。
東京生まれの東京育ちですから、何度か皇居前広場には足を運んだことがあります。芝生があって、楠木正成の銅像があって、鳩がいっぱいいて、はとバスや外国人の観光客がぽつぽつといて、あまり混雑していない、お天気のいい日におにぎりでも食べるのに最適な場所っていう印象です。芝生の植え込み一枚一枚がとても広かったり、金属柵が大仰だったり、松がまばらに生えているだけで大きな建物や植え込みなどがなく遠くまで見透せるなど、ふつうの公園とは違った感じも受ける場所です。
でも、血のメーデー事件をはじめ、明治以来、いろいろな式典が実施された歴史があるそうです。ただ、諸外国の天安門広場・光化門広場・赤の広場などとは違って、積極的に広場として整備されて使われたという感じではなく、「空虚な中心」「打ち消しのマイナスガスが立ち込め」ている場所なのだとか。
戦前は宮城前広場と呼ばれ、当たり前ですが、戦後になって皇居前広場と呼ばれるようになったんですね。ウエブで皇居前広場を検索してみると、ここを管理している環境省皇居外苑管理事務所では、皇居前広場ではなく皇居外苑と呼んでいました。
占領期には、夜間ここが愛の空間になっていたそうです。空襲でたくさんの家が焼かれて住宅事情が最悪の時期、ラブホテルにあたる施設も充実してはいなかったでしょうから、青姦(夜だから黒姦か)が流行したってことでしょうか。
2008年9月11日木曜日
ペリリュー・沖縄戦記
ユージン・B・スレッジ著
講談社学術文庫1885
2008年8月発行 税込み1470円
アメリカの第一海兵師団に所属し、パラオ諸島のペリリュー島と沖縄で上陸戦闘を経験した一兵士の回想録です。原著は1981年に出版されたものだそうです。今頃になって、そしてなぜ講談社学術文庫として翻訳出版されたのかはよく分かりませんが、好著といっていいと思います。
著者は医者の息子で大学生だったので、2度の戦闘を経た後に他の兵士から、裕福な家の出身だから役に立たないだろうと最初は思っていたと言われています。いいとこのお坊ちゃんだったので、家族は卒業後に技術部門の士官として任官することを希望していました。しかし、戦地に赴く前に戦争が終わってしまうことを危惧(!!)した著者は、在学中に自ら志願して入隊したのでした。日本でもお国のために予科練などに志願した人が少なくなかったのですが、アメリカでも同じような雰囲気があったということで、これも時代がそうさせたんでしょうね。ベトナム戦争の頃とは、全く違います。
原文がそうなのか、訳者がいいのか、とても読みやすい日本語で、アメリカ本土でのブートキャンプでの訓練や、船での移動、ソロモン諸島の基地での訓練、そしてペリリュー島・沖縄での戦いのエピソードがつづられています。興味深く読めました。
どちらの島でも地形を利用して陣地を築いた日本軍が縦深防御体制をとったため、アメリカ軍の進撃、つまり戦線の移動するスピードはゆっくりでした。激戦で危険なため、両軍とも兵士の死体の多くを回収できず、放置せざるを得ない状態が長く続きました。このため、ウジがわき腐敗し腐臭が漂いました。、トイレの場所を確保できないので、排泄物はタコ壺周囲に捨てざるを得なかったので、これも悪臭の元となって、 食欲がわかなかったそうです。戦闘以外のこんなエピソードも戦場の様子をうかがわせてくれます。
アメリカ軍は物量豊富な軍隊というイメージがあります。でも、それが本当にあてはまるのは後方勤務の人たちで、ペリリュー島での海兵隊員の戦闘中の食事や身の回りは、上陸後しばらくは飲み水の確保にも困ったくらいで、決してラクではなかったそうです。もちろん、守備側の日本軍兵士はもっときびしい暮らしだったのでしょうが。
また、著者の所属した中隊は235人がペリリュー島に上陸して、一ヶ月半の戦闘後に無傷で生還できたのは85人しかいませんでした。第一次大戦から経験している古参兵がペリリュー島戦を「最悪の戦闘」と述べたくらいです。ただ、それでもアメリカ兵は生きて還る希望を持ちながら戦えたわけで、その希望もなく戦いを続けた日本軍兵士はどんな気持ちだったか、それを想うと読んでいてつらくなってしまいました。
2008年9月10日水曜日
ガス管の工事
うちの近くの道路でガスの工事をしていました。掘り返してある中を覗くと、直径20cm以上ありそうな金属のパイプを切って、取り出しているところでした。ガス管の切断時に少しは漏れるようで、かすかにガスの臭いがしました。でも、作業している人たちは落ち着いていたので、問題はない模様。
事前に、東京ガスから工事のお知らせの紙がポスティングされていました。古くなったガス管を交換する工事なのだそうです。ガスは通常通り使えるとのことでしたが、ガスの配管は冗長化されていて、一カ所を切断しても供給には支障がないってことなんでしょうね。
同じ地下に埋設されているパイプでも、水道管の場合には供給されている水の数パーセントが漏水しているとか。都市ガスの場合には、漏れって全然ないんでしょうか?まあ、漏れないように、事前にこうやって工事をしているから大丈夫なのかもですが。
事前に、東京ガスから工事のお知らせの紙がポスティングされていました。古くなったガス管を交換する工事なのだそうです。ガスは通常通り使えるとのことでしたが、ガスの配管は冗長化されていて、一カ所を切断しても供給には支障がないってことなんでしょうね。
同じ地下に埋設されているパイプでも、水道管の場合には供給されている水の数パーセントが漏水しているとか。都市ガスの場合には、漏れって全然ないんでしょうか?まあ、漏れないように、事前にこうやって工事をしているから大丈夫なのかもですが。
2008年9月9日火曜日
街路樹の日陰
先週、植木屋さんが作業している様子が見えた近くの道路の街路樹のイチョウですが、かわいそうなくらいに枝が落とされていました。まあ、台風とかで枝が何本か折れることもあるのだから、強く剪定されても枯れることはないのでしょう。でも、こんな無惨な剪定の仕方を見ると、街路樹って何のために植えてあるのか、疑問に思ってしまいます。
もう、本格的な暑さも終わりになりますが、夏の陽射しの強い時間帯に外を歩いていると、日陰が恋しくなります。ビルなど建物の日陰でもないよりはましですが、やはり一番快適なのは歩道の上にアーチ状に枝を伸ばしている街路樹です。こういう道は、歩いていてもかなりの涼しさを実感できます。
でも、こんな感じの街路樹だと歩道に落ちる影はわずかで、がっかり。この道路は建設されてから10年ほどたつので、管理者にその気があればもっと立派に成長していてもおかしくないはずですが、こじんまりと剪定されてしまっています。樹が高くなり枝が長く伸びると、電線にひっかかったり、落ち葉が多くなったり、沿道の家が日陰になったりなどで、苦情があるんでしょうか。実のなる樹を植えて欲しいとまでは思いませんが、日陰くらいは街路樹に期待したいものです。
2008年9月6日土曜日
地域交通体系と局地鉄道
三木理史著 日本経済評論社
2000年3月発行 本体5400円
東京から東北地方を結ぶ日本鉄道の成功以降、私設鉄道の設立ブームが起きました。本書でとりあげられた三重県・瀬戸内地方にも、山陽鉄道や関西鉄道という大きな私設鉄道会社が路線を持っていました。しかし、本書では幹線的な私設鉄道ではなく、地域内の小さな私設鉄道が対象です。地域内の鉄道の路線計画・建設とその地域の産業や港湾整備などとの関わりが論じられています。
私設鉄道設立ブームについては、日本鉄道の経済的な大成功を見て、多くの投資家がもうけのために、各地方の鉄道設立を計画したものかと思っていました。しかし、本書を読んで各地方の住民の間で鉄道を求める声が強かったことが理解できました。
例えば、三重県の津市から後背の安濃郡へ、約15kmの本線と約10kmの支線からなる安濃鉄道は、1912年に開業免許を鉄道省から交付されました。この当時の安濃郡は面積11.23平方里で、東京で一番大きな八王子市くらいの面積のようです。人口は34656人で、とても多いとは言えません。ほかにまともな陸上輸送機関がないので、切実な要望から建設されたのだと思いますが、利用する住民の数は多くはないので、省線鉄道や現在のJRが採用している軌間1067mmより狭い762mmの軽便鉄道として建設されました。
ただ、開業後も経営は順調ではなかったとのことです。現在ならこの規模の土地の公共交通機関はバスになるのでしょう(現代ではバスでも赤字になりそう)が、自動車のなかった明治時代なので軽便鉄道の建設となりました。ただ、自動車が導入されてバスが普及してゆく大正・昭和戦前期に、バスとの競争で多くの地方の小鉄道が経営問題を抱えることになる事情が開業時の状況からも見える気がします。高度成長期のモータリーゼーションが国鉄の赤字の一因となったことはよく知られていますが、マイカーの希だった戦前から、自動車と地域の鉄道は競合する運命にあったようです。
また、江戸時代以来の歴史を持つ都市では、官設でも私設でも幹線鉄道の駅が、土地の入手の容易さから中心から外れた位置に設けられたもののようです。地域内の小鉄道もやはり都市の中心まで路線を設けることが難しく、幹線鉄道の駅と同じ場所に駅を設けていない例もあったことが紹介されています。なんとなく、複数の鉄道路線の駅は同じ場所にあることが当たり前と感じていたので意外でした。
その他、江戸時代以来の港町が多数あった瀬戸内地方で、明治期に大きく発展してゆく町と衰退した町との違いなどについての論考も、こういった分野の文献に接したことがなかったので、新鮮でした。
2008年9月2日火曜日
一年ぶりの首相辞任
このところ天候が不安定なので、NHKの6時50分からの天気予報を出かける前にチェックします。今朝の天気予報は、全国の天気でも関東地方の天気でも、いつどこに雨が降ってもおかしくないとの予報でした。正しくはあるのでしょうが、なんとなく投げやりな予報だなと感じながら、7時のニュースが始まると福田首相が辞任とのこと。 昨日の夜は民主党の党首選挙がトップニュースだったので、それにぶつけるタイミングで辞任を表明したのでしょうが、 昨年9月に続いて二度目の投げやりな首相辞任で、驚きました。
いろいろ嫌なことがあって、首相の仕事が面倒になっちゃったって感じでしょうか。彼にしても安倍前首相にしても他の多くの世襲の政治家の人たちにしても、なにかの政策を実現するために政治活動をしているというよりも、親譲りの政治家であり続けること自体が政治活動の目的になっていて、こういうことになっちゃうんだろうなと想像します。
また、長い時間を国会の椅子に腰掛けて過ごしたり、日本国内だけでなく海外にまで度々旅行したりなど、72歳という年齢には激務であることは間違いなく、肉体的な意味での疲労も原因なのでしょう。自分を含めてふつうの人なら、経済的に可能なかぎり早めに引退して、まとまった時間の必要な海外旅行をしたり、趣味など好きなことに専念したいと思うはずですが、福田首相に限らず国会議員や地方議員などの政治家は、高齢になるまで続ける方が少なくありません。政治家を高齢まで続ける人は、政治家であること自体が趣味というか好みの活動なんでしょうかね。
あと、今朝のNHKのニュースでは福田首相の会見の模様を伝えた後に、北朝鮮拉致問題に対する影響が心配とのことで、インタビューで感想を述べる最初の人に拉致被害者関係の会の方が登場しました。さすがは、拉致問題キャンペーン報道を売り物にしているNHKです。拉致問題も無視していいとは思いませんが、少なくともトップで心配されなきゃいけない問題ではないと私は思います。それとも、福田首相の辞任が世界に与える影響なんて実はほとんどなく、せいぜい拉致問題程度しかないよという、鋭い視点からの放送だったのでしょうかね。
いろいろ嫌なことがあって、首相の仕事が面倒になっちゃったって感じでしょうか。彼にしても安倍前首相にしても他の多くの世襲の政治家の人たちにしても、なにかの政策を実現するために政治活動をしているというよりも、親譲りの政治家であり続けること自体が政治活動の目的になっていて、こういうことになっちゃうんだろうなと想像します。
また、長い時間を国会の椅子に腰掛けて過ごしたり、日本国内だけでなく海外にまで度々旅行したりなど、72歳という年齢には激務であることは間違いなく、肉体的な意味での疲労も原因なのでしょう。自分を含めてふつうの人なら、経済的に可能なかぎり早めに引退して、まとまった時間の必要な海外旅行をしたり、趣味など好きなことに専念したいと思うはずですが、福田首相に限らず国会議員や地方議員などの政治家は、高齢になるまで続ける方が少なくありません。政治家を高齢まで続ける人は、政治家であること自体が趣味というか好みの活動なんでしょうかね。
あと、今朝のNHKのニュースでは福田首相の会見の模様を伝えた後に、北朝鮮拉致問題に対する影響が心配とのことで、インタビューで感想を述べる最初の人に拉致被害者関係の会の方が登場しました。さすがは、拉致問題キャンペーン報道を売り物にしているNHKです。拉致問題も無視していいとは思いませんが、少なくともトップで心配されなきゃいけない問題ではないと私は思います。それとも、福田首相の辞任が世界に与える影響なんて実はほとんどなく、せいぜい拉致問題程度しかないよという、鋭い視点からの放送だったのでしょうかね。
2008年9月1日月曜日
不許可写真
草森伸一著 文春新書652
2008年8月発行 税込み945円
毎日新聞社が日中戦争と太平洋戦争初期に撮った写真で、検閲不許可になったものをまとめたスクラップブックがあり、それを見ての著者の感想などが述べられている本です。
ふつうの新書とは違って、アート紙でできていてずっしりとした重さです。さぞや面白い写真がたくさん載せられているのかと思ったら、163ページの中に、35枚ほどの写真しか掲載されていません。しかも、元の写真は手札大(80x105mm)だったというのに、そのうちの8枚は約3x4cmとなぜかとても小さくされていて、細部までは見ることの出来ない代物です。写真自体も、多くはそれほどインパクトがあるものではありません。まあ、それだけ日本の検閲が細かいことに拘って不許可にしていたということでしょうが。
で、写真より文章の部分がずっと多いのですが、検閲の事情と掲載されている写真の説明が主という訳でもないのです。本書には「カメラの発明によって、叙事詩は生まれなくなった」と「『不許可写真』は、一コマもののマンガである」という2つの章があるのですが、特に前者は不許可写真というタイトルから受けた印象と全く違い、芸術論的な部分が多いのです。がっかりさせてくれました。
こういう新書のタイトルは編集者が決定するのだろうと思うのですが、そう考えるとこれは著者が悪いと言うより、タイトルを決めた文春新書の編集者が悪い。「カメラの発明によって、叙事詩は生まれなくなった」か「『不許可写真』は、一コマもののマンガである」のどちらかをタイトルにしていれば、別の観点からこの本を読むのでしょうから、失望せずに済んだかも知れません。
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